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第1話 転生したら、もうだいぶ詰んでいた

 思い出したのは、数日前のことだ。


 きっかけは、些細なものだった。

 執務室の机に積み上げられた、公爵家の分厚い帳簿。

 その数字の列を見て、奇妙な違和感を覚えたのだ。


 ほんの小さな、誤差。

 けれど、それを見た瞬間――。


 パズルのピースが強引に嵌まるような衝撃と共に、頭の奥に別の記憶が激しく流れ込んできた。


 すし詰めの満員電車。

 チカチカと点滅する、オフィスの安っぽい蛍光灯。

 デスクを埋め尽くす修正資料と、深夜に鳴り響くスマートフォンの着信音。


『――おい、この数字どういうことだよ?』


 上司の怒鳴り声が耳の奥で蘇る。


 ――ああ、やった。

 やらかしたんだ。


 その一つのミスが、積み上げてきた信頼を全部ぶち壊した。


 謝罪の言葉。同僚の冷ややかな視線。

 雨に濡れたアスファルトを歩く、重い足取り。


 視界を真っ白に染めたのは、信号を無視して突っ込んできたトラックのヘッドライトだった。


「……あ」


 そこで、全部が繋がった。

 ここがどこかも、自分が誰かも。


 リリアーナ・フォン・アルヴェルト。

 十七歳、アルヴェルト公爵家の我儘な長女。


 そして。


「悪役令嬢、ね」


 鏡の中に映る自分を見て、私は乾いた笑いを漏らした。

 月光を溶かし込んだような銀髪に、吸い込まれそうなほど深い濃紺の瞳。

 絵に描いたような「冷徹な美貌」がそこにあった。


 ここは前世で暇つぶしにプレイしていた乙女ゲーム『聖銀のレガリア』の世界だ。


 聖女に選ばれた少女と攻略対象たちが、やがて訪れる“世界の危機”に立ち向かう物語。

 その中で、リリアーナという女は――。


「……人類を裏切る、最初の引き金」


 小さく呟いた言葉が、豪華な私室に虚しく響く。


 リリアーナは、主人公と敵対し、孤立した末に、魔族を人間界へ引き入れる“橋渡し役”となる存在。

 彼女の裏切りによって、平和だった世界は地獄へと変貌するのだ。


「……だいぶ迷惑な役回りじゃない」


 しかも最終的には、王子の手によって断罪され、処刑される。


(いや、それはお断りだわ)


 前世で一度、過労と事故という最悪の終わり方をしているのだ。

 二度目まで悲惨な死に方をするなんて、御免被る。


 私は、ドレッサーの上に置かれた扇子を力強く握りしめた。


(今からでも、シナリオを書き換えるしかない)


 幸い、学園入学まではまだ半年ある。

 ヒロインが現れ、物語が本格的に動き出す前だ。


 まだ、手は打てるはず。……きっと。



「……見て。あの方、またいらしているのね」


「よく平然としていられるわ」


「私にはとても真似できませんわね」


 シャンデリアの光が眩しい夜会の会場。

 華やかな空気の中で、針のようなひそひそ声が突き刺さる。


(うん、知ってるわ。全部聞こえてるから)


 この数日で、状況は最悪だということが判明した。

 十七年間の記憶を辿れば辿るほど、自分の「前業」の酷さに頭を抱えたくなる。


 気に入らない侍女がいれば紅茶を浴びせ、自分より目立つ令嬢がいれば徹底的に社交界から干す。

 控えめに言って、近寄りたくもない爆弾娘。それが私だ。


「……そりゃ嫌われるわよね」


 思わず本音が漏れる。

 けれど、今の私はかつてのヒステリックな令嬢ではない。

 ただ静かに、冷めた視線で会場を見渡していた。


「リリアーナ」


 背後から、氷のような冷徹な声が届いた。

 振り返れば、そこにいたのは美しい金髪をなびかせた青年。


 レオンハルト・フォン・ヴァルディア。

 この国の第一王子であり、私の婚約者。

 表向きは完璧超人として国民に慕われる、まばゆいばかりの王子様だ。


「ごきげんよう、殿下」


 私はドレスの裾を摘み、完璧なカーテシーを見せる。


「……妙だな。今日は随分と大人しい」


「ご期待に沿えず、申し訳ありませんわ」


 微笑んで返すが、彼の表情は変わらず、瑠璃色の瞳には不信感しか宿っていない。


「無駄な騒ぎを起こさないなら、それで構わない」


 それだけ吐き捨てると、彼は私の横を素通りしていった。

 やはり私への興味は微塵もないらしい。


(まあ、そうなるよね。今までの積み重ねがあるし)


 これまでの行動を考えれば、当然の反応だ。


「おや、今日は静かだね」


 続いて軽い声に振り返ると、赤毛の青年が笑っていた。

 人懐っこい笑顔。甘いマスクで社交界を泳ぐ、女性人気の高い男だ。


 ユリウス・クラウゼン。

 将来、宰相になると目されている侯爵家の嫡男。


「何か企んでいるわけではありませんわ。ただ、静かに夜を楽しんでいるだけです」


「へえ、それはまた……新手の冗談かな」


 ユリウスは皮肉げに口角を上げた。

 軽薄な言葉の端々に、私を疑う色が混じっている。


「リリアーナ! 」


 さらに、私を親の仇のように睨みつけてくるのは、騎士団長の息子カイル。

 正義感が強く、弱者を守る騎士の鑑とされる彼にとって、私は「悪」そのものなのだろう。


「ここでも問題を起こすつもりか?」


「起こしませんわ」


「……本当か?」


 私のことが大嫌いなことを隠すつもりもない態度だ。

 彼らにとって、私は「正すべき悪」でしかない。


(見事に全員だな)


 王太子は無関心。

 宰相候補は不信。

 騎士見習いは敵意。


 攻略対象との関係値は、すでにマイナス。

 ここから関係を良好にするなんて、不可能なレベルの難易度だ。


(さて、誰から手をつけるべきか……)


 そのとき、会場の隅、柱の影にひっそりと佇む影を見つけた。

 人混みの外側。壁際に立つ、黒髪の少年。


 夜会の華やかさとは不釣り合いなほど静かに、まるで壁の一部であるかのように佇んでいる。

 表情は乏しく、どこか内側に閉じたような印象を受けた。


 エドガー・アルヴェルト。

 アルヴェルト家の養子であり、私の義理の弟。

 優秀で礼儀正しく、周囲からは理想的な後継者と称えられている少年だ。

 彼も攻略対象の一人である。


(……ここが一番、かな)


 私はゆっくりと、彼に向かって歩き出した。


 エドガーはすぐにこちらに気づき、一瞬だけ視線が合う。

 その直後、はっきりと顔をしかめられた。


「エドガー」


「……何ですか」


 温度のない声。


「少し、お話しできるかしら」


「お断りします」


 言葉が終わる前に拒絶された。

 まぁ、これまでの私が彼にしてきたことを思えば、当然の反応か。


「用件くらいは聞いてくださってもよろしいのではなくて?」


「聞く必要がありません。姉上の話を聞いて、ろくなことになった記憶がありませんので」


 淡々とした、しかし鋭い口調。


(否定できないのが辛いわね……)


「……今回は違うわ、エドガー。私は本気で――」


「その言葉も、何度か聞いた覚えがあります」


 完全に詰みである。


「失礼いたします」


 彼は一度も振り返ることなく、足早に去っていった。

 広間を流れる優雅なワルツが、今の拒絶をさらに惨めなものに際立たせる。


 私は独り、その背中を見送りながら、小さく息を吐いた。


「……これは、想像以上ね。言葉だけじゃ、一ミリも届かないわけだ」


 攻略対象との溝は、海よりも深い。

 けれど。


「だからこそ、やらないとね」


 私は、手に持っていた扇子をパチンと閉じた。


「まずは……前提を整理する必要がありそうね」


 やるしかない。

 悪役令嬢としての「二度目の人生」を、本当の意味で開始するために。

読んでいただきありがとうございます。


テンプレな始まりに見えるかもしれませんが、少しずつ景色が変わっていく予定です。

お付き合いいただければ嬉しいです。

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