第48話 それでも同じだと知っている
王都屋敷の小会議室は、夜になると紙の白さばかりが目についた。
卓の上には、エステル宛ての打診文、その控え、学園側の会合予定、推薦確認の書式、儀礼接続の進行表。昼のあいだに何度も読み返したはずの紙が、夜の静けさの中では昼より冷たく見える。
セレフィーナは立ったまま、その卓を見下ろしていた。
向かいにはエステル。
斜め奥にノア。
卓の端にはミレイア。
リズは新しい茶を置いたあとも、そのまま壁際に残っている。
誰もすぐには口を開かなかった。
エステルは、打診文の端へ指を置いたまま、何か言おうとして、結局やめた。細い指先が一行だけをゆっくりなぞる。負担への配慮。場の円滑さ。本人のため。整いすぎた言葉ばかりが並んでいた。
「……納得しようとしているのね」
セレフィーナが言うと、エステルの肩がかすかに揺れた。
そのまま指先を引こうとしたので、セレフィーナは先にその手を押さえた。白く冷えた指だった。
「違うわ」
短く言い切る。
「あなたが引く話じゃない」
エステルは顔を上げた。驚いたような目だった。
セレフィーナはその手を放さない。
「私の後任では、推薦確認と儀礼接続の数字が合いません」
ぽつりと落ちた声は、思ったより低かった。
「会合予定だけ見て人を入れ替えたら、祝福側の席次と費用配分にずれが出ます。帳簿も接続表も、今のままでは一日で崩れる。……それが分かっているのに、私が引けば収まる形にされるのが、悔しいんです」
その一言で、部屋の空気が変わった。
ミレイアが卓の端をきつく握る。
ノアは進行表を引き寄せ、指で一か所を叩いた。
「明後日の会合で名前が動けば終わりです。議事録に一行残るだけで、『本人了承のうえ調整済み』になる」
「だから今夜のうちに切るわ」
セレフィーナの声は冷えていた。
けれど、エステルの手を押さえる指先には熱があった。
「リリアさんも、同じでした」
ミレイアが言う。
「笑っているのに、息だけ止まっている顔でした。あの人、自分が前に出たいわけじゃないのに」
セレフィーナは無言で冷めた茶を持ち上げ、ひと息に飲み干した。空になった茶杯を卓へ戻す。打診文の上に置かれた指先が、紙をじり、と押し潰した。
その時、壁際にいたリズが口を開く。
「やさしく居場所をなくされると、人は自分で退いた気になります」
それだけだった。
短いのに、刃みたいにまっすぐ入ってくる。
セレフィーナは小さくうなずいた。
「ええ。怒る場所まで奪うのね」
打診文の上へ、会合予定の紙を重ねる。
さらに推薦確認の書式を載せ、儀礼接続の進行表を引き寄せた。
「内々で整えるつもりなら、その内側へこちらが入る。ノア、明後日の会合に乗り込むわ。侯爵家の名代として、公式な異議申し立てを持って」
「学園側は嫌がるでしょうね」
「嫌がらせればいいわ」
ノアの口元がわずかに上がる。
「切り口は?」
「進行表と推薦確認の書式、その裏に隠した人選の矛盾を全部拾って。祝福側の席次、費用配分、接続表の数字。どこで帳尻が合わなくなるか、明日の朝までに洗い出して」
セレフィーナはエステルを見る。
「あちらが用意した台本を、数字で真っ二つにしてあげる」
エステルはしばらく何も言わなかった。
けれど、打診文の端に置かれたその手は、もう引こうとしていなかった。
代わりに、押さえられたままの紙を見返している。負ける前の顔ではない。計算をやり直す人の目だった。
セレフィーナは進行表を折り、打診文の上に置いた。
「行きましょう」
今度は誰の声も揺れなかった。
「この書類、ただの親切では終わらせない」
第2部第3章までお読みいただき、ありがとうございました。
この章では、前章までで見えてきた“次の配役”が、どれほどやさしい顔で進んでいくのかを書いていました。
露骨に責めるわけではない。
悪役だと名指しするわけでもない。
けれど、
「少し休んだ方がいい」
「あなたが前にいると場が整う」
そんな穏やかな言葉で、人の立つ場所を静かに決めていく。
それが今回いちばん書きたかった怖さです。
エステルは“外れる側”として、
リリアは“前へ出る側”として、
どちらも本人の意思とは別の形で役を押しつけられ始めていました。
そして、その両方を見たうえで、セレフィーナが
「起きてから壊す」のではなく、
「起きる前に止める」
と決めたところまでが、この章の大事な到達点でした。
ミレイアも、守られる側から少しずつ支える側へ進み始めています。
第1部で受け取ったものが、第2部ではちゃんと誰かのために渡っていく。
その流れも、この章でしっかり置いておきたかった部分です。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
感想や応援のお言葉に、いつもとても励まされています。
次章からは、いよいよセレフィーナが内側の見直しだけではなく、公の場へ踏み込みます。
“その役は渡さない”ための動きが、ここから本格的に始まります。
続きも見届けていただけたら嬉しいです。




