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第19話 強くて正しい騎士見習い⑥

 休日。

 久しぶりに、学園の外へ出る日だった。


「――最高ね」


 私は馬車の窓から流れる王都の街並みを眺めながら、素直に呟いた。

 美しく敷き詰められた石畳の道。活気あふれる声とともに行き交う人々。軒を連ねる露店から漂う、甘く香ばしい焼き菓子の匂い。

 氷薔薇学園のあの息が詰まるような、張り詰めた空気とは違う、”普通の街”の空気がそこにはあった。

 通り沿いには色とりどりの旗がはためき、どこからか子供たちの無邪気な笑い声が聞こえてくる。午後の柔らかな陽光が石畳に反射して、世界を暖かく照らしていた。


(あぁ、解放感がすごい……!)


 しかも。


(最近、ちょっと順調だしね)


 カイルとの関係は、確実に改善の兆しを見せている。以前のように、目が合っただけで即座に不審者扱いされ、敵認定されるようなことは目に見えて減った。これは、大きな進歩だ。


「リリアーナ様、先ほどから顔が大変緩んでおります」


 私の向かい側に腰掛けているリネットが、表情一つ変えずに静かに言った。


「そうかしら? 」


「いいえ。かなり」


「失礼ね」


 口を尖らせて否定しながらも、笑みを完全に引っ込めることはできなかった。

 実際、最近はちょっと楽しいのだ。未来を変えるのは相変わらず綱渡りで怖いけれど、少なくとも今のところ、物語は悪い方向には進んでいない気がしていた。



 王都の中央区は、休日ということもあって身動きが取りづらいほどの賑わいを見せていた。貴族御用達の高級店だけでなく、一般市民が気軽に立ち寄るような活気ある露店も多い。


「わ……」


 賑やかな通りを歩いていると、ふと、ある露店の前で足が止まった。

 色鮮やかなジャムが乗った、焼き立てのクッキー。形も小ぶりで、とても可愛い。


「リリアーナ様」


「分かっているわよ」


 隣を歩くリネットの視線が、若干冷ややかさを帯びる。


「歩き食べなんてしませんわ」


「そこまでは言っておりません」


「今言おうとしてたでしょう?」


「否定はいたしません」


 このメイド、最近ちょっと私に対する遠慮がなくなってきた気がする。

 そんな他愛のないやり取りをしていた、その時だった。


「あ……」


 少し離れた大通りの広場で、ひときわ大きな人だかりができているのが見えた。

 その中心にいるのは、一人の少女。

 陽光を浴びてきらめく、淡い茶色の髪。周囲を自然と和ませるような、柔らかく可憐な笑顔。


 ミレイア・ルーン。この世界の”正ヒロイン”だ。

 彼女は同じ学園の女生徒たち数人に囲まれながら、楽しそうに笑っていた。


「ミレイア様、こちらの店とってもおすすめなんです!」


「本当ですか? では今度ぜひご一緒したいです」


 そこにいるだけで周囲の人々を安心させ、惹きつける独特の空気感。

 周囲に自然と人が集まるのも納得だった。


(やっぱり、ちゃんとゲームの”主人公”って感じがするわね……)


 その時、ミレイアがふと顔を上げた。

 ただ、そのときだけ。少し疲れたような、寂しげな表情を覗かせていた。


 ゲームの通りなら、私は彼女と激しく対立し、最後には破滅する運命だ。

 でも、遠目に見る彼女は、ごく普通の優しい少女に見えた。

 だからこそ、ゲームの結末を知っている身としては、少しだけ複雑な気分になるのだった。



 その感傷を、突如として響き渡った異音が引き裂いた。


「マリー!!」


 張り裂けんばかりの、母親らしき女性の悲鳴。

 続いて、狂ったような鋭い馬のいななきと、激しい蹄の音が地面を激しく叩く。


 咄嗟に視線を向けた先。大通りの車道。

 一人の小さな女の子が、落とした玩具に気を取られたのか、ふらふらと車道へ飛び出していた。

 そして最悪なことに、制御を失った貴族の馬車が、ちょうどそこへ突っ込んでくるところだった。


(――危ない!!)


 考えるより先に、私の身体が弾かれたように動いていた。


「っ……!」


 間一髪、子供の腕を掴み、そのまま勢いよく引き寄せる。


 直後、馬車が目の前を通り抜けていった。

 周囲の悲鳴とざわめきが、遠くで波のように広がっていく。


「だ、大丈夫……? 」


 私は腕の中で震える子供に必死に声をかけた。

 女の子は大きな涙目をぱちぱちと数回させたあと、私の顔を見て、一気に顔をクシャクシャにした。


「……う、うぇぇぇん!!」


 鼓膜が震えるほどの大泣き。でも、これだけ声が出るなら大丈夫そうだ。


「ああもう、びっくりしたわよね。でも、もう大丈夫だから」


 私はホッと胸を撫で下ろし、女の子の頭を優しく撫でた。


 そこへ、顔を真っ青にした母親が必死の形相で駆け寄ってきた。


「す、すみません!! うちの子が……!」


 母親は娘をきつく抱き締めながら、涙ぐんで何度も何度も私に向かって頭を下げた。


「ありがとうございます……本当に、ありがとうございました……!」


「お気になさらず。無事で何よりですわ」


 私はゆっくりと立ち上がった。

 見れば、お気に入りだったドレスの裾が、泥と擦り傷で無惨に汚れている。


(あーあ……これ、絶対にリネットに怒られるやつだわ……)


 そう思った瞬間。


「お怪我はございませんか」


 すでにリネットが怪我の有無を確認する鋭い目で私を見つめつつ、真っ白なハンカチを差し出していた。本当に抜け目がない。


「ありがとう、リネット。その……」


「あとで着替えていただきます」


「はい……」


 お説教は免れたようで、私は小さく息を吐いた。



「……今の、見たか」


 少し離れた場所から、その一連の光景を見ていた三人の影があった。


「驚いたな。あのリリアーナが、子供を助けるために飛び出して行った」


 ユリウスが面白そうに目を細める。


「……」


 カイルは、遠ざかるリリアーナの背中を黙って見つめていた。

 彼の目から見ても、今の彼女の行動には一切の迷いがなかった。


「リリアーナ・フォン・アルヴェルト、か」


 レオンハルトが静かにその名を呟いた。

 常に感情の見えない彼の瞳は、リリアーナを観察するような視線を向けていた。


「随分と印象が違うな」


「殿下もそう思う?」


 ユリウスが、待ってましたとばかりに軽く笑う。


「最近ちょっと変だよね、あの人」


「……変、ではない」


 カイルが、遮るように低い声で言った。

 レオンハルトとユリウスの視線が、同時にカイルへと向く。


「少なくとも」


 カイルは二人からの視線を逸らさないまま続ける。


「今日のあれは、偽善では絶対にできない行動だ」


 その真っ直ぐな言葉に。

 王太子レオンハルトの底知れない瞳が、わずかに、深く細められた。

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