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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【450万PV感謝】  作者: 星渡リン
第3部 第1章 王都の外にも台本はある

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第61話 橋の向こうの書類

 昼を少し過ぎた頃、王都屋敷の執務室へ、分厚い書類束が運び込まれた。


 机の端へ、さっきまで見ていた控えを寄せる。紙の角が擦れ、乾いた音がした。新しく置かれた束は重い。揃えた端が妙にきれいで、その几帳面さがかえって癪に障る。封を切る前から、インクの新しい匂いが鼻についた。


「地方合同親善行事の件にございます」

 家令補が一礼する。

「王都と各領の合同準備局より。ご確認と、ご助言をいただきたく」


 封書の宛名には、きっちりと肩書きが添えられていた。


 地方・王都間調整補佐

 アシュクロフト侯爵令嬢 セレフィーナ殿


 肩書きだけはずいぶん立派になったものね。

 そのぶん、投げ込まれる毒も手の込んだ形になったらしい。


「表紙の体裁だけは整えてきたわ」

「中身はだいたい逆でしょうね」

 窓際のノアが言った。

「立派な顔をした紙ほど、嫌なものを隠しますから」

「でしょうね」


 セレフィーナは封を切った。


 最初の数枚は、案の定、反対する方が無粋に見える顔をしていた。地方との連携、若手の実務経験、神殿儀礼との調和。どこを読んでも、立派で、柔らかく、誰かの善意を前提にした書き方だ。


 けれど三枚目の半ばで、指が止まる。


 親善の趣旨にふさわしい柔らかさを備え、王都との関係を穏当に保ちうる者を優先する。


 その一文だけで十分だった。


 背筋に、冷たい虫が一匹、這い上がる。


「嫌ね」

 紙から目を離さずに言う。

「この一行だけで、だいたい何をしたいか透けて見える」


 ちょうど入ってきたルシアンが、机上の紙へ視線を落とした。


「もう届いたのか」

 手近な一枚を取り、ざっと目を通す。

「地方との接続を強めるなら、こういう行事は必要だろう。実務と儀礼を最初から分けずに整えるのも、方向としては正しい」

 そこでセレフィーナの顔を見た。

「だが、そこに混ざっている別の意図を、お前は読んだわけだな」


 その言い方なら、腹は立たない。

 見た目の必要性は理解している。だが、その裏に潜むものの輪郭まではまだ掴み切れていない。今のルシアンはその位置にいる。


「ええ」

 セレフィーナは頷いた。

「橋をかけるための行事のはずなのに、“従う側”を先に探している文よ」

「従う側」

「柔らかく、穏当に、場を和らげる人。言い換えれば、王都にとって扱いやすい人」

 紙を軽く叩く。

「違いを持ち込む人ではなく、違いを飲み込んでくれる人が欲しいの」


 ノアが肩をすくめた。


「便利ですよね。“親善向き”って言い方」

「後からいくらでも切れますもの」

 セレフィーナは次の紙をめくる。

「能力が足りなかった、ではなく、親善にふさわしくなかった。協調性に欠けた。穏当さが足りなかった。そういう顔で」

「王都語ですね」

「最悪の部類の」


 横で控えていたエステルが、ふいに紙の一箇所を指先で弾いた。


 小さな音だった。

 けれど、その硬さにセレフィーナは目を向ける。


「……この語ですわ」

 エステルは言った。

「“印象も考慮する”」

 その声音は、妙に平らだった。

「指先が覚えています。この手の語に、どれだけ切られてきたか」

 視線を上げる。

「数字より後に置かれるはずのものが、最後にはいちばん強く残るんです」


 理屈ではなかった。

 傷の形で覚えている拒絶だった。


「そうね」

 セレフィーナは短く答える。

「ここ、赤を入れる場所だわ」


 ミレイアはまだ黙っていた。

 だが彼女の目は、別の欄に止まっている。補佐役候補に求める性質、その注記だ。


「“場を和らげる補佐的資質”……」

 小さく読み上げ、それきり黙る。

 指先だけが、紙の端をきつく押さえた。

「こういうの、笑える子が引き受けることになりやすいんです」


 説明ではなかった。

 吐き捨てるには静かすぎる、でも飲み込めなかった記憶の欠片みたいな声だった。


 その時、再び扉が叩かれた。


 家令補がもう一束、薄い紙を抱えて戻ってくる。


「追加で、地方側参加候補家一覧が届きました」

「ずいぶん早いわね」

「準備局としては、こちらも合わせてご覧いただきたく」


 受け取った紙は、先ほどまでの概要書よりよほど雄弁だった。


 家名。所管地域。実務担当見込み。補佐適性。所見。


 セレフィーナは二枚目で手を止める。


 フォルク家

 地方行政・会計に通じる。実務能力高。

 ただし、親善役には不向きとの声あり。調整補助向き。


 そのすぐ下。


 ルベール家

 王都側との縁故あり。印象良好。

 場を和らげる象徴役として期待。


 耳の奥で、甲高い音がひとつ鳴った。


 会ったこともない娘たちの椅子が、もう決められている。


 フォルク家には、便利で、よく働いて、前へは出ない席。

 ルベール家には、柔らかく笑って、場の顔になる席。


 盾と飾りだ。

 よくもまあ、これほど無遠慮に値踏みできたものね。


 ノアが横から覗き込み、短く息を吐く。


「親切ですね」

「ええ」

 セレフィーナは一覧から目を離さない。

「配役表としては、だいぶ丁寧」

「フォルク家を使い勝手のいい受け皿にして、ルベール家を前へ立たせる」

「そう読めるわね」


 ルシアンも紙を受け取り、今度は黙って読んだ。

 一度読み返し、それから低く言う。


「これは所見というより、方向づけだな」

「今さら気づいた?」

「気づきたくなかった、の方が近い」

 ルシアンは紙を机へ戻す。

「だが、これは早すぎる。本人も見ていない段階で、役割だけ先に置いている」


 その言葉に、エステルがごく小さく頷く。

 ミレイアはルベール家の行から目を離さない。


 セレフィーナは一覧をゆっくり机へ置いた。


 親善。

 穏当。

 秩序。

 王都との良好な関係。


 良いことの顔ばかりだ。

 そのくせ中身は、誰が前へ出て、誰が下がるかを先に決める古い手つきと、ほとんど変わらない。


 王都の外では、台本はもっと上品になるらしい。

 断罪とも、排除とも書かない。

 その代わり、柔らかな語と礼儀の裏へ、人を押し込む席だけを先に用意する。


 フォルク家。

 ルベール家。


 まだ会ってもいない彼女たちの椅子が、もう王都のインクで汚されている。


 セレフィーナはペンを取り、深くインクへ沈めた。

 引き上げた先端は、黒く、細く、きれいだった。


 この配役表、まずはどの一行から削り落としてやろうか。

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― 新着の感想 ―
序盤、面白かったです。 頭の良さそうな文を書くのがお好きな作者様なのでしょうか? 気に入った流れや台詞を反芻させているのはそのような手法ですか?文を読むというのは難しいですね。 40話を超えたあたりか…
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