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第十一話 ソニア・チェイサー

 

(……チェイサー、ですって?)


 突然目の前に現れた少女とその名前に驚き、一瞬思考が停止する。密かに動揺する私には気づかず、少女は両手で口元を覆って頰を紅潮させた。


「まぁ、まぁ……!」


 少女はそのまま勢いよく距離を詰め、鼻息を荒くして私の顔をまじまじと見つめる。そのあまりにも遠慮のない態度に呆気に取られて、何も反応することができなかった。


「兄さまったら! こんなに綺麗な方だなんてちっとも教えてくれなかったじゃない!」


 その口調に悪意は感じられない。けれど、変にきらきらとした瞳でこちらを見つめてくるので、かえって居心地が悪かった。若干引き気味なのを悟られないよう、こほんと一つ咳払いをして、少女に対外的な笑顔を向ける。


「失礼ですけど、あなたは……」

「あっ、失礼いたしました。わたくし、アメリア様と同じ学年のアルバート・チェイサーの妹です」


 彼女は慌ててスカートの裾をつまみ、礼をしてみせた。


(あら……意外と綺麗なカーテシーね)


 美しい作法と残念な態度がちぐはぐすぎて、ますます面食らってしまう。内心かなり泡を食っているものの、ほほ笑みを崩さぬまま応えた。


「そうですか、チェイサー様の妹さんなのですね」

「はい!」


 ソニア嬢はにこりと笑って小首をかしげる。これまでにも同じ動作をする女性を飽きるほど見てきたけれど、こんなに嫌味のない仕草は初めてだった。


 不思議なことに、これほどまでに粗雑な態度を取られているのに、彼女に対してあまり不快さを感じないのよね。悪意のない笑顔がそうさせるのかしら。


 いつのまにか毒気が抜かれてしまい、なんと無しにその顔をじっと見つめると、彼女は顔をぽっと赤らめ、恥ずかしそうに目線を下げた。


「先ほど、兄が知らせをくれたんです。アメリア様が今日図書館にいらっしゃるだろうって。なので、急いで家を出てきました」

「……そうなのですね」


 他に何とも言いようがなく、適当に相槌を打つ。しかし次の瞬間、私は彼女がここにいる理由にはたと思い至った。


「ひょっとして、私の借りていた本を借りにいらしたの? ごめんなさい、すっかり忘れていて、たった今返却してしまったんです」


 そう言いながら先ほど本を返却したカウンターに目をやる。まだ本棚に戻してはいないだろうから、館員に声をかければ借りられるかもしれない。しかし、ソニア嬢は慌てて両手を大げさに横に振った。


「いいえ! お声がけしたのは、アメリア様とお話がしたかったからなんです。あ、でも本を借りたいのも事実なんですけど。今からカウンターに行って借りてきますので、少し待ってていただけませんか?」


 どうも彼女は興奮すると声が大きくなるタチらしい。図書館という場所柄、大きな音は控えるべきなので、私は人差し指を唇に当て小声でソニア嬢をたしなめた。


 彼女はハッと口を両手で押さえ、申し訳なさそうな顔をする。その表情はまるでいじめられた子ウサギのようで、何故か強く叱れない気持ちになった。


「落ち着いてください。ここで待っていますから、どうぞ本を借りていらして?」


 仕方なくそう言うと、ソニア嬢は途端に目を輝かせた。うん、今、垂れ下がった耳がぴょこんと立ち上がる幻覚が見えたわ。


「急いでいってきます!」


 カウンターに小走りで向かう彼女の背中を見ながら、私は小さくため息をついた。






  * * *






 ソニア嬢が本を手に戻ってくると、私たちは図書館近くのカフェへと移動した。


 これ以上図書館の中で会話を続けて周りから非難の目を向けられるのは嫌だったし、外のベンチで話をするには今日は寒すぎたからだ。


「おいしいですね、このタルト」


 カップに注がれたミルクティーを飲みながら、テーブル越しに頬をもくもくと動かすソニア嬢を眺める。


 決してテーブルマナーは悪くないのだけれど、どうしても小動物が草を()む様子とかぶってしまうのよね。


 まだしばらくはタルトを堪能しているようだったので、私はソニア嬢をそっと観察した。


 頭の中でチェイサー家の家系図を思い出す。確か、チェイサーには二つ下の妹がいたはず。


(ということは、年齢は十六かしら)


 切りそろえられた前髪のせいか、実年齢よりも幼く見える。明るい栗毛は、兄のチェイサーと色こそ似ているけれど、ふわふわとした髪質は彼女独自のものだ。瞳は木の実のようにくるりと丸く、切れ長の彼とは似ても似つかない。


(一緒に並んでいたとしても、兄妹とは気づかないかもしれないわ)


 ほどなくして、私の視線に気づいたソニア嬢は手元のフォークを置くと、改めて自身の非礼を詫びた。


「先ほどはすみません、突然話しかけてしまって。驚かれましたよね?」


 確かに、図書館での出会いからここに至るまで、色々と突っ込みたいことはある。けれど、言い始めたらきりがなさそうなのでぐっと飲み込み、代わりに当たり障りのない返答をした。


「大丈夫です。ソニア様がその本を読みたいと思っていらっしゃることは、チェイサー様から聞いていましたから」


 私の言葉に、ソニア嬢はこわばっていた顔をほっと緩めた。


「ありがとうございます。ジェシー・ロールの『恋人たち』を読んでる方がいるって知ったら、どうしてもお話してみたくなってしまって」


 そう言って借りたばかりの小説の表紙を私に見せ、屈託なく笑う。


 そうね。私もお話ししたいと思っていたわ。あの話を気に入るのってどんな女性なのかしらって。ただ、想像していた方とはずいぶん違ったけど……。


 黙ったまま口角を上げると、彼女は先を続けていいと判断したらしく、嬉しそうにまた話し始めた。


「ジェシーは大好きな作家なんです。あの人の書く話は、すごく現実的というか、本当にありそうなことを書くのが上手なんです」

「分かりますわ。私も、丁寧な日常の描写が気に入ったのです」


 これは本心だった。きっと()()()()()()()こんな風に恋をするんだろう。読みながらうらやましくなるほどに、平凡で、ありきたりで、でも心ときめく毎日がそこにはあった。


「そう、そうなんです!」


 ソニア嬢は胸の前で両手を組み、前のめりに腰を浮かせる。


「どうしても世間では、過度にロマンチックなものや手に汗握るような冒険活劇が人気じゃないですか。だから、あの作品の良さを分かってくれる方に会えるなんて嬉しくて」


 また彼女の声が大きくなってきたので手で制止する。我に返ったソニア嬢は、素直に椅子に座りなおした。


 いつもの私なら彼女の行動に眉をひそめるはずなのに、何故こんなにも気にならないのかしら。


 ころころと変わる表情は見ていて飽きない。一人っ子の私は同じ年頃の令嬢と話す機会がほとんどなかったからとても新鮮だった。


 それに、彼女の言葉には同意できる点が多かったのだ。


「どうしてみんな波乱万丈な物語が好きなのかしらね。穏やかな話ではだめなの?」


 つぶやくように声に出すと、ソニア嬢はきちんとそれを拾って首をかしげた。


「うーん。多くの人は、自分の人生が退屈だと思っているのかもしれませんね。だからお話の中くらいはハラハラドキドキしたいっていうか」


 意外に鋭い指摘にどきりとする。日常が退屈だから、波乱に満ちた物語を好む。確かにそうなのかもしれない。じゃあ逆を言えば、平安な話が好きな人間の人生は壮絶なものだということ?


「……ソニア様はご自身の毎日が平坦ではないと思ってらっしゃるの?」


 どうしても聞きたくなってしまい、そのまま疑問を口にする。私の言葉足らずな質問の意図を、彼女は明確に捉えて返してきた。


「いえ、私はごくごく普通の娘ですよ? ジェシーの小説を好きな人がみんな、辛い人生を送っているなんて、そんなわけないです」


 苦笑するソニア嬢を見て、私は人知れず安堵している自分に気がついた。


 そうよね、私は自分の生き方に誇りを持っているもの。私が自身の人生を悲観しているなんてあるはずがない。早まる鼓動を抑えようと、心臓に手を当て大きく息を吐く。


 そんな私を見て、ソニア嬢は心配そうにこちらを覗きこんできた。


「アメリア様?」

「ごめんなさい、なんでもないの」


 表情を取り繕って正面を向くと、ソニア嬢はまだ私の顔をうかがっていた。ただそれ以上は踏み込まないことを決めたらしく、困ったように笑った後に話を元に戻した。


「私は世間知らずなので、あのくらい堅実に書かれた作品の方が合ってるんです。本当の恋愛って、きっとこんな感じなんだろうなって思わせてくれるから。母にも、色恋に夢を見すぎるなって言われているんです」


 バツが悪そうにソニア嬢は頭を掻いた。その動作は、全く似ていないと思ったチェイサーとそっくりで、やはり兄妹なのかと変に納得してしまう。


 会話が一息つき、私は目の前のタルトに手を伸ばした。


「あら」


 その美味しさに思わず声が出る。


 季節のおすすめとして提供されたのは、無花果のタルトだった。果実の優しい甘みとアーモンドクリームの相性がよく、じっくりと焼き上げてあるタルト生地はさくさくとしている。一口噛むごとに、頭の中で種の弾ける音がして、無花果の香りが鼻に抜けた。


 無意識に食べすすんでいたのか、私が半分ほど食べたところでソニア嬢が嬉しそうにほほ笑んだ。


「それ、おいしいですよね」

「そうね、食べ過ぎてしまいそうだわ」

「私はもう全部食べちゃいました」


 くすくすと笑うソニア嬢につられて、こちらも頬が緩むのを感じた。


「私はこのあたりでやめておきます」

「えっ、ずるい……じゃなかった、食べすぎちゃった私が悪いんですよね」


 口を尖らせながらも笑顔を絶やさない彼女を見ながら、席を立つ。


「そろそろ行きましょう。外も薄暗くなってきましたし」

「あ、はい!」


 彼女の支度が出来るのを待って店を出ると、外は曇り空が広がっていた。チェイサー家の馬車が先に馬場から出てきたのを見て、私はソニア嬢を振り返った。


「本日は楽しませていただきましたわ」


 軽く会釈をし、馬車に乗るよう促す。そのとき、彼女が口を開いた。


「あ、あの!」


 もう一度彼女に視線を戻すと、意を決したような表情でこちらを見つめている。


「お勧めしたい本があるんです。ジェシーのお話がお好きなら、きっと気に入っていただけるかと思います。だから――」


 一呼吸おいて、ソニア嬢はふわりと笑った。


「また、お会いできませんか?」


 予想しなかった言葉にすぐに返事が出来ない。それでも何とか声を振り絞る。


「……ええ、機会があれば」


 ソニア嬢は花が咲いたように笑うと、何度もお礼を言いながら帰っていった。




 冷たい感触が鼻にあたる。上を仰ぐと、低い空からちらちらと細かい白雪が舞い降りてくるのが見えた。


「初雪だわ」


 降りかかる新雪をぼんやりと眺めながら、先ほどの会話を思い出す。また会いたいと、確かに彼女はそう言った。


(本当に、また会えるのかしら……)


 心の中で独り問いかけ、私も馬車に乗り込んだ。






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