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第十四話 何を、とは言ってないよ

「五分だけ、規約くんを借りるね」


 蛇ノ目(じゃのめ)がそう言うと、百舌鳥(もずどり)が僕の袖をつかんだ。

 つかんで、すぐに離した。自分でも驚いた顔をしている。


「借りたものは、返してください」

「返すよ。ちゃんと」

「五分です。数えてます」

「知ってる。数えるの、好きだもんね」


 百舌鳥は、階段を三段降りて、振り返った。

 二段降りて、また振り返った。

 四回目に蛇ノ目が手を振ると、走って降りていった。


 足音が消えるまで、僕は袖を見ていた。

 つかまれたところだけ、少し皺になっている。


 伸ばそうとして、やめた。


「今朝、改札で見てたよ」


 蛇ノ目が、手すりに寄りかかった。


「梨々花(りりか)が写真を撮ろうとして、千夏(ちなつ)に止められてた」

「止めてくれて助かる」

「傘、百舌鳥のほうが傾けてたよね。肩、濡れてた」

「……見えてたのか」

「見えてた。見えてた、は本当」


 嘘をつかない人は、こういう言い方をする。


「規約くんに、聞きたいことが一つだけあるの」

「規約に関する質問は、第三条により、当事者以外へは開示できない」

「第三条は、我と汝の定義でしょ。百舌鳥から聞いた」

「解釈権は」

「書いた者にある。それも聞いた」


 あの子、何でも話しているじゃないか。

 僕の切り札は、全部、持ち主に知られていた。


「あの夜、ドリンクバーにいたよね」


 踊り場の空気が、一段冷えた。


「……いた、とは言わない」

「うん。いない、とも言わなかったね」

「言ってない」

「私と同じだね。嘘はつかない。言わないだけ」


 蛇ノ目は、指を一本立てた。


「メロンソーダ」

「何だ」

「三分かけて注いだのに、半分残していなくなった人、初めて見た」

「炭酸が抜けたんだ」

「三分もかけたらね」


 ツッコミが、そのまま自分に返ってきた。

 三分で抜けるのは、炭酸より、言い訳のほうだ。


「勘違いしないでね。責めてないよ。もし知ってたとしても、断らなかったのは、規約くんの勝手だし」

「知ってたとは、言ってない」

「うん。言ってない」


 蛇ノ目は、笑ったまま続けた。


「罰ゲームは、一週間付き合ったらクリア。今日で、一週間。だから、クリアの判定をします」

「まだ、判定してなかったのか」

「私が決めるの。何をクリアしたのかも」


 何を、とは言ってない。

 そういう意味だったのか。


「判定は、来週の火曜に延ばす。それまでに、百舌鳥が自分から、本当のことを言えたら、罰ゲームは無かったことにしてあげる」

「言えなかったら」

「私が、クラスに全部話す。誰が、誰に、何のために告白したか」


 気づいたら、僕の指が、ノートの背表紙を強く押していた。


「それは、脅迫だ。風紀委員として見過ごせない」

「命令してないよ。選ばせてるだけ」

「彼女に言わせるな。話すなら、僕が」

「規約くんが? 何を話すの?」


 止まった。


 「知っている」と言えば、彼女が一週間かけてついた嘘が、全部、意味を失う。

 彼女に恥をかかせないために、断らなかったのに。


「……何も。ただ、彼女に恥はかかせない」

「やっぱり、優しいよね」

「優しくない。風紀を守っているだけだ」

「優しい人は、みんなそう言うよ」


 蛇ノ目は、階段を降りかけて、振り返った。


「百舌鳥にも、同じこと聞いていいかな。あの夜のこと」

「聞くな」

「聞かれたことには、答えるよ。聞かれてないことは、言わないけど」


 嘘をつかない人の、いちばん怖い言い方だった。


 昇降口に、百舌鳥が立っていた。

 水色の傘を、両手で持っている。


「五分三十秒でした」

「三十秒、多いな」

「三十秒、遅刻です」

「僕は借りられた側だ。遅刻したのは蛇ノ目さんだろ」

「では、待たされた三十秒ぶんを、今夜の電話で取り返します」

「何の話だ」

「三十秒、長く話します」

「それは、取り返すとは言わない」

「言います」


 彼女は傘を開いて、僕の頭の上に差し出した。

 朝より、少しだけ、近い。


 並んで歩くと、肩が触れた。

 触れて、離れて、また触れた。

 傘の中は狭い。狭いのは傘のせいだ。


 彼女の肩が、小さく跳ねた。


「……近いです」

「傘が小さいんだ」

「小さいのは、傘です。近いのは、私たちです」


 言ってから、耳が真っ赤になった。

 自分で言って、自分で赤くなっている。


「今のは、解釈です」

「書いた者は、僕だ」

「では、解釈権は、私に譲ってください」

「断る」


 譲ったら、たぶん、全部持っていかれる。

 それとは別に、持っていかれてもいいと思った自分が、いちばん厄介だった。


 そのとき、彼女のスマホが震えた。

 画面を見て、足が止まる。


 傘が、傾いた。

 雨が肩を伝って、僕の襟に入った。


「どうした」

「何でもないです」


 彼女の顔が、白かった。

 耳も、頬も、どこも赤くない。


 嘘をつく前に赤くなる人が、赤くならないのを、初めて見た。


「何でもないです。何でもないです」


 二回。

 今度こそ、嘘だと分かった。


 駅までの残りの道は、傘の音しかしなかった。

 改札で、彼女は指を立てなかった。手も振らず、頭だけを下げて、階段を上がっていった。


 夜。二十三時。


 スマホを膝に置いて、ベッドの上で正座した。

 正座の理由は、もう聞かないでほしい。


 二十三時一分。鳴らない。

 二十三時五分。鳴らない。

 二十三時十分。鳴らない。


 第四十一条には、毎夜、と書いてある。

 毎夜、なのに、初めて、鳴らなかった。


 画面は、暗いままだった。


――――――――――

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