第59話 悪役のいない舞台
場は、まだきしんでいた。
さっきのやり取りで流れは止まった。だが、神殿側の補佐も、学園側の年長者たちも、止まったまま引き下がる顔をしていない。口を閉じているだけだ。腹の中では、まだ誰か一人を差し出して終わらせる算段を捨てていない。
進行役の額に、薄く汗が浮いている。
記録係のペン先だけがやけに落ち着いていて、その冷たさがかえって場を刺していた。
「失礼ながら」
学園側の年長者が、咳払いをひとつ挟んで口を開く。
穏やかな声だった。こういう声で面倒を人に押しつけてきたのだろうと、すぐわかる声だ。
「このまま進めるとして、では誰が責任を取るのですかな」
その瞬間、誰かが息を呑んだ。
来た。
最後はそこへ戻すつもりなのだ。
誰のせいで止まったのか。誰が空気を悪くしたのか。誰が退けば丸く収まるのか。
その一枚を場の中央へ置きたい。どうしても。
「記録も確認も結構」
年長者は続けた。
「ですが、実際に滞りが生じたのも事実でしょう。誰かが場を乱し、誰かが過度に身構えた。その責任まで曖昧にしたまま進めるのですか」
神殿側の年長者も、すぐに言葉を重ねる。
「穏やかに収まらぬなら、どこかで線を引くべきでしょうな」
唇の端だけで笑う。
「綻びが人にあったのなら、人へ返すのが道理ではありませんかな」
耳の奥で、細い耳鳴りが鳴った。
ああ、本当にそれしかないのね。
綺麗な笑顔のまま、最後には誰かの首へ札をかける。それで終わった気になりたいのだ。
セレフィーナは立ち上がった。
椅子が床を擦る音が、ひどく乾いて響く。
視線が集まる。
今日はその重さがむしろ心地よかった。向けられることに意味がある。逸らされる方がつまらない。
「責任?」
彼女は軽く首を傾けた。
「そんなに誰かに背負わせたいのなら、この不備だらけの進行をここまで放っておいた人間を、一人ずつ呼んできて並べましょうか」
年長者の顔から、わずかに色が引く。
セレフィーナはそのまま畳みかけた。
「確認手順を曖昧にしてきたのは誰ですの。本人の意思より“自然な流れ”を優先してきたのは誰ですの。“場のため”という便利な言葉で役をずらせるままにしていたのは、どなた?」
声は低い。
「今ここで必要なのは、犯人探しではありません」
記録机へ顎を向ける。
「そのガタついた手順を修正することよ。記録係。今の滞り、手順上の欠陥として残して」
「はい」
記録係の返事は短かった。
ペンが走る。
紙を削る音が、やけに攻撃的に響く。
神殿側の男が、苦虫を噛み潰したように口を閉ざした。
「個人へ返す?」
セレフィーナは笑わないまま言う。
「便利ですものね。誰か一人に持たせれば、あとは皆さん綺麗な顔のままで済む」
学園側の年長者が、そこでようやく声を硬くした。
「しかし、実際に滞ったのは事実でしょう」
「ええ」
セレフィーナは即答する。
「だから今、記録しているんです」
一歩だけ前へ出る。
「気に入らない人間を決めるためではなく、どこが詰まり、何を塞げば次に同じ綻びが出ないかを見るために」
何人かが反論しかけた。
けれど、そこで続かなかった。
喉元まで出た言葉を、皆きれいに飲み込んでいた。
その沈みかけた場を、今度はミレイアが踏み割った。
床板が小さく鳴る。
一歩。
その目に宿っているのは、もう以前の怯えではなかった。
「私からも申し上げます」
声は細い。だが、逃げない。
婦人たちの方へ、まっすぐ向ける。
「先ほどから、“皆のために”“場のために”と何度もおっしゃっていますね」
一拍置く。
「もう、それを優しさみたいに言わないでください」
婦人の目が、わずかに見開いた。
「選ぶ権利を奪っておいて、どの口でそれを気づかいと呼ぶんですか」
ミレイアの声は震えない。
「前へ出ることも、引くことも、自分で決められないなら、それはただの押しつけです」
さらに踏み込む。
「私たちは今日、勝手に決められるためにここへ来たのではありません」
リリアが、その言葉を聞いて顔を上げた。
袖を掴む指はまだ強張っている。だが、瞳はもう逃げていない。
神殿側の婦人が、困ったように微笑んだ。
「誤解なさらないで。わたくしたちはただ」
「誤解ではありません」
ミレイアはきっぱり遮る。
「記録にも残っています」
視線を逸らさない。
「“場のため”という言葉で、誰に何を譲らせようとしたのか。そこまで残るんです」
婦人の笑みが、そこで止まった。
横で記録係のペンがまた走る。
乾いた筆圧の音が、容赦なく会場へ刻まれていく。
その時、王家側の席でルシアンが立ち上がった。
視線が集まる。
年長者たちは、今度こそ“うまくまとめる”言葉を期待したのかもしれない。
都合のいい曖昧さで蓋をする、いつものやり方を。
だが、ルシアンの顔にはもう、その逃げ腰がなかった。
「本件は」
声がよく通る。
「個人の責として処理しない」
短く切る。
「本日の滞りは進行上の記録事項だ。責任の押しつけで収束させるな」
進行役を見た。
「予定された手順に従って続行せよ。必要な修正は、記録に基づいて後刻検討する」
余計な飾りは一つもない。
だからこそ、逆らいにくい。
王子が、“新しい形のまま進める”とここで言った。
その一言で、場の骨がごり、と鳴って向きを変えた気がした。
進行役が深く一礼する。
「承知いたしました」
再開された進行は、やはり不格好だった。
間が空く。
紙をめくる音が二度重なる。
確認の言葉も少しつかえる。
誰かを悪者にして黙らせれば、もっと早く終わっただろう。もっと見た目もよく整っただろう。
それでも、今日はその安っぽい綺麗さのために誰かを沈めない。
エステルは紙を持ったまま残る。
指の節はまだ白い。だが、その手はもう自分から書類を置くためには動かない。
リリアも残る。前へ押し出される役としてではなく、自分の返答を持つ人間としてそこに立つ。
ミレイアは二人の近くで、もう誰の都合でも黙らない目をしていた。
神殿側の男の眉間には皺が寄り、学園側の婦人は笑顔のまま扇の骨をきつく押している。
実にいい気味だった。
するすると滑らない。
ひっかかる。
時間もかかる。
それでも、誰か一人が泣いて終わるより、よほどまともだ。
セレフィーナはその進行を見ていた。
少し手間がかかる。
少し見苦しい。
でも、そんなことはどうでもいい。
あの連中の“上品な笑顔”が、少しずつぐしゃぐしゃに崩れていく。
その様子を真正面から眺められるのだから。
最高に趣味の悪い舞台だわ、とセレフィーナは思った。
でもその方が、ずっとましだった。




