78.道中夜
ラッカルディオを出て日が暮れるまで馬を走らせると、行く手を阻む深い森に突き当たった。この森を抜ければ街道に差し掛かるところだが、明かりのない森を駆け抜けることほど愚かな旅路もない。
自分達はいい、馬に乗って揺られた程度で疲れるほどやわでは無い。が、馬達はそうはいかない。常歩速歩を繰り返しながら、道中で休息を挟んだりもしたが、この日暮れまで走り続けたのだから疲労はあろう。ここらで今夜を明かすのが賢明と言ったところ。
グレンの指示で、レインとアシュリーが馬から降り、ロープで馬を近場の木に繋ぎ止めた。
その森は少し冷え込んだ。
「だ〜から、違うって言っんでしょ!?昼間あたしが教えたこともう忘れてるわけ!?」
アシュリーの声が森の木々に反射する。
昼の休憩の時もそうだが、彼女の教え方はおっかない。最初の方はまだ優しかったのだが、魔術理論の基礎を教わって以降はこの感じだ。
魔術には大きく分けて火水地風雷闇光の七属性が存在する。マナを手元に集め、放出。その単純な過程において、術者のイメージ付与が差し込まれることで、現象――発現へと昇華される。一般的な理屈としてはこうらしい。
だが彼女の魔術理論、もといアズマリアが彼女に与えた真魔術理論はさらにその現象発現のメカニズムを細分化し、深く理解することでより密度の高いイメージ付与を実現し、高度な魔術構築を可能にするというもの。
例えば彼女が教える火魔術の発現理論はこうだ。この世界には目に見えないほど微細な物体の粒子が存在していて、それを意図的に振動させることによって熱が生み出されるのだそう。これを熱運動干渉技術と呼ぶ。そしてその熱干渉へ燃料となるマナが加わることで炎が形成される仕組みらしい。
一般的な魔術師はこの理論をすっ飛ばし、頭の中のイメージのみで無意識的に魔術を発現させるが、真魔術理論ではこのメカニズムを深く理解し意識的に発現させることでその精度を向上させる。これにより同じ火魔術でも、火力や規模、構築速度、果てはマナの消費量にまで影響を及ぼすそうだ。
「まああんたにすぐ理解出来るとは思ってないわ」なんて自慢げにアシュリーは言っていた。
その鼻先をへし折ったのが良くなったのだろう。
結果的に言えば、レインは即座にその理論を理解し、強く大きな火球を生成してみせた。
彼女の言う粒子とはつまり原子や分子の話だとすぐにピンと来たし、それらの激しい運動が熱の正体であることも知っていた。
この知識をどこで、と聞かれればまた答えに詰まるのだが、予備知識のあったおかげでレインはいとも容易く火の魔術を習得してしまった。それがきっと、彼女のプライドを刺したのかも。こんなことならもっと悩んだり失敗する素振りでも見せれば良かったと、今更ながら後悔を感じている。
しかしながら、全部が全部上手くいったわけじゃない。上出来だったのは火と風の魔術。逆に水、地、雷、光の魔術に関しては現象の発現には成功したものの、まだまだ初心者レベルといったところ。そして闇の魔術に関しては発現すら出来なかった。マナで闇を作り出す、という理解に及ばない現象を上手くイメージすることが出来なかったのだ。
「あんたのイメージがショボイのよ。マナの扱いだけは一丁前なのが腹立つわ」
ツンケンするアシュリーから目を背け、レインがボソッと呟く。
「……今日が初めての魔術なんだから、もうちょっと優しく言ってくれてもいいのに……」
「なんか言った?」
「いえ、なんでもございません」
「ま、あんたに魔術を教えるって師匠と約束したからには最後まで付き合ってあげるわ。覚悟しなさいよね」
結局、なんだかんだ言いながらも彼女は自分を認めてくれているのだろう、とレインは思う。
そんな頃、布張りのテントから顔を覗かせたグレンが声を飛ばした。
「おーい、そろそろ飯にすっぞ」
「あ、はーい」
レインがその声に反応し立ち上がった。
レインの右手中指に光る、アズマリアより授かった指輪型アーティファクト――オルテアリンク。
レインがマナを込めると、指輪から木製テーブルがバンと現れた。その上に鍋や木製食器、更にパンや食材を一式取り出していく。
これから彼は料理を始めようと言うのだ。
誰かがレインを料理当番だなんて言った覚えもないのだが、グレンの一声だけで反射的に脳は反応し、肉体は今晩の食事を作り始めた。
その染付けられた動きを見て、アシュリーが顔を引き攣らせる。
「あんた、いつもそうやって師匠のご飯を作ってるわけ?」
「え、ああ、うんまあ、そんな感じ」
その返答を聞いて、アシュリーは彼が何だか不憫に思えてきた。
突然アシュリーがレインの持つ薪を取り上げる。
「貸しなさい。私も手伝ってあげる」
「ほんと?ありがとアシュリー」
「はぁ……私も昔は師匠の世話をよくやらされたものだわ。でも甘やかしすぎるのも良くないから、定期的に断んなさいよね。なんならあたし達が叱ってあげないと」
「そんなことしたら怒られるよ」
「あら、あたしは怒られなかったわよ」
「……、」
君は怒るとおっかないから、なんて口が裂けても言えない。
「で、何すればいいわけ?」
「まず鍋で湯を沸かそう。薪に火をつけて石で囲んで、その上で鍋に火をいれて欲しいな」
「はーい」
アシュリーが珍しく素直に準備に取り掛かる。
その隙にレインは木で作られた俎板の上に野菜を寝かし、ナイフでザク切りにしていく。
――それにしても本当に凄いなこの指輪は……いつのものかは知らないけど、食材の鮮度が全く落ちてない。
指輪は別空間に物体を保管する際、その時を止めるとアズマリアは言っていた。生鮮食材だってこれなら腐らないだろう。
「それで、何作るの?」
鍋に火をかけ終えたアシュリーが、隣からひょっこり顔を覗かせた。
「この辺りは結構冷えるみたいだし、パンもあるからスープでも作ろうかと思って」
「ふーん」
「凄いんだよアズマリアさんがくれた指輪。食材だけじゃなくて料理に必要な道具も全部揃ってる。こんな凄いアーティファクトを作れるだなんて、あの人一体何者なの?」
「さあね、二年半も一緒に過ごしたけど、詳しいことは私にもわからないわ。ただ何百年も生きてるエルフってことくらいしか……」
「そうなんだ」
「ええ。言ってることが良く分からない時もあるし、何考えてるか分からないこともある。朝起きたら急にいなくなってて、突然真夜中に帰ってきたり、三日四日いなくなることもあったわ。その間どこで何をしてたのかは教えてくれないし……ほんと謎の多い人だった……まあでも、とっても優しかったわ」
そう語る彼女の表情には、どこかまだ寂しさが消えきらず残っているみたいだ。
「そっちの肉は?」
話を切りかえたかったのか、アシュリーの視線がテーブルの端に置いてある肉を見た。
それは分厚い輪切り肉だった。
「多分鹿の肉かな……?これは丸々焼いた方が美味しいかなって」
「へ〜こんなモノまで入ってたのね……中々食べられないわよこんな大きな肉」
レインが肉の両面にスパイスを塗す。
その後、調理用の石板を火でキンキンに熱したあと、小さく切り離しておいた肉の脂身を熱した石板に塗り付け、溶けだした脂を薄く引く。
そこへ、スパイスの効いた輪切りの肉が落とされた。
ジュワッと音が鳴り、肉の焼ける香ばしい匂いが広がってくる。
その手際の良さにアシュリーが「お〜」と声を漏らす。
「このまま強火で表面を焼き付けることで、旨味を内部に閉じ込めるんだ」
「もう既に美味しそうだわぁ」
アシュリーは今にもよだれが垂れそうな表情をしているが、まだ早い。
「両面がこんがり焼けたらもう一度香辛料と香草を入れて、大葉で包む」
食用の大きな葉が肉を丸々覆い、上からツルで縛る。それを木枝に吊るし、火にかけた鍋の横に差し掛ける。
「こうして火の近くで蒸すことで、内部にしっかり火を通せるんだ」
「……あんた、案外器用っていうか、ちゃんと料理なんて出来るのね」
意外な顔でアシュリーが驚いて見せる。
「料理って程でもないよこれくらい。道具もそれなりに揃ってるし簡単な方だよ」
「ふ〜ん、でもやっぱり意外だわ。どこで教わったの?」
「ああこれは――」
ズキっと頭の奥が痛む。
「なに?」
顔を顰めたレインを見て、アシュリーが首を傾げる。
「……いや、その、どこだったかな……あんまり覚えてないや」
誤魔化すように、レインは作業を続けた。
静まり返った夜更けの中に、グレンの酒気帯び声が響く。
「ぷは〜ぁ、やっぱお前の料理はいい。酒に合う」
既に顔を赤くして、グレンは肉にかぶりつく。
「ま、まあ……あんたにしてはやるじゃない」
肉を口に運びながらアシュリーが頬を染める。
「あはは、二人の口にあったならよかった。僕も頑張った甲斐があったよ」
「おぉ、よ〜やく辛気臭ぇ敬語が取れてきたな〜」
酔っ払ったグレンに指摘され、今気がついた。
「ま、まあグレンさんにもアシュリーにも言われ続けたから……」
「よ〜しその調子だ。お前にゃ覇気が足らんからなぁヒック……あ〜あと甘っちょろい」
「ぷ、言えてるかも……」
アシュリーが口元を押えて笑ってる。
そんなこと言われたって、とレインは思う。
「グレンさんだって酒浸りの甲斐性なしのくせに」
「あはは、それも言えてる」
「おいお前ら〜、師匠に向かってなんだその口の利き方は〜!アシュリー、お前ちょっと胸でかくなったからって調子に乗ってんのか」
「どこ見てんのよ変態ッ!!」
グレンの頬に赤い手形がくっきり残る。
「うん、悪くない一撃だぞ」
そう語るグレンの目が遠くなって来てる。こうなると少し絡みが面倒なのだ。
でも何故だろう。それも悪い気はしない。なんだか胸の奥が嬉楽に満ちている。
「あははっ、なんだがこうして三人で食事を囲むのって楽しいな」
不意に声に出た本音に、二人が反応する。
「まあ、私も……久々に師匠と旅ができてうれしいわ。あんたが引っ付いてくるなんて想定外だったけど」
「あ、あはは……」
「まあでも、悪くない……わね」
その言葉に驚いてアシュリーの顔を見つめると、その顔が次第に赤く染まっていく。
グレンが「ははっ」と小さく笑う。
むず痒そうな顔を慌てさせて、アシュリーが唐突に話題の舵を切った。
「そ、それはそうと師匠、今どこに向かってるわけ?今後の予定まだ詳しく聞いてないんだけど」
「ん?ああそうか言ってなかったか。ほれ」
グレンが懐から取り出したそれを投げて寄こした。
レインが受け止めたそれは丸まった古びた羊皮紙、この辺一帯の地図だった。目的地と思しき街の絵に赤い丸が書かれてある。
アシュリーもレインの隣に擦り寄って、横から地図を覗き込んだ。
「次の目的地はそこ、ハービスだ」
「ここって港街ですよね?やっぱりここで船に乗るんですか?」
「ああ、輸送船に乗ってシヴァ大陸を目指す。ここから港まで、予定ではひと月だ。それまでに何としてでもハービスまで辿り着くぞ。このペースなら問題ないが、何があるかわからんからな。丁度食糧も買い込んであるし、このまま寄り道せず最短ルートでハービスを目指せる」
「シヴァ大陸に行ってどうするのよ」
「ああ、魔剣を手に入れる」
実にあっさりした声で、グレンが告げる。
その三秒後、
「「え?」」
二人の声が重なった。




