表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。  作者: 星渡リン
第4部 第3章 その解釈が役を決める

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
96/101

第96話 その解釈が役を決める

 薄い紙が、審議卓の中央に置かれた。


 重要文言取扱指針。


 紙は薄い。けれど、そこへ視線を落とした者たちの喉は、そろって硬くなった。


 高位家寄りの審議役は、口元をわずかに固める。神殿側の使者は微笑を保ったまま、「本人負担への配慮」の行で指を止めた。王都側の役人は、「解釈者名」の欄を見てから、資料の端を意味もなくそろえ直している。


 セレフィーナは、その沈み方を見ていた。


 嫌がっている。


 なら、効いている。


「趣旨は理解いたします」


 審議役が、穏やかな声で言った。


「ですが、ここまで細かく意味を定めますと、現場の裁量が失われるのではありませんか。案件には、それぞれ事情がございます。文言の解釈に幅を残すことも、円滑な運用には必要かと」


 裁量。


 その言葉が置かれた瞬間、ノアが指針の端を押さえた。


「主語が『お上の裁量』の書類は、責任者欄を空けた時点でただの職務怠慢です」


 審議役の眉が動く。


 ノアは、解釈者名欄を爪先で軽く叩いた。


「名前を書けないなら、その逃げ道はここで閉鎖します」


「逃げ道などと、そのような」


「では、名前を」


 ノアの返答は短かった。


 審議役の口が、そこで一度止まる。


 イレーネが、静かに続いた。


「小家に届く時、裁量はもう裁量ではありません」


 全員の視線が、彼女へ向く。


 イレーネは背筋を伸ばしたまま、重要文言取扱指針を見ていた。


「“上がそう読んだので従ってください”という通知です」


 審議室の空気が冷える。


「その通知に異議を唱えるには、原文を探し、読み直し、根拠を揃えなければなりません。裁量を持っているのは読む側で、負担を持つのは届いた側です」


「そこまで硬く考えずとも」


「硬いのは現場です」


 イレーネは即座に返した。


「人手も時間も足りない場所へ、柔らかい言葉だけが届くと、折れるのは人です」


 その一撃が消えないうちに、ミレイアが「前向きな検討」の欄へ手を置いた。


「本人の言葉も、同じです」


 声は柔らかい。


 けれど、逃げ道はなかった。


「“考えたい”を“前向き”にしないでください」


 助祭の微笑が、ほんの少し遅れる。


「“困っています”を“遠慮しているだけ”にしないでください」


 ミレイアは、紙面から目を離さなかった。


「本人の言葉を、都合よく柔らかくしないでください。柔らかくされた言葉ほど、あとから本人の首に巻きつきます」


 神殿側の使者が、静かに息を吸った。


「言葉を整えることも、時には必要では」


「整えた方の名前を残してください」


 ミレイアは顔を上げる。


「その整え方で、誰かが断れなくなるなら」


 衣擦れの音が、小さく続いた。


 セレフィーナは、審議卓に並んだ紙を見下ろした。


 橋渡し確認書。

 非公開調整記録欄。

 重要文言取扱指針。


 役を押しつける手。本人のいない場所で空気を固める声。同じ文を都合よく読む目。


 すべて、別々の顔で戻ってくる。


 セレフィーナは、赤ペンを取った。


「同じ文を誰がどう読むかで、また役が決まるのね」


 審議室が静まり返る。


「“柔軟に”と読めば、誰かが下がる。“前向き”と読めば、誰かが前へ出される。“配慮”と読めば、本人の声が消える」


 審議役の指が、資料の端を押さえた。


「なら、読む人の都合で変わらないところまで書くわ」


「しかし、解釈まで縛るのは過剰ではありませんか」


 審議役が押し返す。


 セレフィーナは、すぐに赤ペンを走らせた。


 解釈目的。

 解釈者名。

 根拠文言。

 影響を受ける本人または家。


 がり、と紙が鳴る。


「他人の役まで勝手に読んできた分の請求です」


 審議役の口が閉じた。


 その時、ルシアン殿下が立ち上がった。


 王都側の役人たちが、一斉に顔を向ける。


「王都側の解釈にも、この指針を適用する」


 審議室がざわついた。


 ルシアン殿下は、その揺れを無視した。


「王都が読めば正しい、という扱いをやめる。大きい側ほど、自分の読みを記録に残すべきだ」


 彼は、指針の「解釈者名」の欄を見た。


「王都側判断であれば、判断者名と根拠を必ず添える。私の名を使う場合も同じだ」


 王都側の役人の一人が、はっきりと顔色を変えた。


 進行役が、震える手で羽ペンを持ち直す。


「では、重要文言取扱指針を、橋渡し確認書の暫定運用補助資料として仮採用します。解釈者名および根拠記録については、王都側も対象とする旨、追記いたします」


 かり、と羽ペンが議事録を削った。


 旧来派の席で、小さな咳払いが起きる。


 だが、それ以上の反論は出なかった。


 もう「そう読めます」だけでは足りない。

 誰が、何を根拠に、誰へ影響を与える読み方をしたのか。


 そのすべてが紙へ残る。


 セレフィーナは、重要文言取扱指針の最後の余白を見た。


 まだ一箇所だけ、空いている。


 赤ペンを握り直す。


 がり、と深い音がした。


 再解釈時の修正履歴。


 その欄を書き込んだ瞬間、審議役の指が机の上で止まった。


 読み替えた。

 修正した。

 前の読みを消した。


 その痕跡まで残される。


 もう、後から「そのような意味では」と笑って戻る場所はない。


 セレフィーナは、赤い線を最後まで引き切った。


 審議卓の向こう側では、誰もすぐに紙へ触れなかった。


 重要文言取扱指針の余白には、乾ききらない赤い履歴欄がある。


 清潔な審議室の中で、そのインクだけが、逃げ場のない生臭い匂いを放っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
100位で〆になりそうかな?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ