第57話 新しい場の幕が上がる
式場の扉が開く前の、この白々しい静けさが嫌いだった。
花の置き方まで行き届いた美しさは、いつだって誰かに沈黙を強いてくる。整えられた場ほど、「ここでは波立てないでください」と無言で命じるものだ。
だが今日は、その床板の下に別の仕掛けを埋めてある。
セレフィーナは式場へ入るなり、まっすぐ記録机を見た。
記録係が二名。新様式の束が整然と置かれている。進行表も掲示済みだ。保留の扱いも、提案者名も、根拠欄も、見えるところへ並んでいる。
味気ない。
だからいい。
今日は、その味気なさで連中の喉を塞ぐ。
「記録係、配置済みです」
学園側の実務係が報告した。
「確認手順も予定どおりに」
神殿側の補佐の口元が、そこでわずかに引きつった。
その苦虫を噛み潰したような顔を、セレフィーナは最高の肴として眺めてやった。もっと嫌がればいい。ここまでは、まだ紙の匂いしかしない。
彼女は、会場全体を見渡せる席へ深く腰を下ろした。進行役の手元も、記録机も、神殿側の年長者たちの顔もよく見える。誰の口角が先に震えるかまで拾える席だ。
少し先では、ミレイアがエステルとリリアの間へ自然に入っていた。
「順番どおりなら、先に確認が入ります」
静かな声だった。
「答えは急がなくていいです」
リリアが小さく頷く。
エステルは式次第の控えを握りしめたまま、短く息を吸った。拳は白くなるほど強い。だが、その震えは逃げ出すためのものではなかった。
そのまとまりの外側で、ノアが腕を組んでいる。
視線だけがよく動いた。進行役、記録机、神殿側の席。どこで誰が順番を飛ばしたがるか、もう数えている顔だ。
さらに奥では、一部の貴族と神殿側の年長者たちが、礼儀正しい笑みのまま忙しく目を走らせていた。記録机を見る。進行表を見る。エステルたちの位置を見る。露骨には動かない。だが、どこかで前の流れへ戻す隙を探しているのが丸見えだった。
そこへ、ルシアンが入ってきた。
視線が一度、記録机へ落ちる。次に進行役の前の紙へ向く。歩みは止まらない。そのまま王家側の席へ着いた。
ようやく、あの顔で座れるようになったのかと、セレフィーナは思う。遅い。けれど、遅いまま逃げ続けるよりはずっとましだ。
進行役が中央へ出た。
紙を開く音が小さく響く。
「……なお、保留は不誠実と見なされず、そのまま有効な記録として扱われます」
その一文が読み上げられた瞬間、会場に苦い沈黙が広がった。
誰も反論しない。
できないのだ。
なのに、やけに重い。
記録係がペンを構える。紙の擦れる音がした。神殿側の年長者の喉が、ひとつ乾いた音を立てる。学園側の補佐が、笑みを崩さないまま指先だけで袖口を直した。
効いている。
リリアの肩から、目に見えて力が抜けた。
エステルは握っていた指を、今度は紙をめくるために開いた。
ミレイアは何も言わない。ただその二人の横に立ち、必要な時にだけ言葉を差し込める距離を崩さない。
会場の空気は、前と少し似ていた。
明るすぎる光。
整えられた椅子。
人の目が集まり、誰かを役へ押し込みたがる、あの静かな圧。
似ている。
たしかに似ている。
だからこそ、どこで化けの皮が剥がれるか見やすい。
セレフィーナは肘掛けに手を置いたまま、まっすぐ前を見た。
進行役が最初の名を呼ぶ。
その声がどこでかすれるか。
神殿の男の口角が、どの瞬間に醜く歪むのか。
誰が最初に、整えた顔のまま順番を飛ばしたくなるのか。
さあ。
見届けさせてもらうわ。




