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第三話 読み上げた人に同意しています

「第十五条〔右手ノ封印〕」

「封印」

「僕の右手に何が封印されてるんだ。中二の僕は、何を封印したんだ」

「知りませんよ。同意します」

「第十八条〔登下校ノ隊列〕。二人しかいないのに隊列」

「先頭は」

「書いた者」

「じゃあ後ろから見てますね。同意します」

「何を見るんだ」

「隊列を」

「第二十七条〔手作リ弁当ノ評価基準〕」

「評価、されるんですか」

「五段階だと思う」

「思う、で人の弁当を評価しないでください。同意します」


 速い。

 速い速い速い。

 同意が速すぎて、もう見出しを読んでいるのか、読み上げの練習をしているのか分からなくなってきた。


「ちょっと待て。さっきから同意が速すぎる。読めないって言ってるのに、なんで同意できるんだ」

「鐘ヶ淵(かねがふち)くんが読み上げるからです」

「は」

「読み上げた人に、同意してるんです。条文にじゃなくて」


 それは、それは。

 条文より恥ずかしいことを、真顔で言うな。

 落ち着くために自販機で何か買おうとして、五月なのにコーンポタージュを押した。


 押したのは僕だ。

 熱い。


「第六十条〔同室時ノ自制〕」


 第三段階。

 最終段階。

 これで帰らない人間はいない。

 同室。

 自制。


 中二の僕が、いちばん読まれたくなかった見出しだと思う。

 言え。


 「馬鹿にしてます?」と言え。

 信号を渡って、明日の教室で目を合わせるな。


 彼女が、黙った。

 今夜、初めて、即答しなかった。

 きた。

 自販機の明かりの下で、右半分だけ白い顔が、右半分だけ赤くなっていく。


 赤くなっていくのを、僕は見ている。

 見ているのに、なぜか、勝った気がしない。


「同室時」

「そういう条文だ。たぶん」

「たぶんって。書いた者でしょう」

「書いた者は鍵を捨てたんだよ」

「……同意します」


 帰らなかった。

 帰らなかったどころか、今のは、三秒より長かった。


 長く考えて、同意した。

 第三段階、失敗。

 作戦は全部失敗した。

 失敗したのに、僕の顔のほうが熱い。


 コーンポタージュのせいにする。


「第八十八条〔浮気ノ定義並ビニ極刑〕」

「極刑」

「極刑」


 二人で、同じ言葉を繰り返した。

 繰り返してから、二人とも少し引いた。


 通りがかった犬が、極刑のところで吠えた。

 犬にも引かれた。


「極刑って、何ですか」

「中二の僕に聞いてくれ」

「連絡先を教えてください」

「消した」

「同意します。極刑には、ならないように」

「第九十九条〔解消〕」

「別れ方の条文ですか」

「本文は読めない」

「読めないのに、解消の条件が書いてあるんですね」

「読めないまま」

「同意します」


 解消の条文がある。

 出口はある。

 出口があるなら、これは罠じゃない。


 と、このとき僕は思った。


「第百条」

「見出しは」

「ない。ページが開かない」


 最後のページは、糊で閉じてある。

 中二の僕が、糊で閉じた。


「封印だ。僕はそう呼んでる」

「開けないんですか」

「開けたことがない。開けたら何が起きるか、書いた者にも分からない」

「同意します」

「読めないのに?」

「読めないのに読ませたのは、鐘ヶ淵くんです」


 彼女はページの端を、指で少しだけなぞった。

 なぞった指が、止まった。


「字が、二種類ありますね」

「え」

「角ばったのと、丸いのと。ここと、ここ」


 言われて見ると、そうだった。

 片方は猫が急いで横切った跡で、片方は、猫が座った跡だ。


「中二の僕は、字が安定しなかったんだよ」

「そうですか」


 彼女はそれ以上、何も言わなかった。

 言わなかったが、封印のページを見る目が、さっきの第六十条のときと同じ目だった。


 同意する前の目。


「以上、百条」

「全部、同意します」


 彼女は言った。

 言ってから、僕を見た。


「これで私たち、付き合ってるんですよね」


 付き合っている。

 規約上は。


「規約の本文、鐘ヶ淵くんも読めないんですよね」


 読めない。


「じゃあ、鐘ヶ淵くんも、何に縛られてるか分からないまま、縛られてるってことですよね。私と同じで」


 言われて、ノートを見た。

 第一条から第九十九条まで、見出しの下に猫の跡が並んでいる。


 我は何をしなければならないのか。

 我。

 中二の僕は、自分のことを我と呼んでいた。


 第三条でそう決めて、九十九条ぶん、我を縛っている。


「書いた者なんだから、知ってるでしょう。じゃあ、私がこれから毎日、"第何条には何て書いてあるんですか"って聞いても、大丈夫ですよね」


 大丈夫じゃない。

 全然大丈夫じゃないが、大丈夫じゃないと言ったら負けなので、コーンポタージュを飲んだ。


 熱かった。


「帰りましょう。第十八条〔登下校ノ隊列〕に同意したので、隊列を組んで」

「隊列って、前後? 横?」

「読めないんですよね。じゃあ、横で」


 彼女は僕の左側に並んだ。

 近い。

 隊列にしては近い。

 肩が当たるか当たらないかの距離で、当たらないほうに寄ろうとしたら、彼女も同じだけ寄った。


「鐘ヶ淵くん。私、パズルが好きなんです」

「知ってる。さっき店で、クロスワードの話だけ声が大きかった」

「聞いてたんですか」

「ドリンクバーは店の真ん中にある」

「この暗号、鍵を捨てたって言いましたよね」

「言った」

「じゃあ、私が見つけても、文句は言えませんよね」


 信号が、青に変わった。


 家に帰って、ノートを机に置いた。

 置いてから、右手の甲を見た。


 自販機の前で、彼女の髪が触れたところだ。

 何も残っていないのに、触れた感触だけが、まだそこにある気がした。


 忘れようとしても、彼女の「同意します」が頭の中で勝手に繰り返される。


 即答の「同意します」も、三秒考えた「同意します」も、全部。

 気づいたら、洗面所で右手を洗っていた。


 汚れてもいないのに。

 クラスで二番目にかわいい女子に告白されて、百条の規約で追い返すつもりだったのに、三段階の作戦を全部同意で潰されて、逃げられなくなったのは、どう考えても、僕のほうだった。

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