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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。  作者: 星渡リン
第4部 第5章 その例外を許さない

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103/103

第103話 最低線を引く

 王都の主任書記たちが退出した後も、臨時執務室の机には紙が積み上がっていた。


 直接交付記録。


 空席・兼務時作業削減表。


 未確認事項確定欄。


 三種類の書類が『様式第七号 例外条項影響評価書』へ綴じられている。その周囲には、常設化案から抜き出した例外条項が四つの束に分けて置かれていた。


 本人意思確認。


 責任者記録。


 不利益評価。


 記録保持。


 エステルが常設化案の総則を開いた。


『やむを得ない事情がある場合、必要な範囲で手順を調整できる』


 次の頁にも似た文がある。


『案件の性質に応じ、別途協議による処理を認める』


 ノアが修正履歴をたどった。


「『別途協議』の追加者名がありません。起案局を照会します」


 照会票へ頁番号と条項番号を書き込む。


 セレフィーナは机の中央へ白紙を置き、四つの束を順に引き寄せた。


「総則へ最低保持条項を入れます」


 赤ペンで表題を書く。


『例外適用時最低保持条項』


 ミレイアが本人意思確認の束を開いた。


 家代表者による交付欄には、前日の赤い斜線が残っている。


 その下には、新しく作った直接交付記録があった。


 交付者名。


 交付場所。


 交付日時。


 同席者名。


 本人用と帳場保管用の割印照合。


「直接交付記録を必須にしてください」


 ミレイアは記録用紙をセレフィーナの前へ出した。


「王都案件は王都実務係、地方案件は地方帳場担当者が本人へ交付します。家代表者、親族、使用人が持参した書面は受領記録へ入りません」


「本人との面会を家が拒んだ場合は?」


 エステルが尋ねる。


「拒否者名と時刻を交付不能記録へ入れます」


 ミレイアは用紙の下段を開いた。


「本人の体調を理由にする場合は、家の指揮を受けない医師か帳場担当者の確認を添付します。確認が取れるまで受諾欄は空欄です」


 ノアが交付不能記録へ目を通した。


「面会拒否を繰り返した家の回答は?」


「仮回答の期限が切れた時点で失効します」


 家代表者の了承だけでは、案件成立に必要な本人受諾欄が埋まらない。


 ミレイアは最低保持条項の最初の枠へ書き入れた。


『本人への直接交付、本人発言原文、返答変更期限および離任申出経路を保持する』


『家代表者その他第三者による交付、受領署名および回答の代行を認めない』


『交付不能時は本人未確認として登録し、案件成立を停止する』


 セレフィーナが三行を赤枠で囲んだ。


 イレーネは責任者記録の束から、緊急時の当番表を抜いた。


『判断責任者』


『現場実施者』


『命令時刻』


『引継時刻』


『未確認事項』


『追記責任者』


『最終確定期限』


 前日の試験で加わった欄には、記入順を示す細い番号が振られている。


「判断責任者は緊急対応の開始時に確定します。事前当番表の第一順位者です」


「第一順位者が不在の場合は?」


 セレフィーナが確認する。


「第二順位、第三順位へ移ります。移行理由と確認時刻を記録します」


「当番表自体が作られていない現場は?」


「最初に指示を出した職務者を入れます。命令を受けて動いた現場係の名は、現場実施者欄へ入ります」


 イレーネは当番表の保存番号を、様式第七号の添付欄へ転記した。


「未確認事項は、緊急対応開始から三日以内に確定させます。各項目へ追記責任者を置き、期限を最初から印字します」


 エステルが記録管理規定を添える。


「期限欄の訂正履歴は原文とともに保管します。日付を延ばした場合、元の日付も残ります」


「三日以内に確定できない場合は?」


「監査室へ移管します」


 イレーネは送付先欄へ監査室の登録番号を書いた。


「三日目の終業時に自動送付です。初期判断者の職務確認も同時に開始します」


 最低保持条項の二つ目の枠が埋まった。


『判断責任者欄を空欄としない』


『責任移動時は、当初責任者名、引継先、理由および時刻を保持する』


『未確認事項は項目別に追記責任者と三日以内の最終確定期限を付し、期限超過時は監査室へ移管する』


 セレフィーナは次の束を開いた。


 不利益評価。


 紙の枚数は少ない。抽象的な文言ばかりが並んでいる。


『今後の協力関係を考慮する』


『社交上の信頼を総合的に判断する』


『継続的な役割への適性を勘案する』


 ミレイアが、招待候補の変更案を一枚抜き出した。


 ある地方家が王都行事への参加を保留した翌月、その家の令嬢が親善行事の候補から外されている。


 変更理由は『協力姿勢を総合的に考慮』。


 決定者欄は空白だった。


「辞退や保留との関係を書かせる案でした」


 ミレイアは前夜の試案を開いた。


『直近の辞退、保留、照会、異議申立てとの関係』


 ノアが『直近』へ印を付ける。


「期間がありません」


 王都側の人事記録と行事推薦記録を扱う帳簿一覧が開かれた。


 招待順位。


 補助金配分。


 神殿推薦。


 親善役候補。


 学院内推薦。


 役務委託。


 評価を下げられる場所は、一つの帳簿に収まらない。


 イレーネが地方側の関係家一覧を添えた。


「対象家だけを見ても足りません。寄親家へ逆らった寄子家として扱われれば、別の家へ負担が移ります」


 血縁家。


 婚姻予定家。


 寄親家。


 寄子家。


 共同事業を担う家。


 保証人となっている家。


 一本の辞退から、王都側が触れられる家名が枝分かれしていく。


 セレフィーナは『直近』の二文字へ赤い線を引いた。


「二年間」


 ノアが日付欄を作る。


「起点は、辞退、保留、照会、異議申立てが受理された日。王都側が受理を遅らせる可能性があります」


「本人側の提出日も記録します」


 ミレイアが答えた。


「直接交付の回答書なら、実務係が受け取った日時を使えます」


 エステルが対象家の確定方法を書き加える。


「関係各家は、行為発生日と評価変更日の双方で照合します。途中で寄親・寄子関係を解消した場合も、二年間の対象から外しません」


 新しい規定が組まれていく。


『辞退、保留、照会または異議申立ての提出日から二年間、本人所属家および関係各家への不利益変更を報復評価として登録する』


『関係各家には、血縁、婚姻、寄親、寄子、共同事業、保証関係にある家を含む』


『対象期間中の不利益変更は、決定前に効力を停止する』


 ミレイアは最後の一行で手を止めた。


「実際に不正があった場合も、変更できなくなりますか」


 ノアが監査申立書を引き寄せた。


「変更を求める部局から証拠を出させます。監査室が原本を確認します」


 不正の発生日。


 最初に確認した者。


 辞退等との関係を持たない証拠。


 同条件の他家に対する処分記録。


 処分基準の制定日。


 五つの添付欄が作られた。


 審査中の評価変更は止まる。


 監査室が客観的な根拠を認めた場合に限り、停止が解かれる。証明できなければ、報復評価として原案を廃棄する。


 ノアは、立証者欄へ『不利益変更の起案部局』と記入した。


「照合対象は二年分です。人事、招待、補助金、推薦、委託をまとめて提出させます」


 決定者欄の隣には、監査室の承認欄が加わった。


 セレフィーナが最低保持条項の三つ目を囲む。


『辞退、保留、確認要求および異議申立ての提出日から二年間、本人所属家および関係各家への不利益変更を報復評価とみなし、その効力を停止する』


『変更を起案する部局は、当該行為と無関係であることを監査室へ立証する』


 エステルが記録保持の束を開いた。


 非公開記録。


 閲覧制限。


 簡易記録。


 保存期間短縮。


 似た条項が複数の頁に散っている。


「非公開指定には、指定者名、理由、原本保管先、記録番号、閲覧可能者、再審査日を入れます」


 エステルは簡易記録の条項へ廃止印を押した。


「要約には原本の記録番号を付けます。原本の処分申請は監査室へ送付。閲覧履歴も別帳へ残します」


 本人の病状や告解に関する記録は封印保管。


 監査室は封印番号と原本の存在を確認する。


 指定期限を迎えた記録は、公開範囲を再審査する。


 延長時には指定者が再署名する。


 最低保持条項の四つ目に赤い枠が引かれた。


『非公開指定時も、原本、記録番号、作成者名、保管先および閲覧履歴を保持する』


 四つの赤枠が縦に並ぶ。


 セレフィーナは常設化案の総則を開き、最低保持条項を清書した。


 その末尾へ適用対象を書く。


『王家、王太子府、高位家、神殿、王都各部局および地方各家が行うすべての例外適用を対象とする』


 ルシアン殿下は、自分の前へ総則を引き寄せた。


「王命による個別判断も入れてくれ」


 ノアが新しい行を加える。


『王命、王族の口頭指示、王太子府内規および側近による代行起案を含む』


 ルシアン殿下は適用対象の下へ署名した。


 黒い文字が乾く前に、ノアが承認欄を三つに分けた。


 王太子府責任者。


 監査室責任者。


 地方帳場代表者。


「地方が関係しない王家内の案件にも、地方帳場を入れるのか」


 ルシアン殿下が尋ねた。


「例外の影響先を、王太子府だけで確定させる案は通しません」


 ノアは地方帳場代表者欄の横へ、負担移動確認と記した。


 イレーネが書式を確かめる。


「地方帳場は、費用、人員、待機時間、役務移動を確認します。影響なしとする場合も、照合した帳簿名を記録します」


「口頭指示を急いで実行する場合は?」


「三者へ同時に通知します」


 ノアが緊急時欄を開いた。


 王太子府の起案時刻。


 監査室への通知時刻。


 地方帳場への通知時刻。


 暫定措置の終了時刻。


「人命、火災、施設保全に関わる処置だけ、連帯署名前に開始できます。翌日正午までに三者の署名が揃わなければ、追加支出と役務命令を止めます」


 ルシアン殿下は三つの欄を見下ろした。


「私が直接命じた場合も同じ扱いにする」


「議事録へ入れます」


 エステルの羽ペンが動いた。


 王太子府の側近が代筆した指示書には、ルシアン殿下の指示時刻と確認署名が必要になる。側近による独自判断なら、側近自身が起案者欄へ名を書く。


 三者の署名が揃う前に『王太子殿下の御意向』を使った場合、未承認の例外適用として監査室へ送られる。


 セレフィーナは適用要件を総則へ加えた。


『王家、高位家および神殿が関わる例外申請は、起案部局、監査室、地方帳場代表者の連帯署名により成立する』


『三署名のいずれかを欠く申請は受理せず、王族の口頭指示および側近の代行起案にも同じ手順を適用する』


 ルシアン殿下の黒い署名の隣に、監査室と地方帳場の空欄が並んだ。


 残るのは、効力規定だった。


 セレフィーナは前夜の案を読み返す。


『適用後に欠落または虚偽が判明した場合、当該例外の効力を停止し、適用前の状態へ戻す』


『原状回復が不可能な事項は、本人および負担先への補填案を三日以内に提出する』


 イレーネが二行目を指で押さえた。


「提出後の期限がありません」


 補填額が低すぎれば、本人や地方帳場は承認できない。


 起案部局は修正案を出す。


 再び承認されない。


 その間も、立替費用を負った家の帳簿から銀貨が消えたままになる。


 セレフィーナは『三日以内に提出する』へ赤線を引いた。


「発覚日から支払いを始めます」


 イレーネが補填処理欄を作った。


 発覚日。


 未回収額。


 立替家名。


 一日当たりの遅延補償金。


 支払元部局。


 支払開始日。


 補填合意日。


「補填の合意まで、日割りで地方帳場へ入金させます」


「起案者個人に支払い能力がない場合は?」


 エステルが尋ねる。


「起案部局の予算から先に支払います」


 イレーネは、支払元欄へ部局予備費の会計番号を書いた。


「虚偽記載者の故意が監査で確定した後、部局が本人の俸給または資産から回収します。現場への支払いは監査結果を待ちません」


 ノアが補填案の承認欄を確認する。


「案を何度出し直しても、遅延補償金は止まらない?」


「本人、負担先、監査室の承認日まで続きます」


「一部だけ合意した場合は?」


「合意済みの金額を先に支払います。争いが残る額には遅延補償金を付け続けます」


 イレーネは支払記録の写しを、地方帳場と監査室へ同日送付する欄を加えた。


 起案部局が送金を止めた場合、翌日に会計監査へ移管される。


 セレフィーナは効力規定を書き直した。


『原状回復不能が判明した当日から補填合意日まで、起案部局予算より本人または負担先の帳場へ日割りの遅延補償金を支給する』


『虚偽記載者の故意が確定した場合、起案部局は当該者の俸給または資産に対する求償を行う』


『補填案の再提出、審査継続および一部不承認は、遅延補償金の支給停止理由としない』


 イレーネが日割り計算欄へ赤い罫線を引いた。


 エステルは支払開始日の自動転記先を記録番号簿へ加える。


 ノアが三者署名欄の頁番号を照合する。


 ミレイアは二年間の関係家一覧を、報復評価規定へ綴じた。


 セレフィーナは総則の最終頁へ赤ペンを置いた。


 本人意思確認。


 責任者記録。


 不利益評価。


 記録保持。


 三者連帯署名。


 遅延補償金。


 六つの枠を貫くように、太い赤線を引く。


 がり、がり、とペン先が紙を削った。


 原本と控えが重ねられた。


 赤い綴じ紐が穴を通る。


 監査室用、地方帳場用、王太子府用の三枚に割印が押された。


 金具へ紐の端が差し込まれる。


 かちり。


 押し具がもう一度下りた。


 かちり。


 太い赤線の端には、乾ききらないインクが盛り上がっていた。


 閉め切った執務室に、赤インクの生臭い匂いがこもっていた。

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