第18話 強くて正しい騎士見習い⑤
「――来たか」
放課後。人気の少ない訓練場の端。
夕暮れが近く、土のグラウンドには長い影が伸びていた。他の生徒たちの気配はほとんどない。
まさか向こうから呼び出されるとは思わず、私は少しだけ目を瞬いた。
(カイルの方からコンタクトを取ってくるなんて)
壁にもたれ、腕を組んで待っていたカイル・レイナードは、相変わらず鋭い目つきをしていた。騎士科の制服が、夕日に染まって鈍く光っている。
「ごきげんよう、カイル」
「挨拶はいい。本題に入る」
相変わらずの即切りである。
(でも会話イベントは発生しているわ…!)
これはかなりの進歩ではないかしら。
「……それで、何の御用かしら?」
「お前、他にも知っているのか。――“これから起きること”を」
カイルの低い声が、静かな訓練場に響く。
私は少しだけ視線を泳がせた。言いすぎるのは危険だ。でも、ここで曖昧にしすぎると信用されない。
「……全部ではないわ。断片的に、少しだけよ」
「どういう理屈だ」
「さあ、自分でもわからないの。説明しろと言われても困るのよ」
これは半分は本当だ。まさか『この世界は前世で私がやり込んだ乙女ゲームで、私はそこに出てくる悪役令嬢に転生してます』なんて説明したところで、頭のおかしい人間だと思われるのがオチである。
「昔から、ときどき妙にリアルな夢を見るの。それが現実になることが、たまにあるだけ。今回の盗難事件も、その一つよ」
カイルは黙って私の言葉を聞いていた。
完全に疑いが晴れたわけではない。けれど、鼻から嘘だと切り捨てることもしない。資料室での一件が、彼の頑なな態度に楔を打ち込んだのは確かだった。
「お前は前に『俺が動いた方が皆が信じる』と言ったな」
「ええ、言ったわ。実際、その通りになったでしょう?」
「……」
カイルはバツが悪そうに舌打ちをして、端正な眉をひそめた。どうやら、リリアーナの読みがすべて当たっていたことが、彼としてはまだ少し癪に触るらしい。
一方で、耳の裏がほんの少しだけ赤くなっている。
(あら、意外とプライドが刺激されてるのね。分かりやすくて助かるわ)
「それで」
カイルが咳払いをひとつして、問いかけてくる。
「次は何が起きるんだ。お前のその、便利な"夢"の中では」
「騎士科の訓練場で、事故が起きるわ。明後日の実技訓練中、模擬戦用の自立型魔導人形が暴走するの」
カイルの目が険しく細くなった。
「原因は整備不良よ。内部の魔力伝導部品が劣化しているの。本来なら軽傷者が何人か出る程度で、訓練中の不運な事故として処理されるはずだけれど……」
「……本来なら?」
「止められるなら、その方がいいでしょう? 痛い思いをする生徒が出ずに済むのだから」
風が吹き抜け、訓練場の白薔薇の旗がパタパタと揺れた。
私はふと思いついて、少しだけ声を落として付け加えた。
「あと、一つお願いがあるの。今回も、私がこの件に関わっていることは伏せて欲しいの」
カイルの眉が怪訝そうに動く。
「手柄を隠す意味が分からん。前回の資料室の時もそうだが、お前は自分の評判を回復したくないのか」
「さあ、どうかしらね」
私は自嘲気味に、肩をすくめて見せた。
「私が裏で糸を引いていると知られたら、せっかく貴方が正しいことをしても、『何か企みがあるのでは』なんて下らない邪推をされるかもしれないわ。貴方まで信用を失ったら困るもの」
「……自覚はあるんだな」
「あるわよ? 嫌われていることくらい」
まあ、理由もだいたい知っている。過去の自分の行い的に。
「だからこそ、使えるものは使うべきでしょう? 貴方は信用されている。私はされていない。だったら、正しい人が動いた方が早いわ」
「……」
カイルはわずかに目を伏せた。
「……分かった。無駄にお前の名前を出すつもりはない。明後日、俺の方で確認しておく」
「ありがとうございます。では、引き続きよろしくお願いいたしますわね、カイル」
私はにこりと笑う。
「馴れ馴れしい」
「ひどいわ」
文句は言われたけれど。最初の頃の、触れたら切れそうなほどの殺気は、確実に薄れていた。
◇
そして二日後。騎士科訓練場。
「これより、対ゴーレムの実技訓練を開始する!」
教官の鋭い号令とともに、騎士科の生徒たちが整列する。その中で、カイルだけは訓練開始の手前で、鋭い視線を周囲に巡らせていた。
「……あの」
彼は起動スイッチを握ろうとした整備担当の教師を呼び止めた。
「待ってください。この魔導人形、今朝の点検記録はどうなっていますか」
「ん? 異常なしと出ているが」
「魔力伝導部品に微細な亀裂が入っている可能性があります。過剰な魔力が流れ込めば、制御陣が焼き切れて暴走する恐れがある。今すぐ起動を止め、内部の目視確認を」
「……は?」
教師が眉をひそめる。
「いや、しかし、そんな報告は……」
「事故が起きてからでは遅い。確認を」
カイルの放つ、有無を言わせぬ圧迫感に、教官も気圧されたように言葉を呑み込んだ。
結局、訓練は一時中断され、急遽整備班が呼び出された。装甲が外され、内部回路が露出した瞬間――ざわり、と訓練場が揺れた。
「……本当だ。伝導部品が今にも焼き切れそうになっている」
「おいおい、このまま起動してたら、生徒に向かって無差別に魔法が乱射されてたぞ……!」
整備班の驚愕の声に、周囲の生徒たちの視線が一斉にカイルへと向かう。
「すごい……カイル様、起動前の魔力の揺らぎだけで見抜いたのか?」
巻き起こる称賛と感嘆の嵐。
カイルは無表情を装って黙ってそれを受け止めていたが、その耳たぶがほんの少しだけ朱に染まり、誇らしげに胸を張っているのを、私は遠くの校舎の窓から見逃さなかった。
(やっぱり、感謝されると嬉しいのね。可愛いところあるじゃない)
未来の知識を使って、トラブルを未然に防ぐ。誰も傷つかず、カイルの評価も上がる。
(うん、私のやってることは無駄じゃない。この調子でいきましょう)
◇
その日の帰り道。夕闇が迫る渡り廊下で。
「……おい」
背後から声をかけられ、振り返ると、そこにはバツの悪そうな顔をしたカイルが立っていた。
「はい?」
「……お前」
彼は周囲に誰もいないことを確認してから、視線を何度も彷徨わせ、最後にぽつりと、吐き捨てるように言った。
「今回の件、……助かった」
一瞬、私は目を丸くした。
(今、あのカイル・レイナードが、私にお礼を言った……!?)
いや、直接的には言っていない。でもほぼ言ったようなものだ。プライドの高い彼にとっては、これ以上ない譲歩であり、感謝の表明だった。
「ふふ」
「……なんだ。何がおかしい」
「いいえ? ちゃんとお役に立てたのだわと思って、嬉しくなっただけよ」
「勘違いするな。まだお前を信用したわけじゃないからな」
「ええ、わかっておりますわ」
「軽いな、本当に……。お前という女は……」
呆れたような、けれどそこにはもう、最初の頃のような刺々しい殺気はなかった。
彼との距離はほんの少しだけ縮まっているのを感じて、少し嬉しくなった。




