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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【450万PV感謝】  作者: 星渡リン
第2部 第4章 その役は渡さない

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第52話 守られた人が守る側へ

 会議が終わっても、部屋の中には嫌なものが残っていた。


 書きかけの議事録。飲み残しの茶。机に肘をついた誰かの跡。神殿の男が置いていった香の匂いだけが、まだ薄く鼻につく。


 神殿側も学園側も、ひとまずは引いた。

 だが、納得して引いたわけではない。あの責任者が襟元をいじる癖も、神殿の男の貼りついた笑みも、最後まで剥がれなかった。


 セレフィーナは、卓の上に残った控えを指で揃えた。


 紙が乾いた音を立てる。


 エステルはまだ席を立っていなかった。会議の最中より少しだけ肩が落ちている。リリアはその隣で、両手を膝の上に置いたまま、じっと机を見ていた。ミレイアはその二人から目を離していない。ノアは壁際で封筒の口を整え、リズは新しい茶を運んできた。


「ぬるくなってしまいました」

 リズが控えめに言う。

「いいわ。今は熱すぎない方が助かる」


 受け取って一口飲むと、少し渋かった。

 それが妙によかった。


「……さきほど」


 エステルが、ようやく口を開いた。


「辞退を望んでおりません、と申し上げた時」

 そこで一度、喉に引っかかるように言葉が切れる。

「喉が、思ったより動きませんでした」


 ミレイアが小さく息を漏らした。笑うほどではない。けれど、張っていたものが少しほどけた音だった。


「でも、言えました」

「ええ」

 エステルは頷く。

「言ってしまった、の方が近いですが」

 そして、少しだけ視線を伏せる。

「……あのまま黙っていた方が、きっと楽だったのでしょうね」

「それは違うわ」


 セレフィーナが返すと、エステルは顔を上げた。


「楽だったのではなく、諦めやすかっただけよ」

 セレフィーナは手元の打診文を指先で押さえた。

「それをしなかったのだから、十分だわ」


 エステルは、その言葉をすぐには受け取れないようだった。けれど否定もしなかった。少し考え込んでから、ようやく小さく言う。


「……そうかもしれません」


 その隣で、リリアがそっと口を開いた。


「私も、まだ何を選ぶのが正しいのかはわかりません」

 袖口を指で整える。その動きは会議の前より落ち着いていた。

「でも、決める前から“あなたが前にいれば場が整う”と言われるのは、やっぱり苦しかったです」

 そこで、ミレイアを見る。

「考える時間があるだけで、こんなに違うんですね」


 ミレイアは、椅子を少しだけリリアの方へ寄せた。


「違います」

 短く、はっきり言う。

「全然、違います」


 ノアが封筒の口を閉じる。紙が擦れる音だけが妙にはっきり聞こえた。


「一回は止めましたね」

 壁際から聞こえた声は淡々としている。

「でも向こうも、ここで学んだはずです。善意の顔だけでは押し切れないと」

「次は?」

 セレフィーナが問う。

「次は“盤面そのもの”をひっくり返しに来ますよ」

 ノアは封筒を指で弾いた。

「上の意向、慣例、権限。そういう札を混ぜてきます」

 少しだけ口元を上げる。

「……準備はいいですか?」


 セレフィーナが返す前に、リズが茶器を置きながら言った。


「やさしく居場所をなくされると、人は自分から退いた気持ちになります」

 その声は小さい。けれど、部屋の端までまっすぐ届いた。

「そうなると、戻るのが難しいです」


 エステルの指先が止まり、リリアもまた膝の上の手を見た。


 セレフィーナは、もう一口茶を飲んだ。

 さっきより苦く感じる。


「セレフィーナ様」


 ミレイアが呼ぶ。


 その声に、前のような遠慮はもうほとんどなかった。


「次も、私にできることをしたいんです」


 ノアが封筒を机に置く。

 乾いた小さな音がした。


 ミレイアは続けた。


「今日、リリアさんに言葉をかけた時」

 膝の上の指先が少しだけ強く組まれる。

「うまくできたかどうかはわかりません。でも、あのまま黙っていたら、あとで私が私を許せないと思ったんです」

 そこで一度、息を吸う。

「あの時、私を助けてくれた言葉を、今度は私も誰かに渡したいんです」

 目が逸れない。

「……あんな顔に、これ以上勝たせたくないんです」


 その一言は、綺麗なだけの願いではなかった。

 悔しさと、意地と、取り返したいもの全部が混じっていた。


 セレフィーナは、すぐに返事ができなかった。


 胸の奥が、思ったより強く打つ。

 驚いたのだ。

 そして、うれしかった。


 守られる側にいた人が、自分の足でそこから出て、誰かを守る側へ回ろうとしている。

 頼まれたからではない。そうしないと自分を許せないと言って。


 そんな言葉を、前の舞台は持っていなかった。


「ええ」

 セレフィーナは、ようやく頷いた。

「お願いするわ」

 ミレイアの目が少しだけ見開く。

「あなたにしか見えない顔があるもの」

「……はい」


 短い返事だった。

 けれど、そこに残っているのはもう迷いではなく熱だった。


 エステルが、そこで初めてミレイアへ目を向ける。


「先ほど」

 少しだけ言いにくそうにする。

「私があの場に残ってよいのだと、少しだけ思えました」

 視線を落とし、でも言い切る。

「たぶん、皆さまのおかげです」

「たぶんじゃなくて、そうです」

 ミレイアが言うと、エステルは困ったように、けれど前よりずっと素直な顔で頷いた。


 リリアも、小さく口を開く。


「次にまた同じようなことを言われたら」

 髪の乱れを指で整え、背筋を少しだけ伸ばす。

「その場で答えを渡さないようにしたいです」

 その声はまだ細い。

 けれど、自分の足で立つ前の声だった。

「ちゃんと考えます。私が、どうしたいのかを」


 セレフィーナは、その仕草を見た。


 ほんの少しの変化だ。

 でも、次はもう少し背筋を伸ばせるはずだと、自然に思えた。


 ノアが机の端を指で叩く。


「じゃあ、お嬢様」

「なに」

「次は茶を飲んでる余裕、ないかもしれませんよ」

 窓の外へ視線をやる。

「今日みたいに小さな会議で止まるなら、向こうはもっと大きい札を切る。面子も、手順も、上も使ってくる」

「ええ」

 セレフィーナは頷いた。

「でしょうね」

「その時、今日みたいに一言で止まるとは思わない方がいいです」

「止まらないなら、もっと大きく止めるだけよ」


 ノアが口元だけで笑う。


 セレフィーナは立ち上がった。

 椅子の脚が床を擦る音が、やけに鋭く響く。


 皆の視線が自然に集まる。


「休めるなら休みたいところだけれど」

 冷めた茶を見下ろす。

「向こうが次を選ぶ前に、こちらも選ばないといけないわね」

「ええ」

 ノアが即答する。

「向こうは、もう巻き返し方を考えています」

「なら、こちらはその上を行くわ」


 そう言って、セレフィーナは議事録の控えを閉じた。


 今日ここで止めたことを、なかったことにはさせない。

 次はもっと大きな顔で、もっと整った言葉で来るのだろう。

 それなら、その貼りついた笑顔ごと引き剥がせばいい。


 エステルが立ち上がる。

 リリアも、それに続く。

 ミレイアは最後に席を離れ、セレフィーナの横へ来た。


 その並びを見て、セレフィーナはほんの少しだけ顎を上げる。


 次は、もっと大きく崩す。

 そして今度こそ、あの整えた顔のままでは済まさない。

 第2部第4章までお読みいただき、ありがとうございました。


 この章では、セレフィーナが「見抜く人」から、実際に「止める人」へ進むところを書いていました。


 エステルには“外れる役”が、

 リリアには“前へ出る役”が、

 どちらもやさしい顔で、穏便な言葉で渡されかけていました。


 でも今回の章で書きたかったのは、

 押しつけられた役は、受け取らなければ完成しない、

 ということでした。


 セレフィーナが「その役は渡さない」と言い切ったこと。

 ミレイアが「あなたも主役にならなくていい」と、今度は誰かへ言葉を渡したこと。

 そして小さな会議の場で、“自然な流れ”として決められそうだったことを止められたこと。


 この章は、その三つをしっかり形にするための章でした。


 特にミレイアは、第1部で守られる側にいた人が、第2部では支える側へ進んでいく流れの中心にいます。

 あの時受け取った言葉が、今度は別の誰かを助ける言葉になっていく。

 そこはこの章で、いちばん大切にしたかったところの一つです。


 とはいえ、今回止められたのは、まだ“小さな再演”の一度目です。

 学園や神殿の側も、これで諦めるわけではありません。

 むしろ次からは、もっと大きな場、もっと大きな理屈で押してくるはずです。


 次章からは、いよいよ第2部後半の大きな綱引きに入っていきます。

 穏便な顔をした調整ではなく、もっとはっきりとした制度と立場のぶつかり合いになっていく予定です。


 ここまで読んでくださったこと、感想や応援で支えていただいていること、本当にありがとうございます。

 続きを楽しみにしていただけたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
着想がとても面白いです。 一部一気読みしちゃいました。 でも更新待つようになるとかなりしんどいんですね。毎回同じような処でぐるぐる回っている感じ。完結したらまた来ます!
長く続くにつれ、「これなら《守られる側》が狂言自◯した方が早いのでは?」と思ってしまいました。 あくまでも狂言自◯なので本当に死ぬ必要はない。 《退く側》でないのは、そちらの家格の方が高い事が多そうた…
相変わらずの「相手側の攻撃を待ち受ける」感じの受け身姿勢なのがただひたすらに気になりますね。また似たような展開で繰り返しの尺稼ぎをするつもりですか? と言う感想になってしまう内容ですね。 相手側に盤…
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