59.決勝戦
闘技場の熱は、既に限界まで膨れ上がっていた。
またあの角笛が鳴り響くと、観客の声が一段跳ね上がる。
中央の高台に進行役が現れた。拡声の魔導具を手に、両腕を大きく広げて告げる。
「さぁあ剣武大会もいよいよ大詰め!只今より、第百二十四回トーナメント決勝戦を開始します!決勝に勝ち上がったのは……この二人!まずはこの男だぁあ!!」
進行役の高らかな合図と共に、ユウが闘技場の中心にまで歩み出た。
司会が大袈裟な動作で紹介する。
「正体不明!その素性は誰も知らない!謎多き漆黒の暗殺者、レイィィンッ!」
観客の歓声が一気に膨らむ。
観客席の最前列に目を向けると、やっぱりアルテが手を振っていた。
「対するはこの男……!」
重く開いた鉄格子の門から現れた対戦相手を見て、「やっぱりこいつか」とユウは思う。
「なんと予選から準決勝まですべて一太刀!!その剣、未だ血に濡れぬこと無し!今大会のダークホース…… グレェェン!!」
ボサついた茶髪、ちょっと気だるげな目つき、口元に散らばった無精髭、くたくたになった旅人の装衣、そして腰に差した片手直剣。
間違いない。予選で凄まじい剣撃を放ちユウを驚愕させた、あのおっさん剣士だった。本戦でも対戦相手を瞬殺。会場を大きく盛り上げていた。間違いなく別格の強者。
グレンと呼ばれたおっさん剣士が、眠そうな顔で大あくびする。なんだか場違いな程に緊張感がない。
「今大会は実力者揃い……見応えのある試合ばかりでした。ただしこの二人に関しては正に異次元!瞬きの合間に試合が終わってしまう……!果たして勝つのはどちらなのか!?オッズは割れに割れ、ほぼ一対一のフィフティーフィフティー……剣武大会始まって以来の最強対決ぅ!!」
歓声が増す。
「さあ皆様……準備はよろしいか。暴力の頂点……最強は誰だ…………決勝戦――」
一瞬の静寂。
全ての音が引き絞られる。
「初めぇえ!!」
歓声が爆発する中、両者はその動きを完全に静止させた。
ユウは剣を右手に構え、静かに男を観察する。
ユウの眼が男の身から溢れるマナをはっきりと捉えていた。恐らくはガランバルドと同程度のマナ量。しかし不自然なほどに淀みも揺らぎも一切ない。
間違いない。
――こいつ、中途半端にマナを制限してやがる……それも恐ろしい精度で…………グレンとか言ったか……何者だ……。
グレンは剣を腰に差したまま抜こうとしない。
その行為が油断でも挑発でないことは、ユウも理解している。この男にはあの神速の抜剣術がある。迂闊に飛び込むことは出来ない。
「どうしたことでしょう!?両者その場から一歩も動きません!一体どうしたぁ!?」
進行役の鬱陶しい実況が響く。
グレンが片眉を上げて言った。
「どした?来ねえのか?」
その仕草が、ユウの癇に障った。
右手に握られた黒剣が眩く輝く。
グレンの表情が少し驚きに変わる。
「……ッ!」
振り抜いた刀身から輝きを放つ斬撃が高速で飛翔する。
その斬撃は地面を抉りながら直進、確実にグレンを捕捉していた。
だが、
「ほう……マナブレイドか」
グレンは最小限の動きでこれを回避。
しかしこれは想定の範囲内。
ユウは斬撃を放つと同時に既に右サイドからグレンに接近していた。
速度重視の点剣の刺突がグレンを再び捉える。
「――!」
歪みのある金属音。ジリジリと火花が散る。
ユウは驚愕した。確実に入ったと思った剣撃が、奴の腰から半身に抜かれた剣に逸らされている。
目前の鋭い眼光が、こちらの動きを正確に見つめていた。
三連撃――互いの剣が常人には目視不能の速度で宙に弾けた。
打ち終わりその剣圧によって、飛び退くように両者の距離が数メートル開く。
砂利を踏み締めて体幹を整えた二人が、その距離で睨み合った。
凄まじい程の歓声が巻き起こる。
「なんだ今の〜!?」
「いつ剣抜いたんだ……!?」
「速すぎて見えねえよ!」
観客たちが口々に感想を述べる中、両者互いに相違なく――思った。
――強い……。
額に汗を滲ませるユウ。
対するグレンは額に手を当て大笑いを始めた。
「何笑ってやがる……」
「はははっ……いゃ、まさかここまでやるとは……正直、舐めてたぜ」
口角を上げて、グレンがこちらを睨む。
その瞳には先程までとは明らかに違う光が宿っている。
「お前さん、名前は?」
グレンが顎を触りながら尋ねる。
「レインだって紹介されてたろ」
「レイン……だと…………?」
ユウが名乗ると、グレンは目を見開いて驚いた様子を見せたあと、
「ははっ……ま、んなわけねえか」
と乾いたように笑った。
ユウが首を傾げると、
「あ〜すまんすまん、眠くってよ。聞いてなかったわ。しっかしお前速ぇな。それにマナブレイドまで使えるとは……驚いたぜ」
その発言から「こいつ今までの俺の試合全部見てなかったな」とユウは再び腹を立てた。
「てめぇこそ何者だよおっさん。ありゃ普通の動きじゃねえぞ」
「チッ…………おい」
グレンが鋭い目つきでユウを睨んだことで、ユウの緊張が高まる。
「俺はまだおっさんじゃねえ。今年で三十七だ」
「おっさんじゃねえか……!」
思わず突っ込んでしまった。
調子が狂う奴だ、とユウは更にイラついた。
するとグレンは少し考えた素振りを見せたあと、言った。
「なあお前さん、棄権してくんねえか?」
ユウの思考が一瞬鈍る。
突然何を言い出すのか、と思う。
「はあ?何言ってんだお前……」
「いやな、訳あって賞金が欲しいんだ。だがな、お前がなまじ強いもんだからその……このままだとついうっかり殺しちまいそうでよ」
頭に血が上って来る感覚がハッキリとわかる。それ程にユウはこの男に対して怒りを募らせていた。
「な……舐めてんじゃねえぞ……」
「いやいや、褒めてんだぜ?お前を死なせたくねえんだよ」
「ッ……ぶっ殺すッ!」
地面が砕けた。その尋常ではない踏み込みによって奴との距離が刹那に潰れる。
先程よりも更に速い。そう悟ったグレンがニヤッと笑う。
凄まじい攻防であった。
常軌を逸した剣速が空気を叩き割る、怒涛の連撃。
それは正に人外境地の攻防。嵐の様な剣戟であった。
剣と剣が絶え間なくぶつかり、火花を飛ばす。
観客の誰もが歓声を上げるどころか、言葉を失う。
ここまで本気で剣を振り回したのは、ユウは初めてのことだった。
当たらない。どころか、全ての攻撃がいなされる。すぐ目の前に奴はいるのに、まるで遠くにいる様な奇妙な感覚。頭の中にある距離感がバグるようなそんな感覚。
――こいつ……速いなんてもんじゃねぇっ……あの迷宮の鎧騎士よりも遥かにっ……。
対するグレンの胸の内は、ただ高揚の限りであった。
剣技自体はお粗末。だが底知れないマナ量。桁違いの膂力。尋常ならざる速度。無尽蔵の体力で絶え間なく襲い来る、殺意の剣。
剣戟の中でグレンが思考する。
――凄まじいな……こいつバカげた身体能力だけで俺の剣とスピードに張り合ってやがる。それに疲れるどころかどんどん調子を上げてる……まさか、今この瞬間に成長してるのか……。
グレンの頬が更に緩む。
――こいつだ……こいつで決まりだ。ついに見つけたぜ……。
「久々に楽しくなってきたなぁ!こっちも全開で行くぜッ!」
グレンの速度が更に上がる。
「――くッ!」
必死にユウが食らいつく。
――有り得ねえだろ……まだ上がるのかよッ。でもなんか変だ……普通の加速の仕方じゃねえ……!
グレンの天恵〈加速〉は、自身と自身の触れたものを瞬間的に加速させる。更にグレンは踏み込みに際し足裏から小規模のマナ放出を行うことで、天地を超えた肉体を誇るユウすらも凌駕する、異次元の速度を確立していた。
研ぎ澄まされた集中、その無意識下で、ユウの全身を覆うマナ強化が更に強まる。
グレンの顔色が変わる。
幾ら速度で上手を取ろうと、純粋なパワーではユウに圧倒的な部がある。更にユウの握る黒剣の斬れ味が徐々にグレンの刃を削り始めた。
――長引くとやべぇな……。
足裏からの小規模マナ放出によって、グレンの身体が後方へと弾け、ユウの猛攻から離脱する。
地に足着いたその瞬間、グレンの一振。
「――!?」
超速の剣閃マナブレイドが振り抜かれた。
ただそのマナブレイドは、同時に三方向に飛翔する。
「嘘だろッ……!?」
思わず叫びながら紙一重でその斬撃の隙間に飛び込んだ。
ユウが飛び込んだ先に待ち構えていたのは、腰の鞘に剣を戻した居合構えの――グレンであった。
「よく避けたな」
ユウの背筋に悪寒が走る。
――来るッ……神速の抜剣術ッ……合わせろッ!
居合の軌道に合わせる様に黒剣を振り抜いた。
「――!」
周囲の時を止めるかのような、耳鳴りの如き激しい金属音が一発、響いた。
黒剣を握るユウの右腕が弾き上げられている。
その体勢は完全に崩れていた。
グレンが剣を構え睨んでいる。その隙だらけの胴を。
――終いだ。
再び神速の剣撃が打ち込まれる、その直前。
「ぐぅうゔっ!!」
化け物じみたユウの肉体が唸る。弾かれた腕の筋肉を軋ませ、無理やりに剣を振り下ろし反撃を試みた。
その予想外の動きが、
「――っ!?ばかっ」
グレンの計算を狂わせた。
肉どころか骨まで斬り裂く鉄剣の音。
黒剣を握り締めたユウの腕が宙を回り、そのまま地に突立った。
「ぎッ……」
腕中程から血が吹き出る。
ユウが顔を顰め、傷を押さえた。
「ああ〜とッ!?レイン選手の腕がぁああ〜!!」
実況が騒ぎ立てる。
グレンが真っ青な顔で剣を鞘に仕舞い、
「ばっかやろっ……なにやっ……て……」
駆け寄ろうとしたその時、ユウの腕が生えた。それはもう見事に。一瞬にして。
その衝撃の光景に会場全体が止まり、戸惑い、そして数秒後ざわざわと困惑の声が上がる。
「おいおい……なにが、どうなってやがる……」
有り得ないものを目にした。そんな顔でグレンが零す。
「てぇ……な、てめジジイよくもっ」
ユウがグレンを睨んだその時、拡声器の声が大きく響く。
「え、え〜ただ今の状況と、審議の結果をお伝えします。レイン選手の腕の治癒……これは……神聖術の行使と見なされます。よって、レイン選手の失格。勝者――グレン選手となります!」
会場中から口を揃えたブーイングが飛び交った。納得がいかない。これで終わりかよ。そんな怨嗟に満ちた声が会場を埋めつくした。
*
コロシアムの控え室で、後ろ手を組んだニッコニコのアルテに言われた。
「残念だったね」
「…………っ、」
ユウは歯を食いしばり心底悔しそうに唸った。
魔術なんて使ってないし、あれは俺の天恵だし、本当はまだまだこれからだったのに、とユウは腹の奥底に言いたいことが山程あった。だが何を言ってもそれは言い訳になる気がして、それを吐き出すことが出来ない。
するとそんなユウの顔を見て、アルテがふふっと嬉しそうに笑う。
「でも凄かったし、かっこよかったよ。ちょっと怖かったけどね……でもあんなに生き生きしてるユウ君久しぶりに見たかも」
そう、アルテは心底嬉しかったのだ。近頃のユウの焦燥っぷりは相当だったから。以前のユウが戻ってきたような、そんな気になる。
「ちっ……やってられるか。帰るぞアルテ」
「あれ、でもこのあと表彰式だって」
「賞金がねえならここに残る意味なんかねえ」
「そっか……じゃあさ、このあと水路公園に行ってみない?」
「水路公園?」
あそこは確か、複雑な水路が入り組む王都中央区の名所だったはず。美しい網目状の水路が蜘蛛の巣の様に巡り、花や草木が目一杯に敷き詰められた花壇、時折あちこち飛び出す噴水が味だ。聞くところによれば建国祭の日になんとかのイベントをやるなんて話もある。
「んなとこに何しに行くんだよ」
「ふふん……お昼かなり過ぎちゃったけど、朝から何も食べてないしユウ君、お腹すいたでしょ?」
「いや、別に。俺は腹が空かないもんでな」
「わたしは。空いたんですぅ」
「……?まあ、ならどっかで食糧でも買って行くか」
するとアルテは突然後ろ手に隠していた藤の編み籠、バスケットをユウの前に差し出した。
何だこれ、とユウが言う前にアルテがちょっぴりだけ頬を染めて言った。
「じゃーん。中身なんだと思う?」
「さあ」
「正解はサンドイッチでした」
アルテは頬を染めながらも擽ったそうに笑う。
「これ、お前が作ったのか?」
「うん……!て言ってもマテリナさんに協力して貰ったんだけどね。まだ難しい料理は上手く出来ないんだけど、これくらいならって……挑戦してみました。だからさ……このあと一緒に」
「いらねえ」
籠を握る、アルテの傷だらけの指先がピクっと跳ねる。
そして次第に籠を支える手が力を失うように、ゆっくりと下がり落ちた。
「ぁ……っあ〜そ、そっか…………いらない、か……」
「当たり前だ。毒が入ってるかもしれないだろ。他人が作ったものは食わないって決めてるんだ。お前もそんなもん食うなよ。多少の毒なら俺は平気だが、お前は違うんだからな。腹が減ったならその辺の店で果物とかパンとか適当に買った方がいい」
その切り捨てられるような彼の回答を前に、アルテはほんの一瞬だけ唇を嚙み、またすぐに表情を戻した。
「君、相変わらず女の子の扱いがなってないね。こういうときは素直に受け取るのが紳士の嗜みなんだけど」
「俺はリスク回避してるだけだ。お前だけならまだしも、他の人間が手をつけたものは今後一切口にしねえって決め――」
アルテはユウを黙らせるように彼の唇に人差し指を押し付けた。
「わかってる……」
今は仕方がない。アルテはそう割り切っていた。
微笑む彼女を前に、ユウは困惑した表情で固まっている。
その時だった。
唐突な爆発音が遠方から空気を揺らした。
「何だ……!?」
爆発音は外からだ。
ユウはアルテの手を引いて、彼女を外へと連れ出した。
そして二人がコロシアムを抜け出し、近くの広場に飛び出したとき。
「何だ……」
見上げたその先には、大きく黒煙を上げるフェルマニア城があった。
「お城……燃えてるの?」
ただ事では無い様子にアルテが呟く。
すると一人大声を上げながら走り回る兵士の姿が近づいてきた。
「だれか……!傭兵はいないか……!?剣士でも魔術師でもかまわん!誰か手をかしてくれぇ!城が……国王陛下がっ……!」
随分慌てた様子の兵士をユウが思わずよびとめる。
「おい、どうした」
「あ、あんた傭兵か……頼む助けてくれっ!礼ならする!城が襲撃されてるんだ……魔人族にッ!」
その言葉に周囲の一般市民たちが小さく悲鳴をあげる。
兵士は怪我をしているようで、ふらついてユウの体にしがみつく。
「お、おい……どういうことだ。城で何が起こってる」
「い、今城は手薄なんだ……東より押し寄せる大規模な魔獣の群れを討伐するために……王都の騎士団兵力は殆ど出払ってるっ……そこを狙われたんだ……」
「なんだと……」
「城に残ってるのは聖騎士が僅か数名と、下兵が三十名程度……俺もその内の一人だ。今は兵士の数名が手当たり次第に街の傭兵達に協力を求めて走り回ってる……」
何となくだが、状況が読み込めてきた。
恐らく東から押し寄せているという魔獣の群れは魔人族共が仕組んだことだろう。どうやったかは知らないが、魔獣を操り王都へ向けて進軍させた。そして王都の兵力をそちらへ割かせ、手薄になった城を攻め落とそうという算段か。
「頼む……力を貸してくれ!このままじゃ国王陛下が……この街もただじゃ済まないぞ……!」
ユウは暫し考えを巡らせた。
――どうする……行けば俺の生存がバレる可能性が…………いや、まてよ。
ユウの口元が釣り上がる。
考え方が逆だった。今こそ城に向かえるチャンスなのだ。この認識阻害の外套だってある。多少の無茶も問題ない。それに――。
「おいアルテ……お前はブランの宿屋に戻ってろ」
「え、まさか」
「城の様子を見てくる」
「ダメっ……だったら私も行く!」
「ちょっと様子を見てくるだけだ。お前は宿にいろ」
「でもっ……」
その時、アルテは見た。
邪悪に歪んだ、彼の顔を。
――今城は極手薄……ベルザムはもちろんおそらくあの男、ルーナスもいない。
歪んだユウの口から「ヒヒッ」と不気味な笑いが溢れ出る。
――これはきっとチャンスだ。魔人族だけじゃない。あのクソ女、第一王女に復讐するチャンス。こんな機会は二度と来ない。城のヤツらも魔人族共もまとめて……皆殺しにしてやる。
「いいかぁアルテ……絶対に外へ出るなよ」
先程までの生き生きとしたユウとは明らかに違う不気味な雰囲気。アルテが以前より感じていた彼の違和感が、ここへ来て急激に加速する。
「まって……まってユウ君っ、いかな」
ユウを引き留めようと伸ばしたアルテの手が空を切り、よろけた拍子に膝を着いて転んだ。
しかし彼女が再び顔を上げたその時には、既に彼の姿はどこにも無かった。
膝元には転んだ拍子にバスケットから飛び出たサンドイッチが転がっている。その様が何とも虚しくて、アルテは服の胸元をギュッと掴んで呟いた。
「ばか……」




