66.刻まれた記憶
吹き飛ばされた部屋のドア。
その光景を前に、ソフィアの空色の瞳が見開かれる。
「…………ぇ」
思わず声が盛れた。
その先に佇む彼から視線が離れない。
これは夢だろうか。はたまた死ぬ間際の妄想か。幻か。
死んだとばかり思っていた彼は、すぐそこに立っていた。
***
彼と初めて会った日のことは、今でも鮮明に覚えている。
宮廷魔導神官ローゼルの力添えにより、王城のメイドとして雇われてはや七年。失敗続きだった自分にも、ようやく侍女としての仕事が回ってきた。なんとあの伝説の勇者、その一人に専属のメイドとして仕えることが許された。
その大抜擢を前に嬉しく思ったのも束の間、またミスでもしたらと思うと恐怖と緊張で前日は眠れなかったのを覚えている。
「緊張しているのかもしれないけど、ゆっくりでいいから。俺は怒ったりしないから……ね」
優しい顔でそう言ってくれた彼は、なんと言うか嘘つきだった。表情も声色も雰囲気も、優しさの塊みたいに眩しく映る。しかしその実、彼の言葉の殆どには赤い色が滲んでいた。
でも、
「ありがとうソフィア!君のおかげで希望が見えたよ!」
手を取り御礼を言ったその言葉だけは、嘘じゃなかった。本心からの感謝の言葉。そんなの、いつ以来だろう。ローゼル以外でそんな感情をソフィアに向けてくれたのは、ひょっとするとハロルド以来かもしれない。
ソフィアはこの城でも相変わらずの嫌われ者だった。なんの仕事もロクにできないくせに、宮廷魔道神官ローゼルのお抱えということもあってクビにもならず優遇されている。そんな彼女のことが、城中のメイド達は心底気に食わなかったようだ。
人の嘘には慣れている。人から向けられる悪意に対しても、ある程度耐性がある方だと思う。でも彼の嘘はなんだが他とは違って見えた。決して悪い人じゃない。自分を守るために必死なだけ。その為に嘘をつく。
――寂しそうな人。
最初の印象はそんな感じ。
でも何だかその姿は、
――ユウ様は、ハロルド様に似ている。
普段は嘘だらけだけど、たまに彼は本心を見せてくれる。そんな姿が、嘗てのハロルドに重なって見える。それに無能だ何だと馬鹿にされながらも、陰ながら努力するその姿に親近感を覚えることもあった。
もっと知りたい、彼のことを。ソフィアがそう思うようになるのに、時間はかからなかった。
そしてある日を境に、彼は変わった。
「ソフィアが俺の専属メイドで本当によかったよ」
吐く言葉の九割九分が嘘だった彼が、今では本心で自分を褒めてくれる。
胸を撃ち抜かれるとは、このとこなのだろうか。たかだかメイド風情が、伝説の勇者様にこのような感情を抱くことは許されない。でも、この気持ちを伝えたら彼はどんな反応をするのだろう。どんな表情を見せるのだろう。どんな色の言葉をかけてくれるのだろう。いつの間にか、そんなことを思うようになった。
それから生活の変化は劇的だったと思う。
彼に対する想いに気づいた瞬間、世界の色は一変して見えた。ハロルドと死別したあの日から、心に深く刻まれた傷が癒えていくような感覚。彼と話しているだけで、彼のそばにいるだけで、心がドキドキ暖かくて心地がいい。
「なあソフィア……」
ある日の夕暮れ、城庭の芝に寝転がる彼が、穏やかな声で問いかけた。
「もしも俺たちが魔王を倒して世界が平和になったとしたらさ、俺たちは元の世界へ帰るわけじゃん。そうしたら、もうアリスやベルザム、それにソフィア……君にも会えなくなっちゃうのかな」
どこか寂しげに呟く彼。
彼は元々この世界の住人ではない。時が来れば、いずれ別れが来ることになる。
「そう、ですね……そうなるかもしれません」
「そうか……それは何と言うか…………やだな」
「ユウ……さま……」
彼も、そう思ってくれているのだ。その事実だけで、ソフィアは嬉しくてたまらなかった。
「ソ、ソフィアは!」
気がつくと叫んでいた。
「ソフィアも……ユウ様と離れたくありません!それはもうっ、ずっとずっと!もしもユウ様が元の世界へ帰ることになったら、その時はその……わ、私もユウ様と一緒にそちらの世界へつ、ついていきます……!!」
顔を真っ赤に染めて、半分告白のようなセリフを叫ぶソフィア。
言い放った直後、あまりの羞恥に両手で顔を覆う。その指先から、チラッと彼の表情を見つめた。
「ははっ」
彼は吹き出したように笑う。
多分言葉の真意など届いて無いのだろうが、彼が笑ってくれたのが嬉しかった。
幸せだった。こんな日々がずっと続けばいいなんて、そう思っていた。
ある、雨の日だった。
老父ローゼルに告げられた。
『勇者アマミヤが、死んだ』
その言葉だけが宙に浮いていた。
世界の破滅とか、この世の終わりとか、その様な判然としない漠然とした話を聞かされた様な浮遊感。
城外訓練の際に事故に巻き込まれたそうだ。
宮廷魔道神官ローゼルの言葉だ。嘘であるはずがない。事実その知らせの言葉に、嘘の色はなかった。
受け入れられない。受け入れたくない。嫌だ。もう何も聞きたくない。考えたくない。頭がどうにかなりそうだ。
思わず逃げ出した城庭の真ん中で、彼女は泥水の中に膝から崩れ落ちた。
胸の前で両手に握りしめたのは、あのボロ布で出来た人形だ。
「ぁああああああッ――!!」
土砂降りの雨の中、悲痛に泣き叫ぶ声が掻き消される。
「どうして……どうして皆居なくなってしまうのッ……!?お父さんもお母さんもっ、ハロルド様も…………私の愛した人はみんな……どうしてッ――!?」
頻りに雨を落とし続ける空を睨み、叫んだ。
神がいるというのなら、答えを問いたい。ここまでの試練を課す理由は何なのかと。
「やだ……やだよ…………ユウ様っ……ぅ」
泣きじゃくる彼女の前に、雨に打たれながら姿を見せたローゼルが、背に羽織る大きなローブを彼女の肩へ掛けた。
「ソフィア……君にはすまぬことをした」
「……っ」
「君に成長して欲しかった……その為に私が手を回し、あの少年の世話係に任命させた。じゃが、返って君を傷つけることになってしまったようじゃな……」
あの日、ボロボロになりながらも力強い瞳で城の門を叩いた幼いソフィアの姿が、老父ローゼルの目に浮かぶ。
あの無力で幼かった少女が、全てを乗り越えそこに力強く立っていた。あの瞬間ローゼルは全てを悟り理解した。あの男が、命を懸けて守り抜いたのだと。彼の〈真眼〉がそこに見たのは、果てしのない彼女の強さと優しさ、そして無限の未来の可能性だ。ここで切り捨てるにはあまりに非情で、あまりにも惜しい。そう思ったのだった。
「君が愛した人間はみな、君を愛していた。勿論わしもそうじゃ」
諭すようにローゼルは語る。
「人の死が人を強くするというのなら、君は必ず乗り越えるじゃろう。なぜなら君は、もう既に乗り越えてきたはずじゃ。その強さが、君の中には生きておる。君を愛した人々もまた、君を支え続けるのじゃ……君が忘れぬ限りな」
忘れるはずがない。
忘れるはずもない。
「わたしはっ…………忘れないっ」
「そうとも……人は、そう簡単には消えんさ」
あの日から、一度たりとも彼の存在を忘れたことなんてなかった。
彼との日々は、この心に刻まれている。




