77.旅立ちの朝焼け
翌日早朝、白み始めた空の下。ラッカルディオの里口には三頭の馬が並んでいた。アズマリアが用意してくれた馬達だった。
「あたしこの子がいい!」
アシュリーが真っ先に飛びついた馬は、艶やかな栗毛の馬だった。朝の光を受けた毛並みは赤銅色に反射し、首筋から背にかけて滑らかな光沢が流れている。
アシュリーがその背を撫でると馬はピクリと耳を動かし、落ち着いた眼差しでアシュリーを見返した。
「随分といい馬を揃えたな」
そう言いながらグレンが左の黒鹿毛の馬を撫でる。靱やかな筋肉の浮かぶ肩や腰。大人しいその姿とは裏腹に力強さと気品が同居している。
グレンはこの黒鹿毛の馬に決めたようだ。
だったら僕はと、レインが視線を向けた先は、残った灰色の毛並みを持つ馬だった。白と黒とが混じり合い、霧を纏った岩肌のような色合いをしている。その馬は人懐っこい性格なのか、隣に佇む栗毛の馬に鼻先を近づけては追い払われてを繰り返している。
何だか愛嬌のある奴だった。
レインが灰色の馬の背中を撫でてやると、ブルルと小さく鳴いた。
「その子の名はグレースだ」
後ろから近づいたアズマリアが言った。
この灰色の馬の名はグレースと言うらしい。
「ちなみにアシュリーの馬はベリー、グレンの馬はセバスチャンだ」
「名前なんて誰がつけたんだ?」
グレンの問に勿体ぶってアズマリアが答える。
「私だ」
「お前かよ……」
「いい名だろう?みな気性の穏やかな良い子達さ。大事にしてやってくれ」
「へいへいあんがとよ。しかし頼んでおいた荷馬車はねえのか?」
確かに、事前の話では馬三頭に加えて荷馬車を付けてくれると言っていたが、どこにも見当たらない。
「やだよ。荷馬車なんて用意したら君、この子達を酷使するだろう。可哀想じゃないか」
「あっそーかよ。ま、無けりゃ無いで何とかなるか」
するとアズマリアが腰に下げた布袋を漁り始めた。
「その代わりと言ってはなんだが……ほらこれ、君に渡しておこう」
そう言ってレインの元まで歩み寄り、徐に差し出してきたのは、小さな指輪だった。
レインが指輪を受け取る。
その指輪は銀細工の美しい指輪だった。繊細な光沢を魅せる銀の輪、その中央の台座に透明な半球状の宝石がはめ込まれていた。
宝石は澄み切った水滴をそのまま固めたように透き通り、その内部にはなんと朝焼けの空が浮かび上がっている。
一瞬、真上にある空の色が指輪に反射しているのかと思った。しかし違う。確かに宝石の中に空が浮かんでいるのだ。まるで朝焼けの空が宝石の中に閉じ込められたかのように。
「こ、これ……何なんですか?」
「私が創ったアーティファクトだ。普段はその地点にある空模様を映し出すんだ。綺麗だろう」
「は、はあ……」
「試しにマナを込めてごらん」
アズマリアに言われるまま、レインは指輪にマナを込めた。
「え、これ……」
気付いた。
指輪の中に空間がある。亜空間とでも言うのだろうか。こことは違う別の空間が指輪の中に存在している。それがわかるのだ。しかも、その空間内に何かが入っている。
「これ……食糧?それに、テント、毛布……色んな道具がある」
レインの呟きを聞いて、隣にいたグレンとアシュリーは不思議な顔で首を傾げた。
「なに、どういうこと?」
アシュリーが尋ねると、アズマリアが答えた。
「指輪の中に特殊な空間を創ってある。その空間内にあるものは時を止めて永遠に存在し続けるのさ。勿論中にある物を出し入れすることも可能だ」
驚いてレインもアシュリーもアズマリアの顔を見た。
「試しに何か入れてみたらどうだい?」
言われるまま、レインは周囲を見渡した。
その様子を見て、アズマリアが忠告を挟む。
「ああ一つ言っておくけど、生きた生物は指輪の中に入れることは出来ないよ」
「こ、怖いこと言わないでくださいよ」
動揺しながら、レインは腰に差す漆黒の剣を取り外した。
「指輪を一メートル以内に近づけて、マナを込めつつ指輪内にそれを仕舞おうと考えればいい」
言われた通り指輪にマナを込めて、「剣を指輪の中に仕舞う」という動作を思い描く。その瞬間、漆黒の剣は音も立てずにその場から消失した。
「……わぁ」
不意に声が漏れるほど、理解の及ばぬ奇妙な感覚を味わわされた。
「すごい!ほんとに消えたわ!」
アシュリーがはしゃぐ。
「ねえ!もう一度出してみなさいよ!」
アシュリーに急かされるまま、今度は手元に取り出すよう念じてみる。
すると今度は漆黒の剣が音も無く手元に現れる。
レインもアシュリーも、その摩訶不思議な現象に声を漏らす。
するとグレンが後頭部を掻きながら零した。
「おっかねえな……こんなヤバい代物を寄越すとか何企んでんだお前」
「失礼な男だな君は。せっかく旅の無事を祈って囁かなプレゼントを用意したっていうのに」
「こんなもんいくら金貨積んだって買えねえぞ。何か裏があるって考えんのが普通だろうが」
「君は本当に疑り深いね。卵の礼だよ。それにアシュリーは私の弟子でもあるんだよ。可愛い弟子が旅に出るって言うんだ。大手を振って見送りたいと思うのが師匠心というものだろう」
アシュリーが嬉しそうに頬を染める。
「けっ、のわりに指輪をやるのはレインなのかよ。アシュリーにもやればいいだろ」
確かに、とレインもアシュリーも思う。
「いやね、そうしたいのは山々なんだが……なんせこの指輪、途方もなくマナを喰うんだ。彼の様にイカれたマナでも持ってないと直ぐにガス欠さ」
――イカれ……。
レインは少しばかりショックを受けた。
対してアシュリーはどこか嬉しそうに言う。
「でも嬉しいわ……アズマリアがそこまであたしのことを考えてくれてたなんて……私のことをちゃんと弟子と思ってくれてたのね……」
「当然だろう。どれほど私を薄情と思っていたんだい」
アシュリーがアズマリアに抱きついた。
その瞳には少しばかり涙が滲んでいる。
「アズマリア……またきっと会いに来るわ」
「ああ、いつでもおいで。君たちの無事を祈っている」
「うん…………大好きよっ……」
アシュリーの言葉は悲しげに、朝焼けの空に舞う。
長い旅になるだろう。ここへ戻って来るのがいつになるか、果たして生きて戻って来られるのかもわからない。だからこそ彼女達は、こうして別れを惜しみ涙を見せるのだ。
震えるアシュリーの背中を見て、やはり彼女も普通の女の子なのだとレインは思い知らされる。
グレンが馬に飛び乗ったのを合図に、アシュリーも自身の馬ベリーに飛び乗った。
レインが灰色馬グレースの背を不安げに見上げた。
アシュリーが馬の上から煽る。
「何あんた、もしかして馬に乗ったことないわけ?」
「あ、あるよ……たぶん」
馬に乗った記憶は無い。だが、扱い方は知っていた。この知識をどこで手に入れたのかは全く覚えていない。
レインが鐙に足をかけ、飛び乗るように鞍に跨った。馬の背は思いのほか高く、地面から離れた視界はいつもと違って見える。
手網を握り、レインは思う。
――どうして、思い出せないんだ……。
手網を掴むてがギュッと固まる。
思い起こされるのはあの言葉。
『お前さん、この剣で一体何人斬った』
――僕が人を……。
頭の奥がズキっと痛む。
思わず額に手を掛けた。
そんな様子を隣で見ていたアシュリーが言う。
「あんたラッカムさんに言われたこと、まだ気にしてるわけ?」
呆れたようにアシュリーは首を振る。
「ばっかみたい。あんたなんかに人斬りが出来るわけないでしょ」
「ぼ、僕だってそう思うよ……」
「じゃあ気にするだけ無駄じゃない」
彼女の言う通り、自分なんかが簡単に人を斬れるとは思えない。きっと自分じゃない、以前の持ち主がこの剣を使って人を殺したことがあるとか、多分そんなオチだ。それにラッカムの勘なんてものが宛になるのかもわからない。剣を見ればわかるなんて言ってたけど、どうだか。
そう思うと、少しずつ心の不安が晴れてきた。確かに彼女の言う通り、考えるだけ無駄だ。
「おい、そろそろ行くぞ」
グレンが急かした。
レインが首を振って前を向く。
アシュリーが大きく手を振って叫んだ。
「行ってくるわ!アズマリア!」
三頭の馬が揃ってゆっくりと走り出す。
振り向くとそこには、遠ざかっていくアズマリアが小さく手を振っていた。
再びレインが前を向く。
そこにはどこまでも果てしなく続く岩草の道が、朝焼けに照らされて眩しく光っている。
――今は悩んでたって仕方がない。前を向け。生きてさえいれば、そのうち見えてくる。この人についていけば、何か……。
レインの見つめた先には、グレンの大きな背があった。
軽快な蹄の音が鳴る。
風が靡き、種々が揺れる。
まだ見ぬ旅が、ここから始まる。




