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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。  作者: 星渡リン
第4部 第5章 その例外を許さない

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第102話 その一文で誰が困るか

 翌朝、王都屋敷の臨時執務室へ、常設化案を扱う主任書記と若い書記が訪れた。


 二人の前には、昨夜作られたばかりの『様式第七号 例外条項影響評価書』が置かれている。


 主任書記は四つの記入欄と末尾の署名欄を順に確かめ、持参した案件資料を重ねた。


「実際の案件で試します」


 表題が現れる。


『地方奉告式における祝福補助役の選定』


 本人への直接確認は困難。


 家代表者による確認をもって代替。


 緊急性あり。


 責任者記録は事後確認。


 一枚の紙へ、昨夜拾い上げた但し書きが三つ収まっていた。


 若い書記が様式第七号へ羽ペンを置く。


『受益対象者 祝福補助役本人』


「本人の言葉は、どこにありますか」


 ミレイアが尋ねた。


 書記の手が止まる。


「家代表者から、直接の使者を受けるのは負担になると伺っています」


「家代表者の発言として記録してください」


 ミレイアは、添付資料欄を開いた。


 本人発言原文欄は空白だった。


「本人が望んだ配慮として扱うには、この欄が要ります」


 若い書記は『祝福補助役本人』へ細い線を引いた。


 主任書記が資料の期限を指で叩く。


「行事まで日がございません。本人の返答を待つ間、王都側の準備が止まります」


 ミレイアは受益対象者の欄を若い書記へ向けた。


「王都側進行担当者。家代表者」


 二つの名が書き加えられた。


 ノアが紙面を覗き込む。


「本人負担への配慮を適用すると、最初に時間を得る方々ですね」


 主任書記は返答せず、次の欄へ進んだ。


「家代表者の回答を仮回答とし、本人が書面を受け取った日から返答期限を設ける。その案でしたね」


「はい」


「受領日は、誰が証明しますか」


 室内の羽ペンが止まった。


「家代表者が、本人へ渡したと署名するのでしょうか」


 ミレイアは、昨夜作った記入案へ目を落とした。


 本人受領欄。


 家代表者確認欄。


 二つは隣り合っている。


「家代表者が本人の署名を持参した場合、書記は受理します」


 主任書記は淡々と続けた。


「本人が実際には見ていなくても、書類上は受領済みになります。署名を命じられた場合も同じです」


 ミレイアの指が、家代表者確認欄の上へ置かれた。


 前へ出されたくない。


 考える時間がほしい。


 家が先に了承していれば、その一言を口にするだけでも難しい。書面が家の中だけを往復すれば、紙に残るのは当主が許した言葉だけだった。


 彼女は定規を取った。


 家代表者確認欄へ赤い線を引く。


 がり、と紙の繊維が毛羽立った。


「交付経路を指定します」


 新しい用紙へ三行を書き込む。


『王都案件は、王都実務係が本人へ直接交付する』


『地方案件は、当該家の指揮を受けない地方帳場担当者が本人へ直接交付する』


『交付者名、交付場所、交付日時を実務帳簿へ登録する』


 主任書記が一行目へ目を留める。


「家代表者を通じた交付は?」


 ミレイアは、その箇所へ赤い斜線を引いた。


『家代表者、親族、使用人による代行交付は受領起点として扱わない』


 若い書記が息を詰める。


「高位家の令嬢へ、地方の帳場担当者を直接会わせるのですか」


「女性実務係の同行を認めます。面会場所は家の応接室でも構いません」


 ミレイアは交付記録の末尾へ、同席者名の欄を加えた。


「書面は本人の手へ渡します。交付者が時刻を記録し、本人用と帳場保管用の控えに同じ割印を押してください」


「本人が署名を拒んだ場合は?」


「交付者がその場で記録します。受諾欄は空欄のままです」


 本人の署名を家代表者が持ち帰る経路も塞ぐ。


 回答書は交付時に渡される封筒へ入れ、本人から実務係へ返す。家代表者が提出した回答書には、本人確認未了の印を付ける。


 若い書記が、交付記録の余白を埋めていった。


 交付者名。


 場所。


 年月日。


 時刻。


 同席者。


 割印照合。


 家代表者確認欄があった場所には、赤い斜線だけが残った。


 主任書記は、その紙をしばらく見ていた。


「本人が受領した後、返答を変えた場合の処理を確認します」


 次の試案が置かれる。


 役割説明後、本人は一度受諾。


 衣装準備と席次作成を開始。


 案件成立前に本人が撤回。


「撤回を認めれば、支出済みの費用が残ります」


 主任書記が言った。


「代役が見つからなければ、現場も止まります」


 イレーネが試案を引き寄せた。


 準備項目を縦に書き出す。


 布地確保。


 個別仕立て。


 席次案。


 席札印刷。


 宿泊手配。


 馬車待機。


 項目ごとに、開始条件を書き添えた。


 布地確保と席次案は、仮回答の段階で着手可能。


 個別仕立て、席札印刷、宿泊手配は、本人の受諾後。


 撤回期限までは、取消費用を起案者側予備費から支出する。


「撤回を受けた時刻で、新しい発注を止めます」


 イレーネは、工数・費用負担移動先へ『起案者側予備費』と記した。


「本人受領前に始めた準備費も、こちらへ入れます。本人側へ請求できるのは、本人が費用発生を知ったうえで虚偽の回答をした場合に限ります」


「役割の空席はどう処理しますか」


 若い書記が尋ねる。


「進行役が兼務する案もございます」


 イレーネのペン先が止まった。


「兼務後の作業表を出してください」


「作業表、ですか」


「祝福補助役が担当する仕事を、一つずつ」


 若い書記が案件資料をめくる。


 参列者の誘導。


 祭具の受け渡し。


 祝福順の確認。


 控室への伝達。


 式後の署名確認。


 五項目が並んだ。


 イレーネは、その横へ赤い枠を作った。


『役割削減時に廃止する実務』


『兼務者が引き受ける実務』


『他の現場係へ移る実務』


 三つ目の欄へ、若い書記の視線が落ちる。


「空席にした場合、参列者の誘導は当日の案内係が行うことになるでしょう」


「その案内係の作業時間は?」


「まだ算定しておりません」


「祭具の受け渡しは?」


「神殿側の下役が」


「控室への伝達は?」


「近くにいる者が行うかと」


 イレーネは三つ目の欄へ、案内係、神殿下役、控室係と書いた。


 さらに、追加往復回数と拘束時間の欄を引く。


 若い書記は答えられなかった。


「役を一つ消しても、仕事は残ります」


 イレーネは五項目のうち、祝福順の確認と式後の署名確認へ赤い線を引いた。


「儀礼を縮小するなら、この二つを廃止できます。祭具は祭壇脇へ事前配置。受け渡しも外します」


 参列者の誘導は進行役が兼務。


 控室への伝達は定時連絡一回へ削減。


 案内係へ移る作業はなし。


 書き直された作業表では、五項目が二項目になった。


「進行役の兼務範囲は、この二つまでです」


 イレーネは赤枠の下へ一文を加えた。


『削減項目および兼務範囲の記載がない空席処理は認めない』


 主任書記が、作業表と影響評価書を見比べる。


「現場係へ回す実務が残った場合は?」


「担当者名、追加時間、追加費用を負担移動先へ記載します。本人の了承も必要です」


「了承を得られなければ」


 イレーネは、残っていた祭具受け渡しの行へ赤い線を重ねた。


「式次第から削ります」


 紙の上で、祝福補助役の欄が空白になった。


 同時に、その下に並んでいた三つの作業も消えた。


 誰かの一日へ、名のない仕事だけが落ちていく余白は残っていない。


 主任書記は次の試案を出した。


『緊急時には、責任者欄の記入を事後確認とすることができる』


「緊急時の記録です」


 イレーネは、昨日加えた二つの欄を開いた。


『判断責任者』


『現場実施者』


「判断責任者は、事前の当番表から入れます。詳細な経緯と未確認事項は、翌日正午までに追記します」


「未確認事項は、いつ確定させますか」


 主任書記が即座に問う。


「翌日正午に『調査中』と書けば、記録上の義務は果たしたことになります。翌月も、その次の月も調査中のままにできます」


 イレーネの目が細くなった。


 事故の直後には分からないことがある。


 分からない欄を急いで埋めれば、推測が事実として残る。


 空欄のまま期限を失えば、その紙は綴じられた棚の中で眠り続ける。


 彼女は未確認事項欄を広げた。


 一つの大きな枠を、細い罫線で区切っていく。


『未確認事項』


『確認方法』


『追記責任者』


『最終確定期限』


「項目ごとに責任者を置きます」


 イレーネは主任書記が出した試案へ記入した。


 命令を出した時刻。


 祭具を移動した者。


 追加費用の発生額。


 それぞれに確認先と追記責任者名が入る。


「期限は?」


「最長三日」


 羽ペンが紙を削った。


『緊急対応開始時から三日以内』


「三日で事実が確定しない事故もございます」


「三日目に監査室へ送ります」


 イレーネは、期限欄の隣へ小さな枠を足した。


『期限超過時送付先 監査室』


「送付理由は?」


「初期判断者による確認未了です」


 主任書記の眉が動く。


「追記責任者が別人でも、初期判断者の職務怠慢とするのですか」


「初期判断者が進捗を管理します。追記責任者を指定した時刻も記録します」


 指定を怠った。


 必要な照会を命じなかった。


 期限前に監査室へ延長審査を求めなかった。


 そのいずれかがあれば、初期判断者の名で監査室へ送られる。


 若い書記が、新しい欄を見つめている。


「延長審査を認めるのですか」


「監査室が引き取ります。元の部署の机には残しません」


 イレーネは『調査中』という仮の記載の横へ、三日後の日付を書いた。


 その日付から赤い線を伸ばし、監査室送付欄へつなぐ。


 主任書記が、指先で線を追った。


「放置すれば、自動的に監査案件になる」


 イレーネは当番表の写しを添付した。


「期限の日付は、緊急対応の開始時刻を記した時点で入ります。後から延ばせません」


 エステルが、記録保持欄へ追記する。


「期限変更の上書きは禁止します。誤記訂正は旧日付を残し、訂正者名と理由を添付してください」


 ノアが、期限欄の赤枠を見た。


「『鋭意確認中』で冬を越す仕事が減りそうですね」


 主任書記は一度だけ彼を見たが、反論はしなかった。


 机の上には、三組の試案が並んでいた。


 直接交付記録。


 空席・兼務時作業削減表。


 未確認事項確定欄。


 セレフィーナは様式第七号の原紙を開き、受益対象者欄の下へ直接交付記録の添付番号を書いた。


 工数・費用負担移動先の横には、作業削減表の添付番号。


 責任・記録変更内容の下には、未確認事項ごとの追記責任者と三日後の期限。


 主任書記が原紙を押さえた。


「これを、すべての例外申請に求めるのですか」


「本人確認、空席処理、緊急時記録に関わる場合は、空欄を認めません」


 セレフィーナは、添付書類のない試案三枚へ差戻し印を押した。


 ぺたり。


 ぺたり。


 ぺたり。


 朱色の文字が並ぶ。


 若い書記は清書した追加欄を様式第七号へ重ね、左端へ穴を開けた。


 赤い綴じ紐が通される。


 交付日時。


 削減する実務。


 兼務責任範囲。


 追記責任者。


 三日後の最終確定期限。


 紐の端を金具へ入れ、専用の締め具を押し込んだ。


 かちり。


 机の中央で、赤い枠線に囲まれた紙束が閉じた。


 窓の外はすでに暗い。


 罫線の角には、盛り上がった赤インクが残っている。


 執務室の奥で、金具を締めた音がもう一度響いた。


 乾ききらないインクの生臭い匂いが、閉め切った室内に沈んでいた。

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