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第二十一話 罰ゲームでした

「今日は、何もしないでください」


 火曜の朝。

 改札の前で、百舌鳥(もずどり)が言った。


「おはよう、より先に言うのか」

「おはようございます。何もしないでください」

「順番を直しても、中身が同じだ」


 彼女は、指を立てなかった。

 もう、数える日が残っていないからだ。


 僕たちは、並んで歩いた。

 第十八条。歩幅は、汝に合わせる。

 今日の彼女の歩幅は、いつもより大きかった。


 中間試験の一日目だった。


 一時間目は、英語。

 過去完了の問題が出た。

 終わったことの、さらに前の話。


 金曜の夜に、彼女が分からないと言っていたところだ。

 斜め前の席で、彼女のシャーペンが迷わず動いていた。


 僕のほうが、三秒止まった。

 解答欄に、「promise」と書きそうになったからだ。

 問題は、promise と何の関係もなかった。


 昼休み。

 前の席から、五月雨(さみだれ)が振り向いた。


「鐘ヶ淵。今日、なんかあるんだろ」

「何もしない日だ」

「お前の顔、何もしない顔じゃないぞ」

「どんな顔だ」

「私が入学式で鐘ヶ淵を見つけたときの顔だ」

「それは、どんな顔なんだ」

「世界一好きって顔だよ!」


 声が大きい。

 教室の半分が、こっちを見た。


 百舌鳥は、見なかった。

 弁当を半分残して、ふたを閉めていた。


 放課後。

 屋上に出る階段の、踊り場。


 先に来ていたのは、蛇ノ目(じゃのめ)傘音(かさね)だった。

 後ろに、梨々花(りりか)と千夏(ちなつ)がいる。

 梨々花は、スマホを持っていた。

 千夏が、その手を下ろさせた。


「来たね、規約くん」

「何もしに来てない」

「うん。見届けに来たんだよね。私たちと同じ」


 同じにされた。

 反論しようとしたら、階段の下から足音がした。


 百舌鳥が、上がってきた。


 一段ずつ、ゆっくり。

 最後の一段で、止まった。

 右手を、ぎゅっと握っている。


 踊り場には、五人。

 窓から、夕方の光が斜めに入っていた。


「鐘ヶ淵(かねがふち)くん」


 彼女は、蛇ノ目ではなく、僕のほうを向いた。


「言います」


 僕は、何もしなかった。

 何もしないのは、こんなに体力がいることだったのか。


「あの夜の、自販機の前の告白は」


 声が、一回、切れた。

 彼女は、握った右手を、胸の前まで上げた。


「罰ゲームでした」


 言い切った。


「ごめんなさい」


 頭を下げた。

 長い髪が、肩から前に落ちた。


 耳は、赤くなかった。

 嘘じゃないからだ。


 知っていた。

 最初から、全部。

 ドリンクバーの前で、メロンソーダを三分かけて注ぎながら、聞いていた。


 それなのに。

 彼女の口から聞くのは、まるで違った。


 知っていることを、本人の声で言われる。

 それだけで、胸の真ん中が、ぎゅっと痛くなった。


「……知ってる」


 やっと、それだけ言えた。


「知ってるのは、知ってます」


 彼女は、頭を下げたまま言った。


「でも、私が言わないと、ずっと嘘のままなので。鐘ヶ淵くんが知っていても、私の嘘は、私が言わないと終わらないので」


 顔を上げた。

 目が、少し濡れていた。

 泣いてはいなかった。

 泣いていません、と言われる前から分かった。


 ぱち、ぱち、と音がした。


 蛇ノ目が、ゆっくり手を叩いていた。


「はい、クリア」


 いつもの、にこにこした顔だった。


「約束どおり、罰ゲームは無かったことにするね。クラスにも、何も言わない」

「え、じゃあさ」


 梨々花が、スマホを握ったまま言った。


「別れるの?」


 踊り場が、静かになった。


 罰ゲームは、無かったことになった。

 罰ゲームで始まった交際は、どうなるのか。


 誰も、答えなかった。

 百舌鳥が、僕を見た。

 握っていた右手が、ほどけかけていた。


「別れない」


 口が、先に言った。


 五人ぶんの視線が、全部こっちに来た。


「第九十九条〔解消〕。我と汝が別れるときは、二人とも名を書くべし。一人だけが書いても、別れたことにならず」


 鞄から、ノートを出した。

 黒い表紙。

 第九十九条のページには、破れたプリントが挟まったままだった。


 余白の署名欄を、みんなに見せた。

 四角が二つ。

 どちらも、空いている。


「僕は、書いていない」

「……私も、書いていません」


 百舌鳥の声が、少し震えた。


「罰ゲームは、無かったことになった。でも、交際規約は、罰ゲームの規約じゃない。僕が中二で書いた規約だ」

「屁理屈じゃん」


 梨々花が言った。


「屁理屈だ。風紀委員の、正式な屁理屈だ」


 言ってから、しまったと思った。

 正式な屁理屈なんてものは、どの校則にも書いていない。


「私はさ」


 蛇ノ目が、階段の手すりに寄りかかった。


「罰ゲームを無かったことにする、って言ったの。付き合ってるのを無かったことにする、とは言ってないよ」


 あの人は、いつもそうだ。

 何を、とは言わない。


「よかったね、百舌鳥」

「……うん」

「でもさ」


 蛇ノ目は、にこにこしたまま、首をかしげた。


「一個、まだ言ってないよね」


 百舌鳥の顔が、一瞬で真っ赤になった。

 耳も、首も、全部。


「傘音!」

「私は嘘をつかないよ。言ってない、って言っただけ」


 蛇ノ目は、梨々花と千夏を連れて、階段を降りていった。

 降りながら、手だけ振った。


 踊り場に、二人だけ残った。


「一個って、何だ」

「言いません」

「さっき、言うって言っただろ」

「今日言うのは、罰ゲームのことだけでした」


 彼女は、窓のほうを向いた。

 背中が、少しだけ笑っていた。


「それと。鐘ヶ淵くん、何もしないでください、と言ったのに」

「別れない、は、何かに入るのか」

「入ります」


 振り向いた。

 目元が、赤いまま笑っていた。


「入りますけど、今日は、違反にしません」


 帰り道。

 駅までの、信号三つ。


 一つ目の信号で、彼女が指を一本立てた。


「一日目です」

「何の」

「嘘じゃない日の、一日目です」


 昨日まで減っていた指が、今日から増えることになった。


「昨日の、最後の一回が、まだです」


 そうだった。

 焼き方の、残りの一回。


 僕は、横を向いた。

 彼女は、もうこっちを向いていた。


「かわいい」


 彼女は、聞こえなかった顔をしなかった。

 聞こえた顔のまま、立てた指を、そっと下ろした。


「……聞こえました」


 一回だけだった。


 信号が青になった。

 歩きだしてから、気づいた。


 罰ゲームは終わった。

 嘘も終わった。

 なのに、僕は、自分が何を思っているのかを、まだどこにも書いていない。


 書いたのは、破って挟んだ、あの一文字だけだ。


――――――――――

お読みいただき、ありがとうございます。

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毎日12時と20時に更新しています。

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