第2話 健気で努力家な弟①
「……よし」
執務室の机に向かい、私は小さく息を吐いた。
手元には真っ白な羊皮紙と、公爵令嬢にふさわしい高級な羽ペン。
「一回ちゃんと、状況を整理しないとね」
このままだと、私はゲームのシナリオ通りに破滅し、最後には首が飛ぶ。
それはもう、嫌というほどわかっている。
けれど、だからといって闇雲に動くのも悪手だ。
「まず、大前提」
私は誰に見せるでもなく、指を一本立てる。
「ヒロインの立場を邪魔しないこと」
これは絶対だ。マジで絶対。
攻略対象たちの心の闇を見つけて、寄り添って、救い出す。
そんな大役をやるのは、後に現れるヒロインちゃんの仕事であって、私の領分じゃない。
「仮に、私がヒロインの行動をなぞったとして……」
想像して、思わず顔をしかめる。
「そのまま攻略対象と恋愛ルートに入っちゃっても困るし。っていうか、あのメンツと恋愛とか想像できないわ」
私はヒロインに成り代わるつもりなんて微塵もない。
仲良くなる。でも、踏み込まない。
関わりすぎないよう、適切な距離を保つ。
「これなら安全。……たぶん」
自分に言い聞かせ、私はペンを走らせることにした。
◇
「で、問題はどうやって仲良くなるか、よね」
エドガーには、先日の夜会でゴミを見るような目を向けられた。
現状、普通に話しかけても会話にすらならないだろう。
完全に心のシャッターが閉まっている。
「手紙しかないわね」
直接会って拒絶されるなら、間接的な手段でいくしかない。
幸い、同じ屋敷に住んでいるのだ。届ける手段はいくらでもある。
問題は中身だ。
「軽すぎても不誠実だし、重すぎても引かれるわよね……」
独り言を言いながら、私は書き始める。
まずは時候の挨拶。
次に季節の話題。
そして、体調を気遣う言葉。
「……ちょっと内容が薄いかしら?」
私はさらに言葉を書き足した。
最近の屋敷の出来事。
それについて私が思ったこと。
過去の行いに対する、それとない反省と歩み寄りの姿勢。
「……まだ足りない気がするわ」
さらにペンが走る。
これからの公爵家について。
義姉としての覚悟。
なんだか高尚で、それっぽい決意表明。
「……」
ふと、私は手を止めた。
「これ、今何枚目?」
数えてみれば、すでに五枚目。
「……ちょっと、長いかしら?」
いや、でも。
誠意っていうのは、言葉の量に比例するものだ。
……たぶん。
そのまま書き続ける。
十枚、十五枚、二十枚。
「……多いかな?」
一瞬だけ迷いがよぎる。
けれど、書き終えた束を見つめ、私は謎の達成感に包まれていた。
「ここまで書いたら、もう止められないわよね。読めばきっと、私の熱意が伝わるはずだわ」
一通目、完成。
我ながら完璧な仕上がりではないだろうか。
「……やりきったわ」
◇
「――で、返事が来ないと」
三日後。
自室のソファで、私は腕を組んでいた。
「いや、まあ、彼は忙しいのかもしれないけれど……でも、二十枚よ?」
一言「読みました」とか「姉上を見直しました」とか。
普通は何かしらあるでしょうに。
「……まあ、いいわ。すぐには心を開かないってことね」
前世で培った鋼のメンタルで、即座に切り替える。
「追撃、いきましょうか」
◇
二通目を書く。
今度は「軽め」を意識した。
はずだった。
「……十五枚?」
なぜだろう。
自分では要点をまとめたつもりなのに、気づけば束になっている。
「まあ、前回より減ってるしセーフよね」
自分に言い聞かせ、私は二通目を出した。
◇
さらに数日後。
「……まだ来ないわね」
さすがに、ちょっとだけ不安になってくる。
「……もしかして、私の気持ちがまだ伝わっていないのかしら?」
あんなに誠意を込めて、書いたのだ。
私の気持ちが伝わらないわけがない。それとも、もっと具体的な言葉が必要なのか。
「……もう一通いくわよ」
書く。
さらに書く。
これまでの反省。これからの希望。今日の天気。
「……二十二枚?」
なんで増えるの。
◇
三日おきだった手紙の間隔が、二日おきになり。
ついには一日おきになり。
「……今日も書いてるわね、私」
完全に習慣化している。
長さもついに、合計すればちょっとした本が一冊作れるほどの大作になっていた。
届けるメイドも、最近では心なしか引きつった顔で手紙を受け取っていく。
「普通に、鈍器みたいな厚さなんだけど……」
自分でも少し引く。
けれど、ここまで来てしまったら止まれない。
「でも、ここでやめたら逆に不誠実じゃない? 根気がないと思われるわ」
前世の会社勤めで培われた"謎の義務感"が、おかしな理屈を成立させていた。
◇
「……さすがにおかしいわ」
現在。
私は真顔で、執務机の前に座っていた。
ここまでやって。
毎日数十枚の「誠意」を送り届けて。
一切の反応がない。
「一回くらい、何かあってもよくない?」
さすがに。
……さすがに、全無視は不自然すぎる。
「……」
ふと、嫌な予感が頭をよぎる。
「もしかして……届いてない?」
◇
廊下で偶然、エドガーを見かけた。
私はすぐさま彼を呼び止める。
「エドガー」
「……何ですか」
相変わらず冷たい。
ゴミ屑のような、あるいは不浄な物を見るような視線を向けられている。
「少し、よろしいかしら」
「内容によります」
おや、珍しく即座に拒否ではない。
チャンスだ。
「手紙について、お尋ねしたいの」
「手紙?」
エドガーの眉が、わずかにピクリと動いた。
「そのようなものは、一通も受け取っておりません」
即答。迷いなし。
「……一通も、ですの?」
「はい。一度も。……もうよろしいですか?」
冷たく言い放つと、彼はそのまま踵を返して去っていった。
◇
「――なるほどね」
部屋に戻り、私は深々と椅子に身体を預けた。
届いていない。
毎日、魂を削るようにして書いたあの“本”たちが。
「つまり、途中で止められている、ってことね」
視線を上げ、記憶を整理する。
エドガーに長年仕えている、信頼の厚いメイド。
彼を幼少期から指導している家庭教師。
そして、エドガーの実母。
「完全にガードを固められているわね」
私という“毒”を、エドガーから遠ざけているのだ。
それも、組織的かつ意図的に。
「……まあ、当然か」
これまでのリリアーナの所業を考えれば、周囲の行動はむしろ正しい。
やばい姉から、期待の星である弟を守る。至極真っ当な判断だ。
でも、それじゃ何も変わらない。
「じゃあ、どうするか」
少し考える。
手紙が物理的に遮断されているのなら。
「環境ごと、変えるしかないかしらね」
彼を守っている“盾”を動かす。
彼を取り巻く人間関係に、少しだけ風を通すのだ。
「そうすれば、今度こそちゃんと届くはずだわ」
たぶん。
……うん、それでいきましょう。




