二人の絆
番外編です。
未亜が大学1年生になった秋の頃のお話。
「……おい、さっさと降りろよ」
静まり返った住宅街。街灯が照らす道路の路肩には一台の黒い普通車がハザードランプを光らせながら停まっていた。
ため息をついた小埜は右手をハンドルに置いたまま、もう一方の手を助手席に伸ばす。
「いい加減にしないと怒るぞ。…未亜」
細い肩を掴んで自分の方に体を向かせた小埜は、俯いている未亜の顔を強引に上向かせた。
途端、険しかった小埜の表情が柔らかなものへと転じる。
「またフグみたいな顔しやがって。よく飽きないな、お前は」
からかうように笑って左手で小さな頭をくしゃりと撫でる。そのまま手触りの良い栗色の髪を弄んでいると、
「…まだ帰りたくない。雪生さんと一緒にいたい」
むくれながら呟いた未亜は上目遣いで小埜を見上げた。小動物さながら潤った瞳でじっと見つめられ、小埜は思わず左手の動きを止めた。
やばい
その3文字が頭に浮かびあがる。とは言っても欲望に駆られて暴走するほど若くないし、これしきのことで我を失ったりなどしない。
俺だって帰したくない。けどお前を大切に想っているからこそ、その我がままを許すわけにはいかないんだ
そう口にすれば単純な未亜は顔を赤くして機嫌を直し、言われるまま車から降りるだろう。小埜としては淋しいが。
何はともあれ、未亜の両親に心配を掛けることもなく万事解決のはずだ。
だが困ったことに――
…まだ渡せてないんだよな、これ
小埜は黒のレザージャケットのポケットに仕舞ってあるものに右手で布越しに触れる。
固い感触に早くと追い詰められている気がして、またため息をついた。
その様子を未亜は鋭い目つきで捉える。さらに頬を膨らませた。
「今日の雪生さん変です。話しかけてもどこか上の空だし、ため息ばっかりついてる」
ふと、小鹿のような瞳が不安げに揺れた。
「……私といるの、嫌になったんですか?」
「馬鹿なこと言うな。そんなわけないに決まってるだろ」
「じゃあどうしてですか…」
納得の行かない顔をしている未亜を横目で見ていた小埜は乱暴に頭を掻き、ポケットから小さな箱を取り出した。
「ん?何ですかこれ」
きょとんとしている未亜に、小埜は半ば押しつけるようにして箱を渡す。
「いいから受け取れ」
丁寧にラッピングされた箱と憮然とした表情の小埜を交互に見ていた未亜は遠慮がちに口を開く。
「あの、開けてもいいんですか?」
「勝手にしろ」
プイっと窓の外に顔を向けてしまった。未亜は苦笑しつつもリボンを解いて包装紙を外し――
「………え」
箱を開けた未亜の肩が震える。
そこから沈黙が車内に根深く滞在した。
何か言えよ
あまりにも長い沈黙に耐え切れなくなった小埜が顔を横に向ける。と、眼鏡の奥の瞳が驚きの色に染められた。
「お前、泣いてるのか?」
頬を伝う滴を目にして頭が混乱する。
「気に入らなかったか?お前が喜びそうなデザインだと思ったんだが……悪い」
別のものを用意するから、と箱に手を伸ばした小埜に対し、未亜は首を振って拒んだ。
「ち、違います。嬉しすぎて、泣いてるんです」
言葉に詰まりながら紡ぎだされた答えに小埜は安堵の息をつく。
「またため息ついた…」
しょぼんと項垂れた未亜を、小埜は体ごと自分の方に抱き寄せた。
「五月蝿い。いつ渡そうかずっと迷ってたんだよ」
「ふふっ。らしくないことしようとするからですよ」
胸に響いて伝わる皮肉交じりの言葉に、小埜は顔をしかめる。
「何だよ。そんなこと言う奴にはやらない。これは没収だな」
と素早い動作で未亜の手から箱を奪った。
未亜の顔が悲壮に満ちたのは言うまでもない。
「ごめんなさいごめんなさいもうしません許してください」
手を合わせて頭をペコペコと下げ続ける未亜を見下ろす小埜。
…この光景、中学の時に何百回も見たな
昔を振り返りかけた小埜は頭を振って隅に追いやる。
「それだけは勘弁して下せぇ、旦那!」
誰が旦那だ。俺は年貢の取り立て屋か
時代劇を観るのが好きだという未亜は時たま古臭い発言をする。
なぜか虐げられる町人の真似しかしないが。
って、こんな阿呆なことしてる場合じゃない
「分かったから。左手出せ」
差し出された手に未亜はぱっと顔を輝かせ、手を重ねた。
小埜は自分よりもひと回り小さい手を取ってその薬指に清純な輝きを放つシルバーリングをはめる。
「おお、ぴったりです。じゃ、今度は私の番ですよ」
「ん」
箱を未亜に返した小埜は小さな手のひらに自分の左手を乗せる。
そしてその薬指に通されたのは先ほどより大きいサイズのシルバーリングだ。
お揃いの指輪をはめた左手を眺め、未亜は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「まさかペアリングをもらえるとは思わなかったです。もしかして前話したこと、気にしてくれてたんですか?」
「…別に」
大学に進学してから未亜はますます女らしくなり(本人は全く自覚していないが)当然異性から注目を浴びることが多くなった。
もともと可愛らしい容姿の未亜に好意を寄せていた奴は高校の時にもいたらしい。
だが、なぜ表立ってアプローチする輩がいなかったのかというと――
あの3人、というか特に“あいつ”が原因だ
いまだに顔を会わせればひと言目には「あたしの未亜に近寄るんじゃないわよ、陰険眼鏡!」と繰り出してくる“あいつ”だ
その頼もしい友人と未亜は違う学部で、別にまた頼りになる奴が同学部にいるのだが受ける講義が一緒ではない時があるようだ。
勇敢にもその僅かな隙を狙って寄ってくる悪い虫がいるわけで、といった話を以前未亜から聞いた小埜は考えた末にこの行動に出たということだ。
「これでも近寄ってくる馬鹿がいたら言えよ。俺が直接ケリをつけてやるから」
「……ありがとうございます」
満面の笑顔を向けられた小埜は無性に気恥ずかしくなって、元凶を胸に押さえつける。
「ぶっ…!」
顔面からダイブした未亜は変な声を上げた。
「いきなり何すんですか、もう…」
愚痴を零して小埜の胸を押しやる未亜。
小埜は何も言わず、未亜の左手を掴んで口元に引き寄せた。
「えっ」
未亜が大きく目を見張る。
左手首の内側、つまり脈打つ血管が浮き出ている部位に、小埜は唇を押し当てているのだ。
しっとりとした感触と熱が直に伝わる。
「え、な……」
口をパクパクと鯉よろしく開けている未亜に構わず小埜の舌が手首をなぞる。
「ひゃっ!」
短い悲鳴を上げた未亜は顔を真っ赤にさせていた。
口づけを受けた左手首がいまだに痺れているようで変な気分に襲われる。
小埜は奇妙な顔をしている未亜に気づかず、手に取ったままの左手をじっと見下ろした。
「雪生さん…?」
真剣な表情で未亜の手を見る小埜。未亜は彼が何を考えているのか全く分からない。
「もう傷つけるなよ。絶対に」
「あ…」
その言葉に未亜は理解した。小埜が言わんとしていることを。
今はもう傷跡もなくなった左手首。
かつて絶望の果てに、自ら命を絶とうと傷をつけた。
だがそれは失敗し、生き長らえる結果となったのは遠い昔のこと。
「もちろんです。大好きな雪生さんのそばにいられて、私すごく幸せですもん」
小埜の目元が和み、薄い唇が弧を描く。
「そうか。俺も幸せだ」
綺麗な笑顔に未亜は見惚れる。
「そ、それは何よりです…」
落ち着きなく彷徨っていた視線は、手首を解放して顔を近づけてきた小埜によって行き場を失くす。
お互いの額をくっつけて間近で見つめ合う二人。
後ろから一台の車が通り過ぎ、ほんの少しの間だが暗かった車内が明るいライトに照らされ、未亜はびくりと肩を震わせる。
「気にするな。誰も見てない」
小埜が喋るたびに吐息が唇にかけられた。体の中の熱が増大して留まるところを知らない。
顔を少し傾けた小埜は目を閉じて唇を重ねる。
未亜は自分を抱き締める腕に身を任せ、優しい口づけに応えた。
長いようで短いキスの後、小埜は腕の中の未亜を愛おしそうに見つめる。
「生きていてくれて、俺を好きになってくれて、ありがとう」
めったに聞けない愛のこもった歯が浮きそうな台詞。
目を細めた未亜は力強く頷く。
「大好きですっ」
生きていて辛いことの方が多かったかもしれない
今でも時々逃げたしたい気持ちになる時はある
けれど、そこから逃げずに頑張ったら、その先にはきっと自分を成長させる何かが得られると信じてる
それは幸福かもしれないし、後悔かもしれない。喜びかもしれないし、悲しみかもしれない
それでも私は逃げない
だって――
愛するあなたが隣にいるから
fin.
甘いものが欲しくて書いたのですが、書いていた自分が塩に走らざるを得ない結果となりました。
番外編は気紛れに更新していきます。この二人好きなんで。




