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第二十四話 夏休みは、適用外です

「帰りのバスで、先に寝たほうの負けです」


 合宿の三日目。

 バスが研修所を出たところで、百舌鳥(もずどり)が言った。


「なんでもう勝負なんだ」

「二泊ぶん、寝不足なので。先に寝そうなのは、鐘ヶ淵(かねがふち)くんです」

「百舌鳥さんだって寝てないだろ」

「負けません」


 指を一本立てた。


「六十二日目です」


 嘘じゃない日の、六十二日目。

 数えるときの彼女は、いつも少しだけ得意そうだ。


 負けず嫌いの寝顔を見るのも悪くない、と思いながら、僕は窓の外を見た。

 海が、どんどん後ろに流れていく。


 そのとき、ずっと考えていたことを、言うことにした。


「夏休みは、規約の適用外だ」


 言ってしまった、と分かったのは、ずっとあとだ。


 理由は、ちゃんとあった。


 罰ゲームは、終わった。

 百舌鳥が交際規約に付き合う理由は、もうない。

 それでも彼女は、毎晩二十三時に電話をかけてくる。

 第四十一条に、そう書いてあるからだ。


 夏期講習は登校日だから、平日だった。

 でも、今日からは本当の夏休みだ。

 あと一か月ある。


 土日が適用外なら、夏休みも適用外だ。

 休みの日を、一か月ぶん並べただけなのだから。


 一か月、義務で電話をさせるのは、風紀委員として見過ごせない。

 彼女を、規約から自由にしてあげる理屈だった。

 完璧だと思った。


「……適用外、ですか」


「ああ。電話も、しなくていい。規約じゃないから」


 百舌鳥の顔が、一瞬だけ、止まった。

 それから、すぐにいつもの顔に戻った。


「わかりました」


 僕は、窓の外の海を見ていた。

 最後に、もう一度見ておこうと思ったのだ。


「わかりました」


 二回目は、バスのエンジンの音で、よく聞こえなかった。


 百舌鳥は、それから駅に着くまで、単語帳を開いていた。

 一ページも、めくっていなかった。

 僕がそれに気づいたのは、ずっとあとだ。


 先に寝たのは、僕だった。

 目が覚めたとき、彼女はまだ起きていた。

 「負けです」とは、言われなかった。


 駅の改札の前で、百舌鳥が、僕の左袖をつまんだ。


 第十二条。

 汝が我の袖を引いた時は、触れてよい。


 手を伸ばしかけて、止まった。


 夏休みは、適用外だ。

 さっき、僕がそう決めた。

 適用外なら、第十二条も、ない。

 ないなら、僕が彼女の手を取る理由は、どこにも書いていない。


 書いていないことを、僕はしない。

 去年、そう決めた。


 百舌鳥の指が、袖から離れた。


「では、また、二学期に」

「二学期って、一か月先だぞ」

「はい。適用外なので」


 指は、立てなかった。

 上げかけた右手を、そのまま鞄の持ち手に戻した。


「数えないのか」

「休みなので」


 彼女は、改札を通っていった。

 一度も、振り返らなかった。

 今まで、振り返らなかったことは、一度もなかったのに。


 その夜。

 二十三時に、電話は鳴らなかった。


 当たり前だ。

 しなくていい、と言ったのは僕だ。

 彼女は、言われたことを、きちんと守る人だ。


 スマホを、枕の横に置いた。

 二十三時五分に、手に取った。

 二十三時十分に、また置いた。


 僕からかければいい。

 それは分かっていた。


 でも、規約じゃない電話をかけたら、それは、僕が彼女の声を聞きたい、ということになる。

 それは、どこにも書いていない。

 書いていないことを口で言わないために、僕は去年から一人で帰ってきたのだ。


 枕に顔を押しつけると、合宿の二日目の夜の声を思い出した。

 「囁いても、いいですか」。

 名前どおりにどうぞ、と答えたのは、僕だ。

 どうぞと言った次の日に、しなくていいと言った。


 順番が、逆だったのかもしれない。

 そう思いかけて、やめた。

 どちらも規約の話だ。規約の話なら、僕は間違えていない。


 二日目の昼は、夏休みの課題をした。

 小テストで間違えた三つの単語を、十回ずつ書いた。

 三つ目の単語は、promise だった。

 十回書いても、覚えた気がしなかった。


 二日目の夜も、鳴らなかった。


 代わりに、五月雨(さみだれ)からメッセージが来た。


『鐘ヶ淵! 夏祭り行こう! 世界一好き!』

『行かない』

『なんで!』

『規約の適用外だ』

『お前と私の間に規約なんかない!』


 それは、そうだ。

 五月雨とは、何の規約も結んでいない。

 だから関係ない、と返して、スマホを伏せた。


 五月雨は、規約がなくても、毎日僕を誘ってくる。

 そのことの意味を、僕はそのとき、考えなかった。


 三日目の夜。

 二十三時を過ぎても、何も鳴らなかった。


 零時が近づいて、スマホを置いて、目を閉じた。


 その瞬間、スマホが震えた。


 慌てて手に取ったときには、もう止まっていた。

 画面に、着信の通知が一件。


『百舌鳥囁 23:59』


 一回だけ鳴って、切れていた。


 かけ直そうとして、指が止まった。

 メッセージの欄に『今、電話くれた?』と打って、消した。

 『声が』と打って、その先が打てずに、消した。


 打っては消すのは、月曜の夜のプリントの裏と同じだった。

 僕は、あのときから、一文字も進んでいない。


 零時三分。

 メッセージが、二通続けて届いた。


『間違えました』

『間違えました』


 二回だ。


 嘘だ、と分かった。

 彼女は、嘘をつくと、同じ言葉を二回言う。

 一年見てきた僕が、それを知らないわけがない。


 それなのに、何と返せばいいのかが、分からなかった。

 規約のない返事の書き方を、僕は知らなかった。


 朝、スマホに、もう一件メッセージが来ていた。

 百舌鳥からではなかった。


『規約くん。百舌鳥から聞いたよ』

『夏休みは、適用外なんだってね』


 蛇ノ目(じゃのめ)傘音(かさね)だった。


『じゃあさ。その規約、もういらないんじゃない?』


――――――――――

お読みいただき、ありがとうございます。

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毎日12時と20時に更新しています。

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