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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【450万PV感謝】  作者: 星渡リン
第3部 第5章 王都の改革では足りなかった

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第80話 王都の改革では足りなかった

 臨時執務室の机には、王都の「完成された盾」と、地方の「泥にまみれた楔」が並んでいた。


 罫線の整った王都版の様式を、セレフィーナは迷わず机の端へ追いやった。紙の質も、字の並びも、署名欄の位置も美しい。王都の執務室なら、それだけで正しさの顔をして通っただろう。


 その隣にある仮案は、ひどく不格好だった。


 ノアの殴り書き。イレーネの数字。ミレイアの小さな追記。ルシアンが差し込んだ王家側確認欄。余白には何度も線を引き直した跡があり、端には橋の上でついた汚れまで残っている。


「捨てるわけじゃない」


 セレフィーナは、王都版の様式を指で押さえた。


「これで守れたものは確かにあるわ。けれど、このままでは橋を渡れない」


 ノアが、風でめくれかけた仮案を骨張った指で押さえつける。


「王都の役人が好む『柔軟に』なんていう綺麗事は、ここへ着く頃にはただの呪いに化けますからね」


 彼は王都側の文面を指先で弾いた。


「禁止はしません。使いたいなら使えばいい。ただし、意味を吐かせましょう。柔軟にと書くなら、誰が責任を負い、誰が費用を出し、誰が止める権限を持つのか。署名欄という檻に入れなければ、彼らはまた無責任な善意を垂れ流します」


「言い方が悪いわね」


「内容が悪いので」


「否定できないのが腹立たしいわ」


 セレフィーナは赤いペンを取った。


 ミレイアが、フィオナの紹介文控えを胸元で抱え直す。あの紙には、何度も折り目を伸ばした跡があった。


「“考えます”を、正式な返事として認めてください」


 静かな声だった。けれど、そこに迷いはない。


「笑顔で即答できる子ほど、考える時間を奪われた瞬間に潰れます。相談しただけで『非協力的な家』と見なされる恐怖を、まず取り除かなければ」


 セレフィーナは仮案の余白へ短く書き込む。


 考慮期間。正式回答として扱う。


 イレーネがすぐに別紙を滑らせた。数字が詰め込まれた、あまり美しくない紙だ。


「人手と費用は先に見せてください。あとから“軽微”と言われても、現場ではもう削られた後です」


「時間も?」


「入れてください。王都の一行が、地方では夜を一つ潰します」


 セレフィーナのペン先が強く走る。


 費用。人手。時間。王都側記入必須。


 ルシアンは黙っていた。


 机の端には、王家印の入った旧来の承認控えがある。その白い余白を、彼はしばらく見下ろしていた。やがて、汚れの残った手袋のままペンを取る。


「机の上だけで承認印を踊らせるのは、もう終わりだ」


 声は低かった。


「次からは、現場の時間を直接見る。王都の“軽い追加”が誰の食事を冷まし、どの補修を遅らせるのか。確認なしの印は押さない」


 彼は王家側の書類へ、ぎこちないほど強い筆圧で書き込んだ。


 現場確認役、必置。

 未確認の追加承認、不可。


 白い紙に、手袋の汚れが薄く移る。


 ノアがそれを見て、ペンを回した。


「殿下の書類に泥がつきましたね」


「構わない」


 ルシアンは紙から目を逸らさない。


「これくらい付いていた方が、見落とさずに済む」


 部屋の空気が、わずかに変わった。


 綺麗な反省はいらない。けれど、この泥を嫌がらないなら、彼はもう少し先へ進める。


 セレフィーナは仮案の中央を叩いた。


「三本に絞るわ」


 全員の視線が集まる。


「本人の意思を先に拾うこと。費用と人手を先に見せること。そして、断った家を不利益扱いしないこと」


 イレーネが頷いた。


「その三つなら、小家でも意味が取れます」


「書ける?」


「補助があれば」


「補助は入れる」


 ミレイアが口を開く。


「“考えます”も、その中へ」


「入れるわ。本人の意思を拾うために必要だもの」


 ルシアンが短く言った。


「費用と人手の欄は、王都側にも書かせる。地方に丸投げしない」


「当然」


 ノアが空白の紙を引き寄せた。


「名前を」


「今いる?」


「名前のない書類は探せません。探せない書類は存在しなかったことにされます」


「嫌なことを正しく言うわね」


「得意です」


 セレフィーナは迷わなかった。


「橋渡し確認書。仮名で十分よ」


 ノアがその名を書きつける。


 橋渡し確認書。


 少し柔らかな名前の下に、まったく柔らかくない三条件が並んだ。


 セレフィーナは、その下へさらに書き込む。


 三条件未確認の依頼は、地方側へ送付しない。


 イレーネの目が鋭くなる。


「かなり強いです」


「弱い紙では、また誰かが夜を潰すわ」


 ミレイアが、フィオナの紹介文控えをそっと置いた。


「本人意思先行の例として使えます。名前は伏せてください」


「もちろん」


 イレーネも実務記録を重ねる。


「負担偏りの例はこちらを。フォルク家の家名は出して構いません。数字で示した方が早いです」


「本当に?」


「はい」

 イレーネは即答した。

「感じが悪いと言われるなら、せめて正確に嫌われます」


 ノアが肩を震わせた。


「嫌われ方まで精密ですね」


「黙ってください」


「はい」


 セレフィーナは、右上に赤を入れる。


 試験運用。地方合同親善行事本番より適用。


 その一行を書いた瞬間、紙の顔が変わった。


 案ではなくなる。

 動くものになる。


「本番に入れるのですか」


 イレーネが問う。


「机の上で寝かせる余裕はないわ」


「明朝までに各家へ写しを回す必要があります。本人意思確認の再実施、実務負担の確認、費用負担の明示。今日中に運営控えへ差し込まなければ間に合いません」


「なら、今夜は寝られませんね」


 ノアが新しい紙束を引き寄せた。


「今回は、寝られない理由をこちらで選ぶのよ」


 セレフィーナは言った。


「押しつけられた照会で夜を削るのではなく、押しつけを止める紙を作るために使う。ずいぶん違うでしょう?」


「非常に性格の悪い違いです」


「褒め言葉として受け取るわ」


 ミレイアは紹介文控えを本人名を伏せた形へ直し始めた。イレーネは数字を整える。ルシアンは王家側の承認経路を書き換え、ノアは写しの宛先を素早く振り分けていく。


 全員が話すのをやめた。


 紙をめくる音。ペン先が走る音。時折、誰かが短く確認する声。

 それだけが、臨時執務室に重なっていく。


 もう、正しさを語っている時間ではない。


 動かす時間だった。


 セレフィーナは、橋渡し確認書の右上へもう一度赤を重ねた。


 王都の改革では足りなかった。


 その言葉を、口にしたのは一度だけでいい。


 足りなかったなら、足す。

 届かないなら、届く形へ作り直す。

 途中で毒に変わるなら、その途中に刃を置く。


「ノア、写しを三通。殿下、承認経路を今日中に。イレーネ、負担例は数字を丸めないで。ミレイア、本人名は伏せて」


 返事が重なる。


 セレフィーナは新しい紙の最初の行へ、迷わずペンを落とした。


 橋渡し確認書、仮運用申請。


 夜は、まだ終わらない。

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― 新着の感想 ―
AIを使うのは分かったからチェックぐらいしなよ
 夜は、まだ終わらない。 噺はまだまだまだ…まだまだまだ…終わらない?
79話との間違い探し?
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