第92話 非公開はいつも親切
公開確認要求書が審議卓の中央に置かれた瞬間、部屋の笑顔が一段薄くなった。
王都側の調整役の婦人は、扇を閉じたまま膝の上で押さえている。進行補佐は、資料の端を何度もそろえ直す。地方神殿の助祭は穏やかな微笑を保っていたが、首元の布がかすかに引き攣っていた。
進行役が、淡々と経緯を読み上げる。
「奉仕茶会の案内補助候補として、エリアナ・ベルク子爵令嬢の名が挙げられました。本人への正式確認前に紹介文案が作成され、家宛て打診文の下書きも準備されていたことを確認しております。本人確認欄は未記入でした」
紙の擦れる音が、妙に大きく聞こえた。
「その後、ミレイア様による本人確認の結果、エリアナ様は考える時間を希望されたため、紹介文案の配布は保留となりました」
読み上げが終わる。
審議卓には、三枚の紙が並んでいた。
紹介文案。
家宛て打診文。
ミレイアが差し込んだ確認欄。
その白い空欄だけが、妙に目立つ。
「ご本人を傷つける意図はございませんでした」
婦人が、ようやく口を開いた。
「親切から出た配慮でございます。表の場で急に確認すれば、ご本人が困惑されると考えたまでで」
「紹介文案も、あくまで仮です」
進行補佐が続ける。
「正式な決定ではございません」
ミレイアは、紹介文案の上に差し込み紙を重ねた。
ぴたり、と紙が鳴る。
「本人確認欄が空白です」
それだけだった。
婦人の扇が止まる。
ミレイアは、もう一枚を指先で押さえる。エリアナの名前が入った紹介文案。その下には、柔らかな笑顔、子どもたちに安心を与える、奉仕茶会にふさわしい案内役、という文言が整いすぎるほど綺麗に並んでいた。
「ここに本人の返事はありません」
声は低い。
「でも、文章の中では、もう案内役になっています」
「ですから、仮案で」
「仮案でも、回れば空気になります」
婦人の口元が、わずかに引きつった。
ノアが、家宛て打診文を持ち上げる。
上等な紙だ。文面も礼儀正しい。だが、本人の返事だけが入っていない。
「主語が『善意』の書類は、監査上はただの不祥事です」
ノアは、打診文の余白を爪で軽く叩いた。
「名前がないので」
進行補佐の喉が鳴った。
助祭の微笑が、ほんの少し薄くなる。
「不祥事などと、そのような」
「では、名前を書けばよろしい」
セレフィーナが言った。
審議室の空気が、重く沈む。
セレフィーナは、紹介文案を引き寄せた。赤ペンはすでに手の中にある。
「非公開の配慮ほど、押しつけに向いているものはありません」
扇の骨が、婦人の指の中で小さく鳴った。
「誰が何を言ったのか残らない。本人がいつ知ったのか残らない。断りにくくなるまで、誰が空気を固めたのかも残らない」
セレフィーナは、家宛て打診文に赤を入れた。
ご本人のご負担にならぬよう。
その文言を、赤い線がまっすぐ貫く。
「記録のない親切は、あとから責任を持ちません」
「親切まで疑われるのですか」
助祭が静かに言った。
セレフィーナは、顔を上げる。
「疑われたくない親切ほど、記録に残してください」
助祭の指が、控えの端を押さえた。
その時、ルシアンが席を立った。
審議室の視線が、一斉にそちらへ流れる。
「非公開調整そのものを禁じるわけではない」
関係者の顔に、わずかな安堵が走りかけた。
しかし、ルシアンは続けた。
「ただし、本人に影響する調整は記録対象とする。王都側も例外なく対象だ」
安堵が、途中で固まる。
王都側も例外なく。
その一言で、進行補佐の指が資料の端を強く押さえた。紙が少し歪む。
ルシアンは、審議卓に置かれた紹介文案を見る。
「静かに進める必要がある案件ほど、後から追える形にする。そうでなければ、静けさは責任の逃げ場になる」
セレフィーナは、新しい紙を卓上へ滑らせた。
非公開調整記録欄。
赤い表題が、審議卓の中央で生々しく光る。
発言者。
共有先。
本人通知日時。
本人返答。
返答前作成文書。
細い枠線が、紙の上で檻のように並んでいた。
婦人の扇が、膝の上で動かなくなる。
「そこまで記録されれば、内々の相談がしにくくなりますわ」
セレフィーナは頷いた。
「はい」
短い返事だった。
そのための紙だと、言わなくても伝わった。
進行役がルシアンへ視線を向ける。
ルシアンは、はっきりと頷いた。
「本件は正式記録へ添付する。今後、本人に影響する内々調整は、非公開であっても記録対象とする。紹介文案の配布は、本人確認後まで保留」
進行役が羽ペンを取った。
議事録へ書き込む音が、かり、と響く。
ミレイアは、紹介文案の上に置かれた確認欄を見た。
エリアナの返事は、まだ空白のままだ。
だが、その空白の上に、もう誰も勝手な文言を載せられない。
婦人は、不満を飲み込むように扇を閉じた。進行補佐は、写しの束をそろえ直す。助祭は微笑を戻そうとして、わずかに遅れる。
セレフィーナは、非公開調整記録欄を紹介文案の上へ重ねた。
赤い枠線は、まだ乾ききっていない。
審議室の清潔な空気の中で、そのインクだけが、鼻につくほど生々しい匂いを放っていた。




