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第2話 健気で努力家な弟①

「……よし」


 執務室の机に向かい、私は小さく息を吐いた。

 手元には真っ白な羊皮紙と、公爵令嬢にふさわしい高級な羽ペン。


「一回ちゃんと、状況を整理しないとね」


 このままだと、私はゲームのシナリオ通りに破滅し、最後には首が飛ぶ。

 それはもう、嫌というほどわかっている。


 けれど、だからといって闇雲に動くのも悪手だ。


「まず、大前提」


 私は誰に見せるでもなく、指を一本立てる。


「ヒロインの立場を邪魔しないこと」


 これは絶対だ。マジで絶対。

 攻略対象たちの心の闇を見つけて、寄り添って、救い出す。

 そんな大役をやるのは、後に現れるヒロインちゃんの仕事であって、私の領分じゃない。


「仮に、私がヒロインの行動をなぞったとして……」


 想像して、思わず顔をしかめる。


「そのまま攻略対象と恋愛ルートに入っちゃっても困るし。っていうか、あのメンツと恋愛とか想像できないわ」


 私はヒロインに成り代わるつもりなんて微塵もない。


 仲良くなる。でも、踏み込まない。

 関わりすぎないよう、適切な距離を保つ。


「これなら安全。……たぶん」


 自分に言い聞かせ、私はペンを走らせることにした。



「で、問題はどうやって仲良くなるか、よね」


 エドガーには、先日の夜会でゴミを見るような目を向けられた。

 現状、普通に話しかけても会話にすらならないだろう。

 完全に心のシャッターが閉まっている。


「手紙しかないわね」


 直接会って拒絶されるなら、間接的な手段でいくしかない。

 幸い、同じ屋敷に住んでいるのだ。届ける手段はいくらでもある。


 問題は中身だ。


「軽すぎても不誠実だし、重すぎても引かれるわよね……」


 独り言を言いながら、私は書き始める。


 まずは時候の挨拶。

 次に季節の話題。

 そして、体調を気遣う言葉。


「……ちょっと内容が薄いかしら?」


 私はさらに言葉を書き足した。


 最近の屋敷の出来事。

 それについて私が思ったこと。

 過去の行いに対する、それとない反省と歩み寄りの姿勢。


「……まだ足りない気がするわ」


 さらにペンが走る。

 これからの公爵家について。

 義姉としての覚悟。

 なんだか高尚で、それっぽい決意表明。


「……」


 ふと、私は手を止めた。


「これ、今何枚目?」


 数えてみれば、すでに五枚目。


「……ちょっと、長いかしら?」


 いや、でも。

 誠意っていうのは、言葉の量に比例するものだ。

 ……たぶん。


 そのまま書き続ける。

 十枚、十五枚、二十枚。


「……多いかな?」


 一瞬だけ迷いがよぎる。

 けれど、書き終えた束を見つめ、私は謎の達成感に包まれていた。


「ここまで書いたら、もう止められないわよね。読めばきっと、私の熱意が伝わるはずだわ」


 一通目、完成。

 我ながら完璧な仕上がりではないだろうか。


「……やりきったわ」



「――で、返事が来ないと」


 三日後。

 自室のソファで、私は腕を組んでいた。


「いや、まあ、彼は忙しいのかもしれないけれど……でも、二十枚よ?」


 一言「読みました」とか「姉上を見直しました」とか。

 普通は何かしらあるでしょうに。


「……まあ、いいわ。すぐには心を開かないってことね」


 前世で培った鋼のメンタルで、即座に切り替える。


「追撃、いきましょうか」



 二通目を書く。

 今度は「軽め」を意識した。


 はずだった。


「……十五枚?」


 なぜだろう。

 自分では要点をまとめたつもりなのに、気づけば束になっている。


「まあ、前回より減ってるしセーフよね」


 自分に言い聞かせ、私は二通目を出した。



 さらに数日後。


「……まだ来ないわね」


 さすがに、ちょっとだけ不安になってくる。


「……もしかして、私の気持ちがまだ伝わっていないのかしら?」


 あんなに誠意を込めて、書いたのだ。

 私の気持ちが伝わらないわけがない。それとも、もっと具体的な言葉が必要なのか。


「……もう一通いくわよ」


 書く。

 さらに書く。

 これまでの反省。これからの希望。今日の天気。


「……二十二枚?」


 なんで増えるの。



 三日おきだった手紙の間隔が、二日おきになり。

 ついには一日おきになり。


「……今日も書いてるわね、私」


 完全に習慣化している。

 長さもついに、合計すればちょっとした本が一冊作れるほどの大作になっていた。


 届けるメイドも、最近では心なしか引きつった顔で手紙を受け取っていく。


「普通に、鈍器みたいな厚さなんだけど……」


 自分でも少し引く。

 けれど、ここまで来てしまったら止まれない。


「でも、ここでやめたら逆に不誠実じゃない? 根気がないと思われるわ」


 前世の会社勤めで培われた"謎の義務感"が、おかしな理屈を成立させていた。



「……さすがにおかしいわ」


 現在。

 私は真顔で、執務机の前に座っていた。


 ここまでやって。

 毎日数十枚の「誠意」を送り届けて。

 一切の反応がない。


「一回くらい、何かあってもよくない?」


 さすがに。

 ……さすがに、全無視は不自然すぎる。


「……」


 ふと、嫌な予感が頭をよぎる。


「もしかして……届いてない?」



 廊下で偶然、エドガーを見かけた。

 私はすぐさま彼を呼び止める。


「エドガー」


「……何ですか」


 相変わらず冷たい。

 ゴミ屑のような、あるいは不浄な物を見るような視線を向けられている。


「少し、よろしいかしら」


「内容によります」


 おや、珍しく即座に拒否ではない。

 チャンスだ。


「手紙について、お尋ねしたいの」


「手紙?」


 エドガーの眉が、わずかにピクリと動いた。


「そのようなものは、一通も受け取っておりません」


 即答。迷いなし。


「……一通も、ですの?」


「はい。一度も。……もうよろしいですか?」


 冷たく言い放つと、彼はそのまま踵を返して去っていった。



「――なるほどね」


 部屋に戻り、私は深々と椅子に身体を預けた。

 届いていない。

 毎日、魂を削るようにして書いたあの“(手紙)”たちが。


「つまり、途中で止められている、ってことね」


 視線を上げ、記憶を整理する。

 エドガーに長年仕えている、信頼の厚いメイド。

 彼を幼少期から指導している家庭教師。

 そして、エドガーの実母。


「完全にガードを固められているわね」


 私という“毒”を、エドガーから遠ざけているのだ。

 それも、組織的かつ意図的に。


「……まあ、当然か」


 これまでのリリアーナの所業を考えれば、周囲の行動はむしろ正しい。

 やばい姉から、期待の星である弟を守る。至極真っ当な判断だ。


 でも、それじゃ何も変わらない。


「じゃあ、どうするか」


 少し考える。

 手紙が物理的に遮断されているのなら。


「環境ごと、変えるしかないかしらね」


 彼を守っている“盾”を動かす。

 彼を取り巻く人間関係に、少しだけ風を通すのだ。


「そうすれば、今度こそちゃんと届くはずだわ」


 たぶん。

 ……うん、それでいきましょう。

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