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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【450万PV感謝】  作者: 星渡リン
第3部 第3章 親善という名の序列

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第70話 柔らかい子が選ばれる

 控え室は、花より香油の匂いの方が強かった。


 丸卓の上には、挨拶順の控え、立ち位置の図、紹介文の清書前案。上等な紙は薄くて軽いくせに、そこへ載せられた役目だけが嫌に重い。


「ルベール家のお嬢様が前に立ってくださると、場が締まりますわね」

「ええ。こういう役は、似合う方にお願いするのが一番ですもの」


 それだけで十分だった。


 フィオナの指が、紹介文の紙を掴んだまま離れない。爪のきわが白くなっている。笑おうとしている口元より先に、そちらが目についた。


「私でお役に立てるのでしたら」

 フィオナはきちんと返した。

 けれど、言葉の最後が少しだけ遅れる。笑顔を作るのに、毎回ひと呼吸ぶん余計にかかっていた。


 ミレイアは、それを見ていた。


 紙を渡される。

 褒められる。

 笑って受ける。

 その繰り返しのたびに、フィオナの返事は少しずつ鈍くなる。


「フィオナ様」

 ミレイアは立ち上がった。

「会場までの導線、先に一度だけ見ていただけますか」

「あ……はい、もちろん」

「まあ、助かりますわ」

 婦人たちは気軽に頷いた。

「立ち位置は大事ですものね」


 その言い方に、ミレイアは奥歯を噛みしめた。


 控え室を出る。

 香油の濃い匂いが背中の方へ遠ざかり、廊下の冷たい空気が肺へ入ってきた。二人は並んだまま歩く。足音だけが細く響く。


 しばらく進んだところで、ミレイアは前を向いたまま言った。


「断った時のことを考えて、苦しくなっていませんか」


 隣の気配が止まった。


 フィオナは、息を吸って、それを吐くタイミングを失ったような間を作った。握っていた紙の端が、かさりと擦れる。


「皆さん、悪気はないんです」

 やっと出た声は、小さかった。

「期待してくださっているのも、わかるんです。ありがたいとも思っています」

 二歩、三歩。

「でも……」

 そこで言葉が切れる。

 また紙が擦れる音がした。

「似合うって言われるほど、嫌だって言いにくくなるんです」


 ミレイアは足を緩めた。


 廊下の窓から、午後の光が細く差している。そこへ立ち止まると、フィオナの横顔が白く見えた。疲れている顔だった。泣きそうでも怒っているでもない。ただ、ずっと笑っていた人の顔だ。


「『柔らかい』なんて、便利な言葉」

 ミレイアは低く言った。

「自分たちが悪者になりたくなくて、笑うしかない子をそこへ押し込んでるだけです」

 フィオナが、目だけでこちらを見る。

「前に立てるからじゃありません。断ると、自分の方が場を壊したみたいな気分になる子へ回しているんです」


 フィオナはすぐには答えなかった。

 ただ、持っていた紙を胸元へ寄せる。抱えるみたいに。


「……笑っていた方が、早く終わるでしょう」

 ぽつりとこぼれる。

「皆さんも安心なさるし、空気も悪くならないし」

 唇を噛み、すぐに離した。

「そうしているうちに、自分でも、じゃあ私でいいのかなって思うんです。思わないと、立っていられなくて」


 ミレイアはそれを聞いて、胸の奥がざらりとした。


 わかる。

 わかるけれど、その一言で片づけたくない。

 この子は、わかるで済ませたまま押し出されていい子ではない。


「それ、立っているんじゃありません」

 ミレイアは言った。

「立たされてるんです」


 フィオナの足が止まる。


 廊下の突き当たりには、小さな飾り鏡が掛かっていた。通りすがりに身だしなみを確かめるためのものだろう。二人の姿が半分ずつ映っている。


「私」

 フィオナは鏡を見ないまま言った。

「前に立つこと自体が嫌なわけではないんです」

「ええ」

「でも、先に“あなたでしょう”って決められると、息が浅くなります」

 そこでやっと、かすかに笑った。

「こんな顔で言っても、説得力がないですよね」


 ミレイアは即座に首を振った。


「その顔だからこそ、でしょう」

 少しだけ語気が強くなる。

「その顔をしてくれるから、皆さん平気で載せるんです」


 フィオナは黙った。

 黙ったまま、ゆっくり鏡の方へ顔を向ける。


 ミレイアは一歩引いた。

 もう、これ以上は言わない方がいいとわかったからだ。


 フィオナは鏡の前で、一度だけ笑ってみせた。


 口角は綺麗に上がった。

 けれど目が死んでいた。

 その顔は、ほんの一息も持たなかった。


 フィオナはすぐにそれを消した。鏡の中の自分を見るのをやめ、握っていた紙を折りそうなほど強く掴む。


 ミレイアは、何も言わなかった。


 もう十分だった。

 あの笑顔は、前へ出る人の顔ではない。

 前へ出るよう押し込まれた人の顔だ。

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― 新着の感想 ―
63話と内容一緒ですよ…
猫を被った向上心がある控えめ令嬢はいないのかな? とするならばある意味で配置を考えてる人たちは見る目があるなーと少し関心しました。 退かれる立場に置かれた女性はどなたも自立して仕事はできるイメージは伝…
似たような展開が続いているように感じますが、、、
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