71.旅の始まり
ケフドーラの街。そこは東フェルマニア領土に位置する、大きく栄えた街だった。
約二年前に起こった魔人族による王都襲撃事件は、フェルマニア全土に留まらず世界情勢に多大な影響を及ぼした。しかしながら王都から離れたケフドーラの街は、独自に発達した物流ルートと周辺地域に広がる豊富な資源、近隣各所に点在する農村など、王都消滅の影響を受けず今も栄え続けていた。
二年前のあの日、王都フェルマニスは終焉を迎えた。魔王率いる魔人族の襲撃、その大規模な戦火に続いて、突如起こった大災害がフェルマニスに致命的な打撃を与えた。死者行方不明者は数千人規模に及び、街のシンボルだったフェルマニア城は完全倒壊、王都フェルマニスに広がる民家は地震と戦傷によって目も当てられぬ惨状へと姿を変えた。
その後約半年に渡って街の住人及び王政関係者が復興に向けて尽力したが、重篤な治安悪化と不況に加え、原因不明の魔獣の大量発生によってとうとう、かの地の人々はおびたたしい難民となって四散した。
あれから二年が経った今では、王都は魔獣魔物の住処となり果て、旅人ひとり近寄らないゴーストタウンへと姿を変えたと聞く。
「はい、ステラおばさん。これ依頼のぶん」
両腕に抱えた布袋に詰め込まれた薬草の束を、黒髪の青年がぼふっと店のカウンターに直置きした。
ウェチット薬品店のステラは、カウター越しにちょっと驚いた顔をした。
「あら、こんなに沢山……依頼よりちょっと多いんじゃない?」
「たまたまいっぱい採れたんだ。最近は怪我人が多いって聞いたから。それに薬草採取の依頼を請け負ってくれる傭兵も少ないでしょ。おばさんにはいつも世話になってるから」
「あらまあありがと、ウフフ。近頃は森にも魔獣が増えちゃって中々近づけないから助かるわね〜」
「じゃあ、僕はこれで。あとでギルドに報告お願いね」
青年が店を去ろうとすると、ステラは「ああちょっと待ちな」と彼を呼び止めた。
「ほらこれ、少ないけど傷薬と痛み止め。持ってきな」
「え、いいの?」
「勿論よ。ちゃんと規定量の薬草取ってきてくれる傭兵はあんただけだもの」
「……ありがと、おばさん」
黒髪の青年はどこか子供っぽく、柔らかい笑みを浮かべた。
薬を受け取り、走り去っていく青年の後ろ姿をステラが見送ると、店の奥から旦那がひょっこり顔を覗かせた。
「随分仲がいいんだな。どこの坊主だ?」
「ほら、グレンさんとこの子よ。この間も薬草を届けてくれたのよ。真面目で頑張り屋よね〜」
「あ〜あの。驚いた……見違えたなぁ。この街に来たばかりの頃はなんちゅうか、死人みたいな顔してたのになぁ」
「何でも事故にあって以来、記憶がないんですって。でも本当にいい子だし、頑張ってるからつい応援したくなっちゃうのよね〜」
「お前まさか、惚れてんじゃないだろうな」
「バカ言うんじゃないよったく!!」
「じょっ、冗談だよ…………名前はなんちゅんだ?」
「名前は確か〜……ああそう、レイン君だったかしら」
レインが自宅の陋屋に帰ると、部屋の中が滅茶苦茶に荒らされていた。
この惨状を見れば、空き巣にでも入られたと考えるのが普通だろう。しかし彼は慌てるでもなく「はぁ」と溜息を吐き出して肩を落とした。
またか、と思う。
部屋の隅っこに酒瓶片手に酔いつぶれて眠るおっさんを見て、また溜息を吐いた。じわりと滲み出るやるせなさを引っ込めて、その男の肩を揺さぶった。
「グレンさん、グレンさん……起きてください」
レインが肩を揺さぶると、そのおっさんは寝ぼけ眼をゆっくりと開いた。
「んあ?お〜レインや〜っと帰ったか」
男は大儀そうにむくりと起き上がり、大欠伸をひとつ。
この絵に書いたようなダメおやじの名はグレン。一緒にこのボロ屋に住む甲斐性なしだ。歳は確か四十になるはずだ。
グレンは気だるげな視線をこちらに落とし、尋ねた。
「んで、どうだった依頼は」
「ちゃんと熟しましたよ。ダークウルフの群れの討伐。ついでに薬草採取。一人で大変だったんですからね」
「お〜そうか、ご苦労ご苦労。一日で依頼を二件達成とは、お前も中々成長したな。ま、これも修行の一環、これからも精進したまえ」
まるで自分の指導の賜物だとでも言わんばかりの口調だ。
レインはジトっとした目でグレンを睨んだ。
よく言うよ、とレインは思う。僕がいなかったら生活すらままならない癖に。掃除に洗濯、買い出しに料理までさせておいて、挙句傭兵のライセンスを取った途端に修行と称して出稼ぎを押し付けられてるなんて。
けれどこんなどうしようもない男でも、レインはどうしても憎めなかった。
レインにとって、このグレンという男は命の恩人だったのだ。
二年前、王都フェルマニスの大災厄に巻き込まれ意識不明となったレイン。そんな彼を助け出し、ここケフドーラの街にまで連れ帰ったのはグレンだ。
目が覚めたあの日のことは、今でも覚えている。
所謂、記憶喪失というやつだ。何も思い出せなかった。ここがどこで、自分が誰で、これまでどんな人生を歩んできたのか、家族の顔も自分の名前さえも思い起こすことが出来ない。あるのは困惑と絶望、そして途方もない孤独感だけだった。
そんな彼を支え、生き方を教えてくれたのはこの男だった。不器用で面倒臭がりで、ろくに働かないし家事もしない、おまけに酒浸りのクズときたこの男が、その当時レインにとっては唯一の支えだった。
「それよりレイン、酒は買ってきたか?」
「え、お酒は昨日買ってきたじゃないですか。今日は買ってませんけど」
「ばっかお前!酒なしでどうやって飯食うんだよ」
そりゃ水でしょ、なんて言ってやりたいが、話が長引くのも面倒なので適当に返すことにした。
「はいはい、あとで買いに行きますよ。それより、グレンさん宛にヤードが届いてましたよ」
ヤードとは速飛鳥便のことだ。飼い慣らされた速飛鳥が至る街に点在する郵社に手紙を届け、最終的には人力によって住民に届けられる仕組みらしい。
レインが懐から一通の手紙を取り出すと、グレンは急に目付きを変えた。
グレンが手紙の封を破りながら言う。
「何度も言うが、その辛気臭え敬語を辞めろっつってんだろ」
「そう言われても、癖になっちゃって……」
すると突然、手紙を読みながらグレンが勢いよく立ち上がった。
そしていきなり、
「おし、明日この街を出るぞ」
なんて言い出した。
「え……ええ!?街を出るって……しかも明日?そんな急な……」
「急に決まってんだろ急用なんだから」
「でもまだ街の皆にも挨拶してないのに」
「んなもんこの街に帰ってきたら菓子折でももって挨拶に回りゃいいんだよ」
「そんな適当な……その挨拶回りはどうせ僕にさせるくせに…………それで、この街を出てどこへ行くんですか?」
「ラッカルディオっつう辺鄙な里だ」
「どこですかそこ?」
「あ〜、確かアトモスリオ山岳地帯を抜けた辺りだったっけか」
それを聞いてレインの思考が一瞬だけ鈍った。
「え、えっ、アトモスリオ山岳ってまさか……この街から八十里は先ですよ!?」
「んなことわかってるよ。会わなきゃならねえ奴がいるんだ」
「それって……」
「まあ、俺の古い恩人みたいな奴だ。それともう一人、俺の一番弟子を回収しなきゃな」
「い、一番弟子ぃ!?」
「ああ、あいつのとこに預けっぱなしだったからな。さぞ怒り狂ってることだろうぜ」
グレンはへらへら笑った。
恩人とか一番弟子とか、そんな話この二年で一度だって聞いたことはなかった。レインはずっと、自分がグレンの一番弟子なんだと思い込んでいたのだ。
「さ、いそいで旅の準備だ。まずは必要なもんの買い出しだな」
「買い出しって……僕旅なんてしたことないから何を」
「ばーか、んなもん自分で考えろ」
どうせ買い出しは僕に行かせるくせに、とレインは思う。
先が思いやられたレインは、心底から溜息を吐き出すのだった。




