70.頂上決戦
無数に及ぶ赤き流星が目視不能の速度で飛来し、とてつもない火力で大地を吹き飛ばした。
砲撃を受けた王都に並ぶ民家も、人も、次々に消し飛ばされていく。城のあった王都中央の高台は既に半壊、今や崩落寸前に陥っていた。
王都上空に雷鳴が轟いた。
精霊術により雷の速度を手にしたルキウスが、王都の暗空にその閃光の軌跡を残しながら駆け抜ける。
その背を追尾するように、千に迫る無数の赤き流星が音速を遥かに超えた速度で追い回す。
人々は悲鳴をあげながら、ただ見上げる他なかった。人類の枠を大きくはみ出た――世界最強の戦いを。
魔王バアル。永き封印より解き放たれた、史上最強の魔人王。
バアルの放つ赤き閃光――その正体は超高密度のマナブラスト。それは瞬く星のように宙に煌めき、刹那で対象に到達する極超音速砲撃である。
放たれた無数の赤き閃光が空に線を描き、着弾と同時に常軌を逸した火力が大地を連続的に爆ぜさせる。
雷の速度で空を駆け抜けるルキウスは、その絶技に惚れ惚れした。
――これが魔王の……。
速度、連射力、制御力、破壊力、どれもとっても神の領域。全てが即死に繋がる迎撃不能攻撃。
対するルキウスは精霊術略式召喚『迅雷』による超速移動でこれを回避し続けた。しかし人智を超えた圧倒的手数によって、迅雷の速度ですら回避不能のタイミングは存在する。ルキウスはその瞬間を見極め、自身の周囲に張り巡らせた神聖術による盾と、最大出力のマナガード、加えてマナブレイドによる威力の相殺によって、そのダメージを最小限に抑えていた。
しかしそれでも無傷で済む攻撃では無かった。マナブレイドによる威力減衰が起こっても尚、一撃で神聖術による障壁は砕かれ、分厚いマナガードの上から身を抉るダメージを受ける。
その度に障壁の再展開と神聖術による肉体の治癒を同時並行し、後続する閃光の回避を続ける。
――恐るべき出力……直撃すれば私ですら致命傷となりうる高威力のマナブラスト。それを無尽蔵に速射するとは……出力、構築速度、マナ操作技術……全てにおいて私を遥かに上回っている。これが魔王…………だがこれ程の技の連射、すぐにマナが底を尽くはず…………。
「……っ!?」
ルキウスはその目を疑った。バアルの肉体に宿るマナは、未だ一切の消耗を見せない。
「まさか……」
見開いたルキウスの〈炯眼〉が、魔王の能力を見抜いた。
バアルの天恵――〈魔操〉
体外に放出したマナを滞留させ変幻自在に操る。更に放出や着弾に際し霧散したマナは、再びバアルの元へと回帰しその肉体を循環する。即ち、バアルにマナ切れは存在しない。
シンプルでありながら強力無比。彼は全盛時代、この一技のみで魔大陸を支配し、全人類を壊滅寸前にまで追いやった天災である。
「フッ……全く、嫌になるな」
ルキウスは超速移動を維持しながら、剣の切っ先をバアルへと向けた。
「略式召喚――一閃」
電光石火の神速の雷が秒速三十万キロでバアルに到達した。
亜光速による回避不能攻撃――必中の電撃が魔王の心臓を穿つ。
はずだった。
「……っ!?」
バアルの周囲を滞留し、回転を続ける高圧のマナの弾幕が、外部からの攻撃の一切を弾く。それはルキウスの雷さえも、例外では無い。
――攻撃性能だけでなく、防御面でもこちらを凌ぐか。
未だ止むことの無い嵐の如きバアルのマナブラストは、絶え間なく降り注ぎ地上に破壊の限りを齎している。
その猛攻を凌ぐルキウスであるが、次第にその肉体が削られ、再生が少しづつ追い付かなくなってゆく。
――私がここまで追い詰められるとはな…………このまま防戦一方では、いずれ私は負ける。遠距離の差し合いでは勝ち筋が見えない……ならば、我が剣で直に叩く。
ルキウスが略式召喚『迅雷』により、雷雲を走る雷の如く不規則な軌道で瞬く間にバアルの背後を取った。
それは魔王でさえ反応すら不可能な超速の領域。
至近距離で見た魔王の分厚い肉体に、ルキウスは感嘆する。
――恐るべきマナ量だ……その身体能力は私すら凌駕するだろう。だが貴様は丸腰。加えて私の剣技は――頂きにある。
振り翳したルキウスの剣が、白銀のマナを帯びている。
「オーラブレイド」
硬度を無視し全てを斬り裂く無敵の剣閃が、魔王の周囲に蔓延る弾幕を破壊。
その首筋を背後から照らした。
だが――ルキウスの天恵が訴える。
窮地を。
「――ッ!?」
必殺の剣が届くより早く、ルキウスの身体が無数の斬撃によって切り刻まれた。
カウンターを考慮し、ルキウスは既に全身のマナガードを最大出力に留めていた。それでも尚、深く刻み込まれた無数の斬撃は肩、腕、胸、脇腹、脚に至るまでその肉を深く裂いた。
突然の衝撃に鈍りかけた思考の中、脊髄反射で魔王から刹那で距離を取った。
そうしなければ、あっという間にルキウスの肉体は切り刻まれる寸前であった。
神聖術によって切り刻まれた肉体が徐々に回復していく。
――バカな……。
ルキウスの〈炯眼〉が捉えた完全無欠。
バアルの変幻自在のマナの塊は、近中遠の全てに対応可能。中長距離は迎撃不能のマナブラスト。そして近づけば半自動的に敵を切り刻む無制限のマナブレイドへと姿を変える。
切り刻まれたルキウスの身体から血が滲む。
睨みつけたその先で、魔王が放つ深赤の眼光とぶつかった。
再び、無数に及ぶ赤き星がルキウスの眼前に輝く。
――離れれば嵐の様な砲撃。近づけば全てを斬り刻むマナブレイド。こちらの攻撃は鉄壁のマナガードによって届かない…………打つ手がない……私は……負けるのか……。
「いや、まだだ」
雷の速度を持った瞬間移動がバアルの周囲を飛び回る。
動き回る殺気と気配。現れては即座に消えるこの動きが、バアルの狙いを妨げる。
そしてバアルの意識がルキウスから離れた刹那の隙を狙い、ルキウスが正面から斬り掛かる。
その動きに僅かに遅れてバアルが合わせた。
だが、
「……!」
その一撃さえもブラフ。
正面から斬り掛かると見せかけ、刹那でルキウスが背後を取った。
「略式召喚――神の雷槍」
必殺の雷槍が穿つ、魔王の肉体。
しかし浅い。
消し飛んだのは魔王の右腕。
バアルは恐るべき直感によってギリギリで致命傷の回避に成功。片腕を失いつつもルキウスから即座に距離を取りながら、無制限のマナブレイドで応戦。ルキウスの肉体を刻み、後退を余儀なくさせた。
距離が空く。
ひりつく空気。
高ぶる感情。
互いが動きを止め、夜空の中で睨み合った。
両者、戦闘継続が困難な深手。しかし互いの術式によって肉体が修復されていく。
ルキウスは神聖術で肉体を治癒。バアルは〈魔操〉によるマナの変質により失った右腕を高速再生する。
――驚いたな……マナの運用のみで傷を治せるのか。
ルキウスには後がない。連戦に次ぐ連戦により、彼のマナは既に半分以下にまで低下している。
しかし、それでもルキウスは笑った。
脳裏に過ぎる敗北の可能性。死が近づいてくる様な緊張感。しかし嘗てない程の高揚感がその身を包んでいた。
ルキウスの脳内で光る、唯一の対抗策。
――今は周囲への被害を気にしている場合では無い……この場で奴を倒せなければ、人類に未来は無いだろう。許せリリシア、フェルマニアの民よ…………ここで決着をつける。
対するバアルが思考する。
――俺を相手にここまで肉薄出来る人間がいようとはな……嘗ての勇者など遠に及ばぬ強さだ。特にあの速度は厄介だ。仮に取り逃しでもすれば、我々にとって驚異となる…………この男は、確実にここで仕留める。
洗練極まったこの局面、必要条件は有無を言わさぬ決定打。より速く、確実に相手を死に至らしめる為、
両者の思考は――一致する。
「「精霊召喚」」
両者同時、精霊王の完全顕現。
互いのマナゾーンが展開され、即座に空間を支配する。
ルキウスが召喚した精霊、雷の王ヴォルカン。鬼神の如きその様相。薄黒い肌に覆われた筋肉質な肉体、頭部からは金色の髪と二本の角を生やしている。
対するバアルの召喚した精霊は、闇の王レイル。精霊王とは思えぬ華奢な体、美しく艶のある長い黒髪、まるで人間の幼い少女に見える。
精霊王のマナゾーンは本来数キロメートルに渡り展開され、その範囲内を特殊効果によって壊滅させる威力を持つ。
しかし同規模のマナゾーンが同地点で展開されたことで、それぞれのマナが干渉し合い、互いを乱し、その効果を打ち消し合っていた。
『久しいね……我が主』
闇の王レイルがバアルに向けて小さく笑った。その笑みは幼い中に、どこか妖艶な雰囲気を感じさせる。
「レイル、やれるな」
『全く……久々に呼び出しておいてヴォルカンとやり合えだなんて。ま、僕がいる限り君に敗北はないさ……勝つよ、僕らが』
余裕を見せるレイルに対し、ヴォルカンが苛立ちを露わにする。
『レイルか……忌々しい小娘め。その薄ら笑を我が天撃で穿いてくれる』
するとルキウスは毅然たる佇まいで剣を構えた。
「ヴォルカン、無駄話の時間はないぞ」
『無論だ』
本日二度目、精霊王の完全顕現。残存するマナは残り僅か。今のルキウスには時間がなかった。
五分――。
およそ五分で精霊王の顕現は終了する。
――五分以内に奴を殺す。
それがルキウスの勝利条件だった。
突如、暗雲が悲鳴を上げる。
ルキウスが天に突き出した剣に極雷が落ちた。その凄まじいエネルギーが刀身に宿る。
「雷火の剣」
精霊王の完全顕現中のみ、ルキウスの剣は進化を魅せる。
その刀身から放たれる異境を極めたエネルギーが、青白い雷となって周囲空間や大地に向けて巨大で歪な線を幾重にも伸ばしている。
――無駄打ちは出来ない。この一撃で決める。
「合わせろ、ヴォルカン」
マナゾーンの範囲内にいる限り、その剣閃は雷の速度を持った回避不能の必中攻撃となる。
「神の雷槍」
莫大なマナが込められた雷槍が、轟雷を上げて瞬く間に魔王に到達した。その威力は略式召喚とは比べ物にならない。
だが――最強の一撃はバアルの周囲に蔓延るどこまでも深い闇に呑まれた。
バアルを覆う闇の膜。それはレイルの完全顕現中、自動展開される鉄壁のバリア。その闇は外部からの攻撃を呑み込み、中和し、消滅させる作用を持つ。
この火力でも貫けぬ厚い防衛力を前に、ルキウスの目付きが鋭く変わる。
バアルの周囲に無数の赤き流星が輝いた。
砲撃がくる。
「ヴォルカン!」
その声を合図に、ルキウスとヴォルカンの姿が稲妻の速度で夜空から消えた。
その瞬間には、バアルの眼前にルキウスが差し迫っていた。
精霊王ヴォルカンの顕現中のみ、術者は一切の溜めを必要としない迅雷の速度を手に出来る。
しかしそんなルキウスを迎え撃ったのは、至近距離から無数に降り注ぐ魔王のマナブレイドだった。
このカウンターがある限り、ルキウスはバアルに接近すら出来ない。
そのはずだった。
「――――」
暗雲漂う上空から、鼓膜を劈く巨大な稲妻が光った。
その極大の落雷はバアルの肉体だけに留まらず、その周囲に無数に蔓延るマナブレイドの弾幕を纏めて撃ち抜く範囲攻撃。
ルキウスは狙っていた。接近時に見せるバアルのカウンター、それに対するカウンターを。
絶大な威力を誇る落雷が闇の膜に阻まれつつも、バアルの周囲に滞留するマナを根こそぎから消し飛ばした。
凄まじいエネルギーを受け、闇の膜が揺らぐ。
今、周囲に滞留するマナは無い。
魔王のその身が、完全な無防備を晒した。
「オーラブレイド」
雷火の剣に纏う、白銀の剣閃。即死の電撃を帯びた必殺の一撃が、バアルの眼前に差し迫る。
更にその瞬間には既に、バアルの背後に回り込んだヴォルカンが雷槍を構えていた。
畳み掛けられた、雷速による前後からの挟み撃ち。回避の可能性など、そこには存在しない。
「――ッ!」
ルキウスが驚愕に目を広げた。
前方からのルキウスのオーラブレイド、そして背後から迫るヴォルカンの雷槍をバアルは完全に防ぎ切ったのだ。
バアルの背後を守護するのは、闇より姿を現した精霊王レイル。深淵の常闇がヴォルカンの雷槍を呑み込み、無効化していた。
そして正面より斬り掛かるルキウスの剣を受け止めたのは、バアルの両拳から突き出した二刀の赤き鋭剣だった。
ルキウスの〈炯眼〉が見た、魔王の拳先に赤く光る手甲剣の如き刃。それはバアルが〈魔操〉により創り上げた超高密度のマナソード。その密度はもはや、オーラブレイドにすら匹敵するほどの精錬度であった。
――この密度のマナを固定し刃の形を保ち続けるとは……恐れ入る。
「ヴォルカン!そいつを引き剥がせ……!」
ルキウスの命令によりヴォルカンが莫大な雷を解き放ちながら、レイルの小さな身体を弾き飛ばした。
ルキウスの雷剣とバアルの赤き手甲の魔剣が至近距離で連続的に攻め合い、弾き合う。
その剣戟の最中、バアルの周囲にマナが滞留を始め、絶望を思わせるマナブレイドの応酬が再開する。
ルキウスの肉体が無数の斬撃によって削られ始めた。
死が迫る。
「まだだッ……!」
されど止まぬ、電光石火の攻めの太刀。
たとえ肉を削がれ引き裂かれようと、目の前の魔王を殺す為だけ、ルキウスは剣を振るい続けた。神聖術による治癒に加え、出力の上がったマナガードで肉体の原型と生命活動を維持しつつ、魔王の首を狙い続ける。
――おそらくこの距離は二度と作れない。たとえ我が身を抉られようと、この剣で叩き潰す。
血塗れになりながらも笑みを零す。その姿は正に鬼神。常軌を逸した捨て身の攻めに、魔王でさえ畏怖を抱くほどだった。
その僅かな魔王の揺らぎを、ルキウスは見逃さなかった。
三度輝く、白銀の剣閃――。
バアルの片腕が弾け飛ぶ。
好機。返す追撃の刃が、魔王の首を狙う。
その直前、
「――っ!?」
ルキウスの身体が猛烈な勢いで背後に引き寄せられた。
何が起こった。
振り返ったルキウスの眼が捉えたのは、漆黒に禍々しく淀んだ球だった。闇の王レイルの生み出す球は強力な引力を発生させ、周囲にある物体すべてを呑み込み圧殺する。
「――!」
咄嗟に振り抜いたルキウスの雷電一刀が、漆黒球を破壊。圧力が崩壊した球が凄まじい爆発を起こしルキウスの身体を弾け飛ばした。
その先の宙で体勢を整えたルキウスが、既に肉体を全回させた魔王と対峙し、睨み合った。
魔王が口を開く。
「まさかこの俺を追い詰める人間がいようとはな。殺すのが惜しいほどだ」
「既に勝ったつもりか。勝負はまだついていない」
「いや、終極だ」
バアルが両手を広げ呟いたその瞬間、周囲の至るところに無数の暗球が出現した。発生した引力が周囲の空気を強烈に引き合い、凄まじい突風が乱れ狂う。
ルキウスの長い金髪が暗雲の夜空に靡く。
「また動き回られては面倒だからな」
「……、」
速度を殺された。ルキウスが迅雷で移動すれば、即座に暗球に呑まれてしまう。
ルキウスの表情に焦りが滲む。
「言っただろう。これで終わりだと」
不敵に笑うバアル。
その瞬間、辺りが暗闇に呑まれた。その暗闇は帳のように視界を奪い、マナゾーンの範囲内全てを深淵に落とした。
この暗闇の中でも、ルキウスの〈炯眼〉は視界を失わず、正面に構える魔王バアルを捉えていた。
しかし気づいた。
精霊王の姿がない。気配が消えている。
――まさか……。
魔王がその深淵に腕を広げた。
「精霊奥義――闇帰絶界」
魔王の構えた精霊奥義。その圧力にルキウスは動揺と迷いを見せた。
精霊奥義とは莫大なマナと精霊の顕現時間を代償に、秘めたる奥義を呼び起こす。その規模は街どころか、マナゾーン内の数キロメートルに渡って全てを消し飛ばす威力となるだろう。
対抗するにはルキウスも、精霊奥義をぶつける以外にない。
「どうした、構えろ」
バアルが不敵な笑みでこっちを見ている。
――奥義を放てば街は消し飛ぶ。フェルマニアの民も、リリシアも……。
ルキウスが瞳を閉じ、剣をゆっくりと天に掲げた。
――許せリリシア。全ての罪は、私が背負う。だがその代わり……。
「勝利を呼ぼう」
爆発的な天雷がルキウスの剣に宿った。その瞬間、ヴォルカンの気配が消滅する。
「精霊奥義――神の天撃」
両者構える極めし奥義。
張り詰める空気。淀んだ空に吹き荒れる暴風。王都フェルマニスが終わりを迎えようとしていた。
そのとき、
「「――ッ」」
世界の空気が変わった。
両者の手が止まる。
彼らは感じ取ったのだ。この世界の終焉の予兆、その片鱗を――。
大地が震え、上空には暗雲蠢く巨大な嵐が突如として現れた。
暴風は吹き荒れ、殴り付けるような豪雨と雷が光り、地震の影響によって至る場所で大地が引き裂け始める。
頂上決戦の決着に差し込まれた、歪を極めた災厄の波動。バアル、ルキウスの視線が共にその少女へと吸い寄せられるように向けられた。
「……」
フェルマニス中央の高台。崩壊した城の跡地で、彼女が虚ろな目で暗空を仰いだ。
「ユウ君…………ごめんね……」
見上げた瞳から零れる涙が、雨に混ざり区別も付かなくなってゆく。
「私のせいで、君は二度と……」
すぐ隣には、金色の結晶に閉じ込められた恩人が静かに眠っている。彼はもう、この大地を踏み、息をすることも叶わない。あの地獄のような虚無から、彼が抜け出すことは二度とない。
――全部、私のせい……。
彼のいない世界など、無いのも同じだった。
「こんな世界なら…………いっそ……」
少女の願いは現実を帯び、世界は間もなく終わりを迎える。
魔王が動いた。
全てを悟り、精霊奥義を中断。この星の終焉を阻止するべく即座に距離を詰め、赤き流星を解き放つ。
極超音速で放たれた無数の砲撃が、天を仰ぐ少女に到達する。
その直前――唐突に現れた空間の歪みが、全ての砲撃を呑み込み消滅させた。
「なんだ」
怪訝な顔で見下ろすバアル。
その先にいたのは、肩上で翡翠色の髪を揺らす魔術師のローブを羽織った少女だった。
「貴様は……」
フェリール。彼女は魔人族と手を組み、イグナリオスと共に魔王バアルを復活させた謎多き少女だった。
「なんの真似だ。裏切るのか」
「まてバアル、彼女を攻撃するな」
「ふざけたことを」
「頼む。ここは私に免じて引いてくれ」
「今まさに起こっているこの厄災はその女が原因だ。そいつを殺せば厄災は止まる」
「そう単純な話じゃないんだ。君を助けてやっただろう。お願いだ。ここは僕に任せてくれ」
そう言うと、フェリールはゆっくりと振り向き、放心するアルテを見つめた。
その瞳は、優しく笑う。
「ああ……久しいねアルテシア。この日をどれだけ待ちわびたことか…………会いたかったよ」
そう言うと、返す言葉さえ失った彼女をフェリールは優しく抱きしめた。
そして、彼女の額に指先を充てがう。
「ごめんね。今は……おやすみ」
指先が淡く光ると、アルテは糸が切れた人形の様に意識を失った。
その瞬間地震は止まり、暴風はゆっくりと鎮まった。
思わずバアルが首を傾げる。
「何をした」
「眠らせただけさ」
そう呟くと、立ち上がったフェリールの手元に、翡翠の剣が握られていた。
理解に及ばぬ彼女の行動に、バアルが思わず身構える。
バアルの殺気を読み取り、フェリールが後ろ手に彼を静止した。
「待てよ。イグナリオスに借りたんだ。まさかこんなことになるなんて思ってなくてね」
フェリールは聖剣を片手にゆっくりと、金色の結晶に歩み寄った。
その先に眠る、少年をみつめて。
「君にはまだやって貰わねばならないことがあるんだ……ごめんね」
聖剣から放たれる無限のマナが、暴風となって金色結晶に呑まれていく。
「やはり、案外硬いんだねこの呪い。聖剣があってよかったよ」
そうフェリールが笑うと、結晶に亀裂が走った。
ガラスの砕ける音とともに、結晶が崩壊。
少年がゆっくりと地面に転がった。しかし彼は未だ意識を取り戻すことなく眠ったままだ。
するとフェリールがアルテをゆっくりと抱き抱え、視線も合わせず背後に向けて声を飛ばした。
「そこにいるんだろ。出てきなよ」
瓦礫を踏みつけた様な音が鳴る。
すると、ひとりの男が瓦礫の影から姿を現した。
ボサついた茶髪、口元に散らばった無精髭、クタクタになった旅人の装衣。彼の名はグレン。剣武大会で優勝した謎の剣士だ。
グレンは驚いた表情を見せつつも、頭をボリボリと掻きながら開き直った。
「気づいてたんならさっさと言えよったく。上手く隠れられてるなんて思ってた俺が馬鹿みてえじゃねえか」
「フッ……やっぱり面白いね君は」
「あん?お前さん、どっかで会ったか……?」
「さあ、会うのは初めてじゃないかな。それより、この少年を頼むよ」
フェリールの頼みに、グレンが首を傾げる。
「頼むって……あのなぁ」
「それが目的だったんだろう?」
「……、」
全てを見透かしたようなフェリールの微笑みに、グレンの表情が引き攣る。
すると、
「はぁ、」
グレンは観念したかの様に溜息を吐いた。
そして徐に懐からタバコを取り出し、口に咥えて火をつけ、煙をひと吹きしてからゆっくりと少年の元まで歩み寄った。
そうして少年を肩に担ぎ上げると、タバコを咥えたままフェリールを一瞥する。
「まあなんだ、この坊主を助けてくれてありがとよ。ついでに、そこで浮いてるおっかねえ輩もどうにかしてくれ。おれぁまだ死にたくねえもんでね」
宙に佇むバアルから、凄まじい殺気が溢れている。
バアルが警戒心を剥き出しに口を開いた。
「フェリールと言ったな……貴様何を企んでいる」
フェリールの言動には一片たりとも理解に及ぶものがない。バアルの警戒は当然のことだった。
そんな折に、突如として上空に破裂するような雷鳴が鳴り響く。
全員の視線が上空へと向けられたその場には、聖女リリシアを片腕に抱いたルキウスがその剣に雷光を光らせていた。
バアルが呟く。
「失念していた。決着がまだだったな」
バアルが周囲にマナを滞留させ、無数の赤き星が輝きを見せる。
「待てバアル。彼を殺してはいけない。ここは引け。彼もまた、必要なピースの一つなんだ」
バアルの殺意がフェリールに向けられる。
「たかだか人間風情が俺に指図するとはな……俺を女神の呪いから解き放ったからといって調子に乗るな小娘」
「ははっ、君には僕が人間に見えるのかい?」
フェリールが笑うと、突如その背に純白の両翼が広がった。
神秘的な輝きを放つ羽が周囲に舞い散る。
その姿は正に――。
「まさか……」
バアルの表情が驚愕に変わる。
「ゼルフィエル……それが僕の真名だ…………さあ、還ろう」
男とも女ともつかぬその声が、戦いの終局を決定づけた。
読者の皆様へ。
『人間不信の無能勇者、裏切りと地獄の最果てに』をご愛読いただきありがとうございます。第70話「頂上決戦」にて、第一章は完結です。皆様の応援のおかげで、ここまで書くことが出来ました。本当にありがとうございます。
続きましては第二章へ突入します。どうぞ最後までお付き合いいただけると幸いでございます。




