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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【第2部完結/400万PV感謝】  作者: 星渡リン
第2部 第5章 正しい形を作る人たち

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第56話 まだ終わっていない抵抗

 机の上に並んだ受理印は、どうにも縁起が悪かった。


 朱肉の色が、妙に生々しい。

 議事録の統一様式も、照会窓口も、確認文言の修正も、形の上では通っている。なのに、勝った気がしない。


 喉の奥へ、酸っぱいものがじわりとせり上がってくる。


 うまく行きすぎている時ほど、ろくなことにならない。

 セレフィーナはその嫌な勘を、もう信じることにしていた。


 そこへ、ノアが封書の束を抱えて入ってきた。


 部屋へ足を踏み入れた時の顔で、もうわかる。


「来たのね」

「ええ」

 ノアは封書を机へ放った。

「“良識あるご意見”の山です」


 セレフィーナは一番上を裂くように開いた。


 読み下る。

 数行で十分だった。


 記録ばかり増やせば善意が死ぬ。


 その一文を見た瞬間、喉元まで上がっていた酸っぱさが、一気に胸へ落ちた。


「……これ」

 紙を机へ叩きつける。

「エステルたちがいちばん苦しんだ手口じゃない」


 ノアが笑わないまま言う。


「そうですね」

「善意」

 セレフィーナは吐き捨てた。

「よくもまあ、こんな言葉を使えるわね」


 もう一通、開く。

 今度は学園側だった。


 若い者同士の自然な関係に干渉しすぎる。

 手順を増やせば現場が回らない。

 完璧を求める方が、人を苦しめる。


 整っている。

 腹が立つほど、整っている。


「綺麗ね」

 セレフィーナは紙を指で弾いた。

「どれもこれも、“自分たちは悪くありません”の顔だけは一流だわ」


 向かいで書類を読んでいたエステルが、すぐに口を開く。


「潰す気ではありません」

「ええ」

 セレフィーナは頷いた。

「通したまま、使えなくしたいのよ」


 ミレイアが、横から神殿側の文書を引き寄せた。


「こっちもです」

 紙を開いた途端、眉を寄せる。

「“余白”だそうです」

「余白?」

 ノアが覗き込む。

「曖昧な儀礼文言は、人の心を測るための余白であり、美徳である……ですって」

 ミレイアの声が少し強くなる。

「これ、ほとんどそのまま言ってます。空気で決めたいって」


 セレフィーナは紙を奪うように受け取った。


 余白。

 美徳。

 明文化できない心。


 どこまでも上品な顔だ。

 上品なまま、人の首へ紐を回してくる。


「善意で人を殺そうとするなら」

 セレフィーナは低く言った。

「こちらは正論で首を絞めるだけよ」


 その声に、ミレイアがはっと顔を上げる。

 エステルはすでに別紙へ手を伸ばしていた。


「なら、進行表も固定します」

「そこまで?」

 ノアが聞くより早く、エステルは書き始めている。

「本人確認の順番を最初に。保留は保留のまま終えられると明記。提案側は“誰が”“何を根拠に”をその場で言う」

 ペン先が紙を削る音が速い。

「旧運用へ戻る余地を、先に潰します」

「それ、相手が嫌がるどころじゃ済まないわよ」

「済まなくて結構です」


 即答だった。


 ミレイアが食い気味に口を挟む。


「そこに一文足してください」

「どこへ」

「本人確認の前です」

 ミレイアは、エステルの手元を指差した。

「“辞退は不誠実と見なさない”」

「入れます」

「あと、“皆の安心のため”みたいな文も全部消して」

「それも削ります」

「“ご負担にならぬ範囲で”も」

「危険です」

「断る側の喉が潰れるから」

「わかっています」


 二人の声が噛み合うように重なる。


 順番なんてなかった。

 役割の説明もいらなかった。

 エステルが裂いた穴へ、ミレイアが怒りごと指を突っ込んで広げていく。紙の上に、相手がいちばん嫌う形が、ものすごい速さで育っていく。


 セレフィーナはそれを見ながら、妙に落ち着いていた。


 いい。

 もっとやれ。


 その時、扉が叩かれた。


 リズが受け取り、無言で一通の書簡を差し出す。

 王家の封だった。


 ノアが先に、ほんの少し目を細める。


「来ましたね」

「ええ」

 セレフィーナは封を切る。

「これであちらも、もう知らない顔はできないわ」


 逃げ場がなくなったのだ。

 こちらが議事録も、文言も、家格の筋も、地方負担も、全部繋いで外堀を埋めた。

 ルシアンが動くなら今しかないし、動かないならその沈黙ごと敵に使われる。


 書簡を開く。


 短い。

 だが、十分だった。


 手順が増えるから曖昧へ戻せという意見は認めない。

 面倒を理由に、負担の所在をぼかす運用へは戻させない。

 公開確認会を、新様式の試験適用の場とする。


 ノアが口の端を上げた。


「ようやく腹を括りましたか」

「括らされたのよ」

 セレフィーナは書簡を置く。

「ここまで来て、王家だけ“様子を見ましょう”は通らないもの」


 ミレイアが息を呑む。


「公開確認会……」

「そう」

 セレフィーナは頷いた。

「紙の上で勝ったふりをして終わる気なら、向こうはここで様式だけ残して中身を戻すつもりだった」

「でも、公開でやるなら」

 ノアが言う。

「戻した瞬間、全員に見えますね」

「ええ」

 セレフィーナは答える。

「だから嫌がっているのよ」


 エステルのペンが止まらない。

 今度は進行順にまで赤線を引き始めていた。


「確認会用の補足を別紙で作ります」

「何を入れるの」

「発言順、読み上げ順、保留の扱い、提案者責任」

 ペン先が鋭く紙を引っかく。

「旧様式を使わせません。『その場の判断』で逃がす余地も潰します」

「それ、相手が発狂するんじゃないかしら」

 セレフィーナが半ば本気で言うと、エステルはようやく顔を上げた。


 その目に、遠慮がなかった。

 猟犬の目だ。

 獲物の喉へ、どこから食い込めば逃がさないか、それだけを考えている。


「させればよろしいのでは」


 静かな返事だった。

 そのくせ、妙に切れ味がいい。


 ノアが吹き出す。


「好きですよ、そういうところ」

「余計な感想は削ります」

 エステルが即座に返す。

「確認会の補足の方が先です」

「はいはい」


 セレフィーナは、ルシアンの書簡を机の中央へ置いた。

 全員の目がそこへ集まる。たった一通の紙なのに、もう逃げ場のない札に見えた。


「やるわよ」

 セレフィーナはインク瓶の蓋を開けた。

「公開確認会で、新様式をそのまま回す」

「そして」

 ノアが言う。

「向こうの“やっぱり従来どおりが自然でした”を潰す」

「ええ」

 セレフィーナはペン先を深く沈める。

「理屈で勝った顔をしてるだけの連中に、実際に回るところを見せてやる」


 黒い液が、ペン先から細く落ちる。


 次は、紙を作るだけでは終わらない。

 あの綺麗な言い訳を、本当に役に立たないものへ変える。

 そのための場が、向こうの手でようやく用意された。


 ありがたいことだ。


 セレフィーナは新しい紙を引き寄せた。


「確認会の進行表、書き直す」

「質問順も固定ですね」

「もちろん」

「保留を保留のまま閉じる文言も」

「最初に入れる」

「提案者責任の読み上げは」

「逃がさない位置に置くわ」


 言葉が重なり、紙が増え、インクの匂いが濃くなる。


 もう、綺麗事だけでは戻れない。

 戻らせない。


 セレフィーナは口元をわずかに上げた。


 明日、あの貼りついた笑顔がどこで割れるのか。

 公開確認会の席で、誰が最初に言葉を噛むのか。

 それを思うだけで、心臓の鼓動が不快なほどはっきり耳に響いた。

 ひどくいい気分だった。

 第2部第5章までお読みいただき、ありがとうございます。


 この章では、セレフィーナたちが「止める」だけではなく、「正しい形を作る」側へ進むところを書いていました。


 議事録、評価語、儀礼文言、地方負担。

 かなり地味な話も多かったのですが、この作品ではそういう“地味な継ぎ目”こそ大事にしたいところでした。


 そして今回、エステルやミレイア、ノア、侯爵夫妻、ルシアンも含めて、それぞれが違う形でこの問題へ関わる章にもなりました。


 ただ、まだこれで終わりではありません。

 紙の上で整えるだけでは足りないので、次は本当に“誰も引かせずに進む場”を作れるかどうかの勝負になります。


 ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。

 次章も楽しんでいただけたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
描写の重複が多い気がしますので、推敲した方が良いとは思いますが(間がもたないとかなら、モブ的な下級文官や学園の教職員達の視点など、挟んでみるのも良いかと)。 作中の状況の進捗に不満のある人は、まとめて…
更新感謝 主人公は、暗殺されないよう気をつけてね
二話続けて明日◯◯で、で終わってますが明日はいつ来るのでしょうか。39話辺りから同じ事が繰り返されていて話しの流れがわからなくなってます。
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