第51話 公開の場で言ってください
合同調整会議の会場に使われた学園の中会議室は、ひどく座り心地が悪かった。
声を荒らげれば壁に跳ね返る。けれど、小声で誰かと腹を合わせるには半端に広い。正面を向いたまま他人の顔色を盗み見て、無難なところへ話を落とし込むには、ちょうどいい嫌な広さだった。
セレフィーナは席についた時から、その部屋が好きではなかった。
卓の向こうには学園側の実務責任者と書記。隣に神殿側の調整役。関係貴族家の代理が左右に散り、少し離れた席にエステルとリリアがいる。ノアはセレフィーナの後ろ寄り、ミレイアはリリアの様子が見える位置に座っていた。
始まりは礼儀正しかった。誰も高圧的ではない。むしろ皆、穏便で、丁寧で、よく気がつく人間の顔をしていた。
それがいちばん厄介だった。
「では本日の確認事項ですが」
学園側の責任者が紙を整え、口を開く。
「今後の行事進行をより円滑にするため、補佐役務の再調整と、人員配置の見直しについてご相談できればと存じます」
来た、と思ったのはセレフィーナだけではなかっただろう。エステルの指先が一度だけ固くなり、リリアは膝の上で手を重ね直した。
「特に近頃は負担の偏りも見受けられますので」
責任者はやわらかな声のまま続ける。
「より適した配置へ整えていければと」
エステルを静かに外し、リリアを自然に前へ出す。
まだ名は出していない。けれど、方向だけはあまりにもはっきりしていた。
「少々、お待ちください」
セレフィーナが言うと、責任者の口が止まった。
怒鳴る必要はない。ここで必要なのは声の大きさではなく、相手が曖昧なまま進められなくなる一言だった。
「その再調整は、誰の申し出で行うものですか」
責任者が一瞬だけ目を泳がせる。すぐ横の神殿側の男が、貼りつけたような笑みを崩さずに口を開いた。
「誰か一人の申し出というよりは、皆さまのご負担と場の調和を考えた善意の調整でして」
「では」
セレフィーナは相手の言葉が終わる前に続けた。
「記録に基づかない主観的な判断ということでよろしいですね」
会議室の空気が、そこでぴたりと止まった。
書記のペン先だけが、かり、と紙を引っかいた。
学園側の責任者が咳払いを一つする。
「いや、主観的というわけでは」
「客観的な記録があるなら、その記録名を先に出してください」
セレフィーナは言う。
「ないのであれば、善意による印象判断として扱うべきでしょう」
神殿側の男の笑顔の端がわずかにひきつった。
「そこまで大げさな話ではございません」
「大げさかどうかは、決める前に確認することではありません」
セレフィーナは視線を逸らさない。
「人の役目と立つ位置を動かす話です。曖昧なまま通してよい話ではないでしょう」
責任者が襟元へ指をやった。苦しい時の癖なのだろう。指先が布を一度つまみ、すぐ放す。
「もちろん、ご本人方の意向を無視するつもりは」
「でしたら、先にそこを確認してください」
短く切る。
「“ある程度話が通っている”という前提で進めるのはおやめください」
書記はもう顔を上げなかった。ペン先だけが、先ほどよりはっきり音を立てている。その乾いた音に、責任者の視線が一度だけ吸い寄せられた。
記録されるのが嫌なのだ。
善意の調整のはずなのに。
セレフィーナはそこを見逃さなかった。
「ヴァレニエ伯爵令嬢」
名を呼ばれ、エステルが顔を上げる。
「あなたは、その役務整理を望んでいますか」
会議室中の目が集まった。だが、前のように、それだけで押しつぶされる空気ではない。セレフィーナがわざと皆の前で聞いたことで、もうこれは内々の気遣いではなく、当事者の意思確認になっていた。
エステルは姿勢を崩さなかった。
「私は辞退を望んでおりません」
それだけだった。
それだけなのに十分だった。
責任者がすぐに何か言おうとしたが、セレフィーナは次の名を呼ぶ。
「セヴラン嬢」
リリアの肩が揺れる。
「推薦について、現時点で受諾の意思は固まっていますか」
リリアは口を開き、閉じた。横目でミレイアを見る。ミレイアは頷かない。ただ、ここで言っていいと伝えるように、静かに見返した。
リリアは小さく息を吸った。
「私は……推薦をお受けするか、まだ決めておりません」
今度は、神殿側の男が目に見えて表情を失った。
書記のペンが走る。
かり、かり、と乾いた音が会議室に響く。
その音だけで十分だった。もう“自然な流れ”には戻れない。
責任者が苦い顔で言う。
「その、まだ打診の段階ですので、そこまで硬く」
「打診の段階なら、なおさら結論を先取りしないでください」
セレフィーナは言った。
「辞退でも了承でもないものを、そう読める形で議事へ乗せるのは不適切です」
神殿側の男が笑みを貼り直そうとする。
「誰も、そのように乱暴なことはしておりません」
「でしたら、困りませんね」
ノアが初めて口を開いた。
「今ここで、辞退でも了承でもないと明記しておけば済む話ですから」
その一言で、責任者の指がまた襟元へ伸びた。
セレフィーナはそこで、もう一歩だけ踏み込む。
「整えたいのでしたら、まず曖昧にしないでください」
静かな声だった。
けれど、部屋の隅までよく届いた。
「誰かを静かに引かせることでしか整わない場なら、その整え方の方を見直すべきです」
返事はすぐには来なかった。
窓の外では鳥の声まで聞こえそうなのに、部屋の中では書記のペン先だけがやけに大きく響く。責任者はもう、穏やかな笑みを保てていなかった。神殿側の男も、薄く開いた口をどう閉じるべきか迷っている。
エステルはまだ席にいる。
リリアも、まだ“未定”の位置にいる。
それでよかった。
大勝ちではない。
胸のすくような派手さもない。
けれど、今日この場で、勝手に話を流されて、勝手に席を失うはずだった二人は、まだここに座っている。
まずはそれで十分だと、セレフィーナは思った。
このあとの冷めた茶を飲み干すくらいの余裕は、もう見せてもいいはずだ。
彼女は背もたれに深くもたれず、ただ指先で卓を一度だけ叩いた。
「続けてください」
責任者へ向けて言う。
「今回は、本人不在の結論ではなく、確認の記録として」
責任者は返事をするまでに一拍遅れた。
その遅れだけで、今日ここで何が止まったのかは十分伝わっていた。




