第49話 その役は渡さない
王都屋敷の小会議室では、エステルが机の上の紙をきちんと揃えていた。
打診文。控え。推薦確認の書式。引き継ぎに使えそうな記録の写し。
まだ何ひとつ決まっていないのに、彼女の手つきだけが先に終わった後の形を作っている。
その静けさに、セレフィーナはぞっとした。
「勝手に終わらせないで」
思ったより強い声が出た。
エステルの指先が止まる。
セレフィーナは机の上の打診文を引き寄せた。上質な紙が指先でわずかに鳴る。
「その、明日にはもうここへ来ないみたいな手つき、やめて」
紙を見たまま言う。
「見ているだけで腹が立つわ」
エステルは口を開きかけ、閉じた。
唇の端がかすかに震える。
「……納得、しているわけではありません」
「でしょうね」
「けれど」
そこで言葉が詰まる。
セレフィーナは顔を上げた。
エステルは視線を打診文へ落としたままだった。反論を探しているのではない。自分を説得するための理屈を、必死に紙の上から拾い集めている。そんな顔だった。
「『配慮』」
セレフィーナは、その一語だけを指で叩いた。
「たったこれだけで、あなたを崖っぷちまで追い詰めたのね」
エステルが息を止める。
「私の後任では、推薦確認と儀礼接続が噛み合いません」
低い声だった。
「会合予定だけ見て人を替えたら、祝福側の席次と費用配分にずれが出ます。帳簿も進行表も、一日で狂う。……それが分かっているのに、私が引けば丸く収まる形にされるのが、悔しいんです」
ノアが壁際で持っていた書類の束を、卓へ軽く打ちつけた。
乾いた音が狭い部屋に跳ねる。
「明後日の会合です」
必要なことだけを言う声だった。
「ここを通されれば終わりだ。議事録に一行残るだけで、本人了承の調整になる」
ミレイアは膝の上の手をきつく握ったまま、窓の外を見るようにしていた。
それでも、ぽつりとこぼれた声ははっきりしていた。
「……あの時の私と、同じ顔でした」
セレフィーナがそちらを見る。
ミレイアは続けなかった。ただ唇を結び、視線だけで言い切っていた。
その時、リズが壁際から口を開く。
「やさしく居場所をなくされると、人は自分で退いた気になります」
短い一言が、室内の空気へ細い釘みたいに打ち込まれた。
セレフィーナはゆっくり打診文を置き、今度は会合予定の紙をその上に重ねた。
さらに推薦確認の書式を引き寄せ、端から順に見ていく。目はもう怒りだけでは動いていない。
「いいわ」
冷えた声だった。
「受理も、休養もさせない」
エステルが顔を上げる。
「ノア、神殿の寄付金名簿と、今回の祝福準備でねじ込まれた追加予算の明細を持ってきて。席次表と費用配分も全部」
「切り口は?」
「あちらは綺麗な顔で人を動かすつもりだったのでしょう。なら、その綺麗な帳尻がどこで崩れているか、一円単位で出してあげるわ」
セレフィーナは冷めた茶を取り上げ、一息に飲み干した。
白磁の底が卓に触れ、鈍く止まる。
「『配慮』の根拠も吐き出させる。一枚でも足りなければ、今度は向こうが説明する番よ」
「学園も神殿も、嫌がるでしょうね」
「ええ。だからやるの」
ノアの口元がゆっくり上がる。
ミレイアは握っていた手を開き、今度は卓の上の進行表へ視線を落とした。
エステルだけが、まだ信じきれないようにセレフィーナを見ている。
「明後日の会合に乗り込むわ」
セレフィーナは言った。
「向こうが用意した台本、数字で真っ二つにしてあげる」




