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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【450万PV感謝】  作者: 星渡リン
第3部 第4章 小さな家は悪役にしやすい

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第75話 その家に押しつけないで

 最終調整会の机に、新しい紙束が置かれた。


 地方側一次取りまとめ候補。

 その欄の横に、フォルク家の名が薄い墨で書き込まれている。


 「窓口」という言葉が出た瞬間、王都側補佐の口元に、ほんの薄い笑みが浮かんだ。


 丁寧で、穏やかで、腹立たしい笑みだった。


 名目は円滑化。

 けれどその紙束の厚みには、未整理の照会も、遅延も、差し戻しも、苦情も、全部まとめて小さい家へ流し込む重さがあった。


 イレーネの指先が、紙の端で止まる。


「地方側からの追加照会につきましては、窓口を一本化した方が円滑かと存じます」


 補佐は、聞き取りやすい声で続けた。


「フォルク家には、すでに細部をご確認いただいておりますし」

 年長の婦人が、当然のことのように言う。

「地方事情にも明るくていらっしゃる。適材適所ですわね」

「ええ。何かあった場合の一時窓口としても、実務に慣れた家の方が安心ですもの」


 安心。


 フィオナの笑顔を削った時と同じ言葉が、今度はイレーネの家へ向けられている。


 笑える子には笑顔を。

 数えられる子には責任を。


 役の置き方だけは、いつも見事だった。


「一次窓口となる場合、決定権限の範囲を確認させてください」


 イレーネは慎重に言った。


 いつもの鋭さを、あえて鞘に収めた声だった。


 だが補佐は、聞かなかった。


「そのあたりは、まず運用しながら柔軟に」


 ぺらり、と次の資料をめくる。


 その乾いた音が、イレーネの問いを机の端へ払い落とした。


「では、地方各家への共有手順についてですが」


 きれいに無視した。


 礼儀正しく、穏やかに、イレーネの問いなど最初から席についていなかったかのように。


 セレフィーナは、その瞬間に口を開いた。


「その家に押しつけないで」


 声は高くない。


 けれど、補佐の指が止まった。

 婦人の扇が半端な角度で固まる。

 イレーネが、ゆっくりこちらを見る。


 セレフィーナは席を立たず、フォルク家の名を指で押さえた。


「『適材適所』なんて、便利な言い換えですわね」

 笑わずに言う。

「反論しにくい小家へ、面倒事を掃き寄せているだけでしょう」


 補佐の笑みが、薄く強張った。


「そのような意図では」

「意図の話に逃げないでください」

 セレフィーナは遮った。

「結果として、フォルク家へ一次窓口、追加照会、地方各家への共有、当日不備の受け皿が寄っています」


 補佐の男は、答えを探すように手元の白紙を凝視した。


 そこに助けなど書いていないことを知りながら、視線を泳がせることしかできない顔だった。


「家格の差を前提にした調整を、親善の顔で進めないでください」


 年長の婦人が、ぎこちなく笑う。


「まあ、アシュクロフト侯爵令嬢。少々大げさではありませんこと」

「大げさではないなら、正式記録に残して問題ないはずです」


 セレフィーナは補佐へ視線を向けた。


「アシュクロフト侯爵家の名代として確認します。フォルク家へ地方側一次窓口を委ねるのであれば、正式提案として書面に起こしてください」

 紙の端を押さえる。

「決定権限。差止権限。追加費用の負担者。不備発生時の責任所在。王都側指示と地方側判断に齟齬が出た場合の優先順位。すべて明記を」


 補佐の喉が、かすかに動いた。


「そこまでの話では」

「では、口頭で小さい家へだけ渡すのはおやめください」


 短く切る。


「記録に残せない提案を、断りにくい家へ流すのは、調整ではありません」


 ノアが少し離れた席で、ひどく楽しそうに目を細めた。


 声には出さない。

 けれど、その顔が言っている。


 ようやく刃を抜きましたね。


 セレフィーナは、赤字の控えを引き寄せる。


「責任のみを仮置きする調整は、すでに不可として記録しています。初動担当とする場合、当該業務の決定権限および差止権限を同時に付与すること。責任のみの仮置き不可」


 赤い文字は、今日もよく目立った。


 ミレイアが、フィオナの紹介文を静かに伏せる。

 あの紙の余白にも、今は小さな印がある。


 本人意思確認、未了。


 押し出される側にも、引き受けさせられる側にも、同じものが必要だった。


 同意と権限。

 それがない役は、どれほど綺麗な名前をつけても押しつけでしかない。


 ルシアンが口を開いた。


「記録へ残せ」

 王家側の席から、低い声が通る。

「提案者、権限範囲、費用負担、責任所在をすべて。フォルク家へ一次窓口を求めるなら、王都側の承認印も添える」


 補佐の顔色が変わった。


「殿下、仮案でございますので」

「仮案だから残す」

 ルシアンは言った。

「本案になってからでは遅い」


 記録係のペン先が紙を削る乾いた音。

 それが、補佐の男にとっての処刑宣告に等しいことを、その場にいる全員が悟っていた。


「……承知いたしました」

 補佐はようやく言った。

「本件は、正式案として整理の上、改めて各家へ確認いたします」


 つまり、引いた。


 今この場で、フォルク家へ口頭で責任を流す道は塞がれた。


 イレーネは動かなかった。

 いつもならすぐ控えを確認するはずの指が、紙の上で止まっている。


 庇われ慣れていない人の沈黙だった。


 セレフィーナは、何も足さなかった。


 礼を求めるために止めたのではない。

 助けた姿を見せつけるためでもない。

 目の前で雑に重ねられようとしていた責任を、正しい場所へ戻しただけだ。


 フォルク家の欄から「一次窓口」の仮置きが消される。

 赤い線が引かれ、紙の上で責任の流れが一度止まった。


 けれど、場の濁りは別の形で残る。


「そこまでの話でしたかしら」

 誰かが扇の陰で囁く。

「侯爵家が出られると、話が大きくなりますわね」

「フォルク家も、ずいぶん心強い後ろ盾を得ましたこと」

「小さい家ほど、守っていただけると楽ですわね」


 イレーネの背筋が、わずかに固くなる。


 セレフィーナは、その声の方を見なかった。


 見る価値もない。


「記録係」

 淡々と呼ぶ。


 扇の陰の声が止まった。


「先ほどの発言も、所感として残してください」

「え……」

「侯爵家の介入により話が大きくなった。フォルク家が後ろ盾を得た。小さい家ほど守られると楽である」

 セレフィーナは微笑んだ。

「いずれも、この調整の受け止めとして重要です。親善行事の空気を正確に残すには、必要でしょう?」


 記録係の筆が、再び動く。


 さらさらと、紙を走る音。

 今度は扇の陰が完全に静まり返った。


 ノアが俯いている。

 肩がわずかに震えているのは、笑いを堪えているのだろう。


 ルシアンは何も言わない。

 止めもしない。


 イレーネが、ようやくセレフィーナへ視線を向けた。


 その目は揺れていた。

 自分に貼られた評価札を、誰かが勝手に剥がし、しかも貼った相手の指先まで記録に残した。そんな場面を初めて見た人の目だった。


「……承知しました」


 イレーネは小さく言った。


 何に対する返事なのか、セレフィーナにはわからなかった。

 それでよかった。


 会合は中断された。


 フォルク家への一次窓口案は持ち帰り。

 正式提案には、権限と費用と責任所在の明記が必要。

 口頭での仮置きは不可。

 扇の陰で吐かれた安っぽい悪意まで記録済み。


 セレフィーナは席に戻り、赤いペンの蓋を閉めた。


 かちり、と小さな音が鳴る。


 それから、赤字が引かれた資料をノアへ放った。


「この所感、写しを三通」

 セレフィーナは言った。

「一通は王家側記録へ。一通は親善行事の運営控えへ。もう一通は、各家確認用の添付資料に入れて」


 ノアが受け取った紙の端を見て、目を細める。


「扇の陰のご発言まで、各家に回しますか」

「ええ」

 セレフィーナは、指先に残った赤いインクを見た。

「親善の空気を正確に共有するためですもの」


 赤はまだ、爪の横に薄く残っていた。

 次に汚れるのは、彼女の指ではない。

 この紙を受け取る者たちの、整った顔の方だ。

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