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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。  作者: 星渡リン
第4部 第2章 非公開はいつも親切

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第92話 非公開はいつも親切

 公開確認要求書が審議卓の中央に置かれた瞬間、部屋の笑顔が一段薄くなった。


 王都側の調整役の婦人は、扇を閉じたまま膝の上で押さえている。進行補佐は、資料の端を何度もそろえ直す。地方神殿の助祭は穏やかな微笑を保っていたが、首元の布がかすかに引き攣っていた。


 進行役が、淡々と経緯を読み上げる。


「奉仕茶会の案内補助候補として、エリアナ・ベルク子爵令嬢の名が挙げられました。本人への正式確認前に紹介文案が作成され、家宛て打診文の下書きも準備されていたことを確認しております。本人確認欄は未記入でした」


 紙の擦れる音が、妙に大きく聞こえた。


「その後、ミレイア様による本人確認の結果、エリアナ様は考える時間を希望されたため、紹介文案の配布は保留となりました」


 読み上げが終わる。


 審議卓には、三枚の紙が並んでいた。


 紹介文案。

 家宛て打診文。

 ミレイアが差し込んだ確認欄。


 その白い空欄だけが、妙に目立つ。


「ご本人を傷つける意図はございませんでした」


 婦人が、ようやく口を開いた。


「親切から出た配慮でございます。表の場で急に確認すれば、ご本人が困惑されると考えたまでで」


「紹介文案も、あくまで仮です」


 進行補佐が続ける。


「正式な決定ではございません」


 ミレイアは、紹介文案の上に差し込み紙を重ねた。


 ぴたり、と紙が鳴る。


「本人確認欄が空白です」


 それだけだった。


 婦人の扇が止まる。


 ミレイアは、もう一枚を指先で押さえる。エリアナの名前が入った紹介文案。その下には、柔らかな笑顔、子どもたちに安心を与える、奉仕茶会にふさわしい案内役、という文言が整いすぎるほど綺麗に並んでいた。


「ここに本人の返事はありません」


 声は低い。


「でも、文章の中では、もう案内役になっています」


「ですから、仮案で」


「仮案でも、回れば空気になります」


 婦人の口元が、わずかに引きつった。


 ノアが、家宛て打診文を持ち上げる。


 上等な紙だ。文面も礼儀正しい。だが、本人の返事だけが入っていない。


「主語が『善意』の書類は、監査上はただの不祥事です」


 ノアは、打診文の余白を爪で軽く叩いた。


「名前がないので」


 進行補佐の喉が鳴った。


 助祭の微笑が、ほんの少し薄くなる。


「不祥事などと、そのような」


「では、名前を書けばよろしい」


 セレフィーナが言った。


 審議室の空気が、重く沈む。


 セレフィーナは、紹介文案を引き寄せた。赤ペンはすでに手の中にある。


「非公開の配慮ほど、押しつけに向いているものはありません」


 扇の骨が、婦人の指の中で小さく鳴った。


「誰が何を言ったのか残らない。本人がいつ知ったのか残らない。断りにくくなるまで、誰が空気を固めたのかも残らない」


 セレフィーナは、家宛て打診文に赤を入れた。


 ご本人のご負担にならぬよう。


 その文言を、赤い線がまっすぐ貫く。


「記録のない親切は、あとから責任を持ちません」


「親切まで疑われるのですか」


 助祭が静かに言った。


 セレフィーナは、顔を上げる。


「疑われたくない親切ほど、記録に残してください」


 助祭の指が、控えの端を押さえた。


 その時、ルシアンが席を立った。


 審議室の視線が、一斉にそちらへ流れる。


「非公開調整そのものを禁じるわけではない」


 関係者の顔に、わずかな安堵が走りかけた。


 しかし、ルシアンは続けた。


「ただし、本人に影響する調整は記録対象とする。王都側も例外なく対象だ」


 安堵が、途中で固まる。


 王都側も例外なく。


 その一言で、進行補佐の指が資料の端を強く押さえた。紙が少し歪む。


 ルシアンは、審議卓に置かれた紹介文案を見る。


「静かに進める必要がある案件ほど、後から追える形にする。そうでなければ、静けさは責任の逃げ場になる」


 セレフィーナは、新しい紙を卓上へ滑らせた。


 非公開調整記録欄。


 赤い表題が、審議卓の中央で生々しく光る。


 発言者。

 共有先。

 本人通知日時。

 本人返答。

 返答前作成文書。


 細い枠線が、紙の上で檻のように並んでいた。


 婦人の扇が、膝の上で動かなくなる。


「そこまで記録されれば、内々の相談がしにくくなりますわ」


 セレフィーナは頷いた。


「はい」


 短い返事だった。


 そのための紙だと、言わなくても伝わった。


 進行役がルシアンへ視線を向ける。


 ルシアンは、はっきりと頷いた。


「本件は正式記録へ添付する。今後、本人に影響する内々調整は、非公開であっても記録対象とする。紹介文案の配布は、本人確認後まで保留」


 進行役が羽ペンを取った。


 議事録へ書き込む音が、かり、と響く。


 ミレイアは、紹介文案の上に置かれた確認欄を見た。


 エリアナの返事は、まだ空白のままだ。


 だが、その空白の上に、もう誰も勝手な文言を載せられない。


 婦人は、不満を飲み込むように扇を閉じた。進行補佐は、写しの束をそろえ直す。助祭は微笑を戻そうとして、わずかに遅れる。


 セレフィーナは、非公開調整記録欄を紹介文案の上へ重ねた。


 赤い枠線は、まだ乾ききっていない。


 審議室の清潔な空気の中で、そのインクだけが、鼻につくほど生々しい匂いを放っていた。

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