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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【450万PV感謝】  作者: 星渡リン
第3部 第4章 小さな家は悪役にしやすい

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第76話 地方の空気は、王都より逃げ場がない

 赤い線で押し戻した責任は、紙の上では消えた。


 けれど、その夜の応接室には、まだ昼間の会合でこぼれた安っぽい悪意が、澱のように残っていた。


 控えの束を見下ろすイレーネの指が、紙の端を白くなるほど押さえている。フォルク家への一次窓口案は持ち帰り。正式提案には、権限と費用と責任所在の明記が必要。口頭での仮置きは不可。


 そこまで記録に残したのに、彼女の顔は軽くならない。


 フィオナもまた、ミレイアの隣で膝の上の紹介文を伏せていた。余白には、小さく書き足された文字がある。


 本人意思確認、未了。


 昼間の会合でひとつ止めた。

 押し出される笑顔も、押しつけられる責任も、紙の上では止められる形にした。


 それでも、二人はまだ何かを背負っている。


「……王都なら」


 イレーネが、絞り出すように言った。


「嫌われても、まだ群衆に埋もれられるのでしょうね。別の会合へ出れば、別の顔を見せる余地がある。でも、地方では違います」


 彼女は窓の外、暗い庭へ視線を投げた。


「一度ついた家の顔は、なかなか剥がせません。……フォルク家は細かい。協力的ではない。侯爵家を後ろ盾にしている。そう言われれば、次の取引も、神殿への手続きも、祭事の席も、すべてに薄い膜が張ります」

 イレーネの指が、控えの端をさらに押す。

「私が感じ悪く見えるだけでは済まないのです」


 その言葉の重みが、部屋の中へ落ちた。


 フィオナが、膝の上の紙をそっと撫でる。会場で見せていた人形のような笑みは、もうない。


「……わかります」


 小さな声だった。


「断れば、次から家ごと“扱いにくい”と噂されます。声がかからなくなれば楽になる、というものでもありません。あの家は呼びにくい、親善に向いていない。そういう形で、別の噂になります」

 フィオナは伏せた紹介文を見つめた。

「私ひとりが笑えば済むのなら、その方がずっと楽だと思ってしまうんです」


 ミレイアが唇を噛んだ。


 鏡の前で笑えなくなっていたフィオナ。

 責任を押しつけられそうになっていたイレーネ。


 二人の背負うものの重さが、ようやく一つの形になって部屋に現れた。


 ノアが机の上の所感の写しを、汚物でも見るように指先で弾いた。


 そこには、昼間の扇の陰で吐かれた言葉が、丁寧な文字で残っている。


 小さい家ほど、守っていただけると楽ですわね。


「王都は個人に役を押しつけますが、地方は家そのものを役に染め上げる」

 ノアの声は、妙に冷たかった。

「……逃げ場がありませんね」


 その一言は、冷たい指先で喉元をなぞるような響きがあった。


「王都より性質が悪いわね」


 セレフィーナの声は、自然と冷えた。


 机の上に、二つの紙がある。

 フィオナの紹介文。

 フォルク家の調整記録。


 片方は笑顔を家の顔にする紙。

 もう片方は責任を家の仕事にする紙。


「剥がしてもまた貼られるなら、貼る側の手を止めるしかないわ」


 セレフィーナは白紙を引き寄せた。


 さらりとした上質紙。まだ誰の悪意も染みていない紙だ。


「王都側が“お願い”と呼ぶ毒を、地方が“断れない義務”として飲み込む。その変換経路に、フィルターを噛ませる」


 ペン先を紙へ突き立てる。


 インクが深く沈んだ。慰めの言葉ではない。相手の綺麗な建前を、実務の刃で切り開くための一行だった。


 拒否または辞退を、当該家の親善姿勢および協力度に関する不利益評価へ用いないこと。


 イレーネの喉が、かすかに動いた。


「それは……断った後に、何も失わない形を作るということですか」


「ええ」

 セレフィーナはペンを止めない。

「断る権利だけなら、ただの飾りよ。断っても家格を人質に取らせない。そこまで書いて初めて、対等な交渉になる」


 次の行へ筆を進める。


 本人意思の確認。

 決定権限と費用負担の明記。

 責任所在の明文化。


 ひとつひとつを長く読み上げる必要はない。ペンが紙を削る音だけで十分だった。その音は、王都の横暴を折るための冷たい工具の音に似ていた。


「……これがあれば」


 フィオナが、自分の紹介文を見つめる。


「私は、“考えます”と言ってもいいのでしょうか。笑わずに、時間をいただいても?」


「もちろん」

 セレフィーナは顔を上げた。

「考える時間を奪う方が、よほど不作法なのよ」


 フィオナの口元に、ごく小さな笑みが浮かんだ。会場で作っていたものより弱い。けれど、借り物ではなかった。


 イレーネもまた、自分の実務記録を机に置く。


「フォルク家の記録も使ってください。どの業務が、どの家へ、どの理由で偏っているか。数字で裏付けを出せます」


「お願い」


 セレフィーナは頷いた。


 イレーネの声には、もう被害者の影はない。自ら線を引く側の、鋭い響きが戻っている。


「王都の“お願い”に添付する、毒抜きの説明書ですね」


 ノアが愉快そうに笑う。


「いいえ」

 セレフィーナは、もう一枚の白紙を引き寄せた。

「毒見役を、送り手に押し戻すだけよ」


 王都では、人が役にされる。

 地方では、家に染みる。


 ならば、染みる前に止める壁を築く。


 セレフィーナは、新しい紙の上へ、もう一度同じ一行を書き始めた。


 拒否を、不利益評価に用いないこと。

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