第五話 私は嘘をつかない
【蛇ノ目傘音視点】
私は嘘をつかない。
昨日も、今日も、一度も。
嘘をつかなくても、人は動く。
言い方を選べばいい。
それだけの話だ。
「傘音の"嘘つかない"って、いちばんたちが悪いやつじゃん」
昼休みの教室。
私の机に、梨々花が身を乗り出してきた。
「たちが悪いとは言ってない。言い方を選ぶと言った」
「ほら、それ」
隣で千夏が笑った。
「で、うまくいってんの? 百舌鳥の罰ゲーム」
「うまくいってるよ。見たでしょ、朝の」
「見た見た。鐘ヶ淵、黒いノート出して『第三条により開示は禁止』って。何あれ」
「規約だって」
「規約って何」
「知らない。でも百条あるらしいよ」
三人で笑った。
笑いながら、私は朝の鐘ヶ淵の顔を思い出していた。
あの男は、百舌鳥に集まっていた質問を、全部自分のほうに引き取った。
規約、という言葉一つで。
嘘はついていない。
「第三条により開示は禁止」と、彼は言った。
第三条に何が書いてあるかは言っていない。
私と、同じやり方だ。
だから朝、笑ったのだ。
面白い、と思って。
「傘音、今、変な顔で笑ってる」
「笑ってない」
「嘘つかないんじゃなかったの」
「笑ってたかもしれない」
「ほら」
話は昨夜に戻る。
クラスの打ち上げ。
ファミレスの、奥の六人席。
二次会に流れる前に、私たちはいつものゲームをしていた。
子供向けメニューの裏のクロスワードを、誰がいちばん多く答えられるか。
百舌鳥が答える係で、私が書く係。
この時点で、勝負にならないのは全員分かっていた。
「百舌鳥、また全部答えてる」
「だってあれ、簡単で」
「じゃあ百舌鳥だけ、ハンデね。一個でも間違えたら罰ゲーム」
言ったのは私だ。
百舌鳥は負けず嫌いだから、ハンデと言われたら受ける。
受けて、たいてい勝つ。
「受けます。負けませんので」
負けませんので、が出た。
この人はこれを言うと、たいてい負けない。
勝つはずだった。
最後の一マスで、百舌鳥が止まった。
「縦の七。五文字。『打ち明けること』」
「こくはく」
「四文字だよ、それ」
「……」
百舌鳥が黙った。
答えは「うちあけ」でも「こくはく」でもなかった。
正解は今でも知らない。
百舌鳥が答えを言わなかったので、書けなかった。
珍しいことだった。
百舌鳥がクロスワードで止まるのを、私は初めて見た。
「はい、罰ゲーム決定」
梨々花が手を叩いた。
千夏がスマホで何か調べ始めた。
何をさせようか、という顔だった。
私は少し待ってから、言った。
待ったのは、言い方を選ぶためだ。
私は人に「頼む」ということができない。
頼んで断られるのが嫌なのではなく、頼んだ時点で負けだと思っている。
だから頼みたいことは、全部ゲームにする。
罰ゲームにすれば、私は頼んでいない。
百舌鳥が負けただけだ。
「嘘告白、とかどう?」
空気が変わるのが分かった。
「誰かに嘘で告白して、オッケーされたら一週間だけ付き合う。一週間経ったら『罰ゲームでした』って言って終わり。それでクリア」
「傘音、それはさすがに」
「相手が本気になったら可哀想じゃん」
「だから、本気にならない相手を選ぶ。百舌鳥に興味なさそうで、口が堅くて、目立たない人」
これで条件は三つ。
三つも条件を付ければ、人は「ちゃんと考えている」と思う。
思ってくれれば、あとは名前を出すだけだった。
私は名前を用意していた。
用意していたのに、先に言ったのは百舌鳥だった。
「鐘ヶ淵くん」
全員が百舌鳥を見た。
「……え、風紀委員の?」
「かねがぶち?」
「かねがふち。濁らない」
百舌鳥は訂正した。
誰も濁らせないで呼んだことのない名前を、百舌鳥だけが濁らせなかった。
しかも、条件を三つ言われた直後に、一秒で。
私はそれを、面白い、と思った。
思っただけで、何も言わなかった。
用意していたのは別の男子だったけど、そっちのほうが面白そうだったから。
「百舌鳥、本当にいいの?」
「いい。罰ゲームだから」
早かった。
早すぎる、とは、そのときは思わなかった。
ちなみに、そのとき鐘ヶ淵は店の真ん中のドリンクバーにいた。
メロンソーダを注ぐのに、三分かかっていた。
聞こえていたのかもしれない。
聞こえていなかったのかもしれない。
どちらでも、私は嘘をついていない。
百舌鳥は伝票を持って立ち上がった。
「先に帰る。今日、言ってくる」
「今日!?」
「罰ゲームは早く終わらせたいから」
「じゃあ一週間後の火曜で終わりだね」
「終わります。負けませんので」
何にだ、と梨々花が言った。
私も思った。
百舌鳥が店を出て、一分もしないうちに、ドリンクバーの前から鐘ヶ淵がいなくなった。
メロンソーダを、半分残して。
「傘音、あれ追いかけたんじゃない?」
「さあ」
「さあ、って」
「追いかけたなら、面白い。追いかけてないなら、百舌鳥が一人で告白しに行っただけ。どっちにしても、明日の朝が楽しみってこと」
私は嘘をついていない。
楽しみだったのは、本当だ。
四時間目のあと、廊下で鐘ヶ淵とすれ違った。
「規約くん」
「僕のことか」
「朝のさ、第三条。本当は何て書いてあるの?」
「開示は禁止されている」
「それは解釈でしょ。本文は」
「本文は読めない。だから解釈がすべてだ」
「読めないものを根拠にして、みんなを黙らせたんだ」
「嘘は言っていない」
私は笑った。
嘘は言っていない。
私の口癖を、この男は自分で言った。
「規約くん、私と似てるね」
「似ていない」
「似てるよ。嘘をつかないで、人を動かすとこ」
鐘ヶ淵は答えなかった。
答えなかったのは、否定できなかったからだと思う。
私ならそうする。
五時間目の前、百舌鳥の席に行った。
百舌鳥は本を読んでいた。
教科書じゃない。
表紙に「暗号」と書いてある、文庫サイズの本だった。
「何それ」
「図書室で借りた」
「暗号?」
「趣味」
百舌鳥は本を閉じた。
閉じる前に、栃が見えた。
栃じゃなかった。
折りたたんだ紙だった。
昨夜の、子供向けメニューの裏。
私が書いた字のクロスワード。
縦の七は、まだ空いていた。
その余白に、百舌鳥の字で、小さく三つ、同じ名前が書いてあった。
鐘ヶ淵。
鐘ヶ淵。
鐘ヶ淵。
三つとも「ケ」の大きさが違う。
一つ目が大きくて、三つ目がいちばん小さい。
練習だ。
小さい「ケ」を書く練習。
百舌鳥は本を鞄にしまった。
しまう手が、少しだけ速かった。
「……見た?」
「何を」
「何でもない」
「何でもないなら、なんで耳が赤いの」
「赤くない」
赤かった。
耳だけじゃなく、首まで。
百舌鳥は鞄のファスナーを閉めて、閉めた鞄の上に両手を置いた。
開けさせない、という置き方だった。
「傘音。見てないよね」
「私は嘘をつかないよ」
「じゃあ」
「見てない、とは言ってない」
百舌鳥が私を睫んだ。
睫んだ顔が赤いので、まったく怖くなかった。
「ねえ百舌鳥。朝のあれ、鐘ヶ淵に助けられたでしょ」
「助けられてない。規約の説明を聞いただけ」
「規約の説明、って言い方、鐘ヶ淵と同じだよ」
「そう?」
「そう。一日でうつった」
「うつってない」
「本気になったら、罰ゲームじゃなくなるからね」
「ならない」
「早いって」
「ならない」
「三回目、聞くよ。本気に」
「なら……たぶん、ならない」
たぶん、が出た。
二回言うのは、一回じゃ足りないと自分で思っているときだ。
三回目に「たぶん」が付くのは、もう足りていないときだ。
私はそれ以上言わなかった。
言わなくても、来週の火曜日が来る。
帰り道、私は一人だった。
百舌鳥は鐘ヶ淵と、駅まで信号三つの道を歩いていった。
隣に並んで。
規約で決まっているらしい。
校門の横で、二人が信号を待っているのが見えた。
鐘ヶ淵が一歩右に寄ると、百舌鳥も一歩右に寄った。
もう一歩寄ると、もう一歩寄った。
隊列らしい。
隊列にしては、近い。
見なかったことにした。
いや、見た。
全部見た。
私は嘘をつかない。
スマホを出して、グループのトークを開いた。
梨々花、千夏、私。
百舌鳥は入っていない、三人のトーク。
『来週の火曜、みんなで見届けよう』
送ってから、少し考えて、もう一行足した。
『百舌鳥が本当のこと言えるか』
これも、嘘じゃない。
ただ、何を見届けるつもりなのかは、言っていない。




