第100話 高い家ほど例外を持つ
審議卓に、三枚の紙が並んだ。
一枚目は、上等な白い表紙。
『高位家案件に関する円滑処理要領』
二枚目は、安い紙に細かな字が詰め込まれたもの。
『別枠処理に伴う負担移動表』
三枚目は、黒い線で表題が潰された写しだった。
『高位家親善案件 例外承認案』
その文字の上には太い黒線が二本走り、余白には別の表題が書き込まれている。
『王家関与案件 通常手順適用確認』
高位家側代表の白い手袋が、三枚目の紙で止まった。
王都側の役人は、黒線の入った写しを見て、資料の角をそろえ直す。神殿側の使者は微笑を保っていたが、口元の端だけが硬い。
進行役が、羽ペンを持ち直した。
「本日の議題は、高位家案件における別枠処理案の可否、および橋渡し確認書の運用案への追記についてです」
最初に口を開いたのは、高位家側代表だった。
「王家案件、高位家案件については、通常案件と同一の運用では、かえって混乱を招く恐れがございます」
声は穏やかだった。
「体面を守ることも、社交秩序を保つうえでは必要な実務です。例外を認める方が、結果として円滑な運用に資する場合もあるのではありませんか」
旧来派の席から、控えめな頷きがいくつか生まれる。
イレーネが、静かに負担移動表を前へ出した。
安い紙の中ほどで、進行役の指が止まる。
待機延長、二刻。
馬車待機費、銀貨八枚。
席札差替、三十六枚。
追加問い合わせ先、地方小家三家。
「この表の一番下に来る家ほど、例外を拒めません」
イレーネは、それだけ言った。
高位家側代表の視線が、表へ落ちる。
「高位家の事情で動くのに、支払い欄は下の家へ降りています」
「それは、運用上の調整で」
「調整と書けば、払った家の帳簿が軽くなるわけではありません」
銀貨八枚の文字の横で、進行役の羽ペンが止まった。
旧来派審議役が、すぐに口を挟む。
「家代表者への確認であれば、ご本人の立場も守られるでしょう」
ミレイアが顔を上げた。
「家代表の了承は、本人の返事ではありません」
短い一言だった。
「ご家族が最も近い立場で」
「本人の原文欄が空いている限り、確認済みにしないでください」
ミレイアの指が、本人原文欄の写しを押さえる。
「家として受けています、という文では、本人が何を言ったのか残りません」
神殿側の使者が、視線を伏せた。
ノアが、円滑処理要領の端をつまむ。
「高い家ほど紙を嫌がるなら、紙が必要な証拠ですね」
高位家側代表の眉がわずかに寄る。
「紙を嫌がっているわけではございません」
「では、提出者名と影響先を入れてください」
ノアは資料の余白を指で叩いた。
「別枠処理を通すなら、監査はまず裏約束の有無を見ます。名前のない配慮は、監査では配慮として扱いません」
代表は一瞬、返答を探した。
その隙に、セレフィーナは白い表紙の資料を開いた。
高位家案件。
必要に応じて。
別枠処理。
家代表者確認。
後日協議。
赤ペンの先が、『別枠処理』の文字へ落ちる。
がり、と紙が鳴った。
赤い線が、別枠の二文字を斜めに裂く。
高位家側代表の手袋が、資料の端を押さえた。
セレフィーナは、その横の余白へ新しい枠を刻んでいく。
『事情適用時負担先』
ペン先が荒く走る。
白い紙の余白に、赤い格子が増えた。
高位家の事情を書く場所。
その隣に、踏まれる家名を書く場所。
さらに隣に、責任者名を書く場所。
読み上げる必要はなかった。
枠が増えるたび、旧来派の席で紙を押さえる指が硬くなっていく。
「では、高位家の事情は一切考慮しないと?」
代表が、細い笑みを保ったまま問う。
セレフィーナは赤ペンを止めない。
「事情を書く欄は用意しました」
もう一本、枠を引く。
「隣に、誰の時間と費用と声を使うのかを書いていただきます」
進行役が、ごく小さく息を飲んだ。
「そこまで出してから、審議に乗せます」
高位家側代表の口元が、初めてわずかに崩れた。
「しかし、王家案件については」
「その件は、私から述べる」
ルシアン殿下が立ち上がった。
審議室の空気が変わる。
彼の前には、黒線の入った写しがある。
『王家関与案件 通常手順適用確認』
進行役が、その表題を見て羽ペンを構え直した。
ルシアン殿下は、審議卓を見渡した。
「王家案件であるため、通常手順を厳格に適用する」
ざわめきが起きる。
王都側の役人が、思わず隣を見る。高位家側代表の手袋が、資料の端を強く押さえた。
「殿下、それは王家の体面を損なう恐れが」
「記録に耐えない体面なら、最初から損なわれている」
ルシアン殿下の声は、審議室の奥まで冷たく届いた。
「王都側、王家側、高位家側の判断ほど、記録を厚くする」
黒線の入った写しを、彼は進行役の方へ押し出した。
「必要だと言うなら、責任者名を濃く書け。王家の名を使うなら、私の欄も作れ」
高位家側代表は、しばらく口を開けなかった。
王都側補佐の一人が、黒線の入った写しを見つめている。
そこには、昨日潰された『例外承認』と『省略可能』の文字が、黒い線の下からかろうじて残っていた。
進行役が、緊張した手つきで議事録へ書き込む。
「高位家別枠処理案は不採用。代替方針として、影響範囲の大きい案件ほど記録項目を追加する旨、橋渡し確認書の運用案へ追記いたします」
ペン先が紙を削った。
それ以上の読み上げは続かなかった。
進行役は、『高位家案件に関する円滑処理要領』の表紙を手元へ寄せる。
朱肉の台に印が押しつけられた。
ぺたり、と鈍い音がする。
上等な白い表紙の中央に、不採用の二文字が沈んだ。
代表の白い手袋が、動かなかった。
審議室に、朱肉と黒インクの匂いが混じる。
誰もすぐには発言しない。
机の上には、赤で裂かれた『別枠処理』、黒線で潰された『省略可能』、そして不採用印を受けた白い表紙が並んでいた。
ルシアン殿下は席に戻った。
黒線の入った写しを、しばらく見ている。
セレフィーナは、追加された赤い枠線の端を乾かした。
不採用印の朱は、まだ湿っている。
白い表紙の中央で、その赤だけが重く光っていた。




