57.王都防衛戦――①
地平の向こうが黒く染まっている。それは影でもなければ雲でもない。悍ましい数の魔獣、魔物の群れであった。
蠢く無数の影が大地を覆い尽くすように押し寄せてくる。獣の咆哮、甲殻が擦れる音、異形の羽ばたき。それらが混ざり合い、一つの音の塊となって大気を震わせる。
王都から東に離れた東方街道の大平原。風に吹かれる種々が音を鳴らして揺れ動く。その大地が震えていた。
異形共の塊はこちらへ近づくにつれて、やがて一つ一つが輪郭を持ち始める。
奴らのおぞましい様相を目にした騎士の中の誰かの、思わず唾を飲む音が聞こえた。
正面、王国騎士団が整然と陣を敷く。その数凡そ二千。そして陣形後方に待機するは宮廷魔術師団、凡そ百二十名。
横一線に並ぶ盾、その隙間から突き出される槍の列。幾重にも重ねられた隊列は、広大な平原に人の壁を築いていた。
彼らの鎧が陽光を反射し、白く眩しく光る。
逃げ場などない。
左右に展開すれば包囲される。
ならば、ここで受け止める他ない。
騎士団の先頭に立つベルザムが正面をジッと見すえた。
ジリジリとその肌に伝わってくる夥しい数の不穏なマナ。
ベルザムが腰からゆっくりと剣を抜き、天高く掲げた。
作戦開始の合図だった。
「第一陣、詠唱開始」
その低い号令に続き、幾重にも重なる詠唱が始まる。
空気が震え、マナが収束し杖の先に光が集まる。
平原の中ほど、ちょうど魔物の密集が極まった地点が狙われた。
「撃てぇ!!」
光が落ち、それは強大な破壊として形を成した。
轟音が平原を満たす。
その間に既に詠唱を開始していた第二陣の魔術構築が完了する。
「距離適正!」
前線の騎士が叫んだ。
魔物の群れが射程へと踏み込む。
「撃てぇ!!」
激しい号令と共に空気が裂けた。
轟音とともに放たれたマナの奔流が、一直線に大地を薙ぎ払う。
爆ぜる光、吹き上がる土砂、空気が焼ける匂い。先頭の魔獣魔物がまとめて死滅する。
肉片と血飛沫が宙を舞い、衝撃波が後続を巻き込んで崩す。
広大な平地ゆえに衝撃は拡散するが、それでも余りある凄まじい威力。
僅か二発のそれによって、一帯が抉り取られたように消えた。
だが、奴らは止まらない。
崩れた空間を埋めるように後続が流れ込んでくる。
数が違う。削っても、削っても、なお押し寄せる異形の波。
魔術師団のマナは今の二撃で半分以下に陥っただろう。
本当に勝てるのか。そのような不安が騎士達の頭をよぎったその時、先頭に立つベルザムが握るロングソードに強大なマナを光らせた。
「ッ!!」
振り抜かれた刀身から分厚いマナの波動が地面を抉りながら前線の魔物共を粉々に打ち砕いた。
騎士達の歓声が上がる。
「怯むなッ!前線は俺が切り開く!一匹たりともこの平原を抜けさせるなッ!」
士気を上げる騎士達が、盾を構え一気に前進を始める。
その様子を見ながら、後方でガレオン・タルガニアスが腕組みをして呟いた。
「ほう!フェルマニアのマスター……中々にやりおる!」
その背後には数名の彼の部下が控え、その隣にはラブニの雷神ルキウスが静かな瞳で前線を睨んでいた。
そんなルキウスにガレオンが尋ねる。
「ルキウス、お前は出ぬのか?戦いたくてうずうずしておるのだろう」
「そっくりそのままお返ししよう。今作戦では我々は遊軍……私は出る時期を見計らっているだけだ」
「ガハハハッ!さてはフェルマニア軍のピンチに飛び出し恩を売る気だな?残念だがそれは起こらぬ……何故ならば、俺が一人でカタを付けてしまうからのう」
そう前方を睨んだガレオンが、恐ろしい跳躍で最前線に躍り出た。
着地と同時に地面を叩き砕き、異形の怪物を下敷きにする。
飛び散った血が王者の鬣を染め、圧倒的な威圧を周囲に解き放つ。
前線を支えていたベルザムがその強大なマナに勘づく。
「――ッ!? 全隊後退せよッ!!」
ベルザムの逸早い指示で前線が大きく下がる。
それを見たガレオンが牙を剥き出して、恐ろしく笑った。
唐突に横から飛び入ったオーガの顔面を片腕で鷲掴み、一瞬で引き潰す。
そして、そのマナを解き放った。
「精霊召喚――来たれ!地の王オルドロンッ!!」
それを目にするのは、ベルザムでさえ初めてのことであった。
ガレオンの呼び掛けに応じて現れたのは、五十メートルはあろう巨躯の四足生物。寸胴な手足、長い尾、巨体の背を蝕む苔が象のような硬い皮膚を覆っている。
脚を小さく動かすだけで地鳴りを起こし、周囲へその覇気を知らしめる。
その姿こそ正しく、地の王の完全なる姿であった。
『我が名は精霊王オルドロン。契約に従い参上』
地の王はあろうことか言葉を発した。まるで頭の中に直接響くような判然としない声で。
「これが……精霊王……」
ベルザムがその威光に驚愕し、思わず零した。
そんな最中、オルドロンの巨大な背に仁王立ちするガレオンが大声で笑った。
「ガハハハッ!久しいなぁオルドロン!また我と共に戦ってくれるか!」
『無論』
その瞬間、精霊王のマナゾーンが発動する。
精霊王の完全顕現中、半径約一キロメートルに渡ってオルドロンのマナゾーンは展開される。
その領域内では全ての地形が、オルドロンの意のままに姿を変える。
「ばかな……」
ベルザムは目の前の光景がとても信じられず、その身を震わせた。
目前、怪物共が踏みしめる大地が爆ぜるように崩壊し、おびただしい数の異形が大地に引きずり込まれ次々に圧殺されてゆく。
その様をベルザムのみならず、その背後に控える騎士達すら呆然と眺めることしか出来なかった。
「こんな……ことが……」
ベルザムはとても信じられなかった。同じ聖天、同じマスターナイト。されどここまで遠いとは。
「ん……?もう大軍の先頭は皆死んでしまったか?」
地平に浮かんでいた敵軍の黒い塊。その先頭の凡そ一キロ先までが、穴が空いたように消え失せた。
今の一瞬で、一体何千という魔獣魔物を引き潰したというのか。
「ガッハハハ!歯ごたえのある奴がおらんな!もっとこう…………おう、来たな」
オルドロンの背からガレオンが睨んだその先に、精霊王のマナゾーンをものともせず真っ直ぐに突き進んでくる巨獣が一匹。
その巨体はさながら狼の如き走りで崩壊する地上を駆け抜ける。黒く強靭な鱗に全身を覆われ、地熱の様な塊を胸元の中心にて赫く燃やしている。
「ありゃ地竜か……おっそろしいマナだな」
ガレオンが手で日光を遮りながら奴を睨む。
即座にオルドロンが地上の形を変え、無数の巨大な棘を地上から生やした。
だが地龍は襲い来る岩の棘をものともせず全て砕き伏せながら突き進む。
「ガハハッ!硬いな……!地属性に耐性まであるようだ!」
そう叫ぶとガレオンはオルドロンの背から飛び降り、接近した地竜に目掛けて突撃。その背に抱えていた大斧を奴の顔面に勢い良く叩き付けた。
精霊の完全顕現中、術者は精霊の加護を受ける。無論ガレオンも例外なく、マナ出力を大幅に向上していた。
しかしそれでも尚、その地竜の鱗は凶悪な硬度を誇っていた。
「――!」
ガキンッと力強い金属音、奴の鱗には精々傷がついた程度であった。
「まだまだぁ!!」
だがガレオンはお構い無しに大斧を連続的に振るい、地竜の巨体をジリジリと後退させる。
「ハハハッ!」
ガレオンが大斧に纏うマナの密度を上げ、マナブレイドの一撃を狙う。
その時、
「ヌッ!?」
地龍が突如その大口を開けて構えた。
胸元に溜まった地熱が恐ろしいエネルギーを放っている。
ブレスが来る。ガレオンが悟ったその瞬間、
「ハァアッ!!」
横から飛び出たベルザムがロングソードによるマナブレイドを地竜の顎に叩き付けた。
その一撃によってブレスが右に逸れ、その先の大地を抉り焦がした。
だがやはり、その鱗に傷をつけることは適わなかった。
ベルザムが歯を軋ませる。
――やはりダメか……だが、
ベルザムが地竜の足元にロングソードを突き立てる。
「我が奥義……受けてみよ」
ベルザムが己の研鑽により編み出したマナブレイドを超える騎士の奥義。それは大地に突き立てた剣より膨大なマナを放出することにより、剣のマナ耐久度を大きく超えたマナ放出の行使。
「グランシャリオ」
巨大なマナ爆発が地竜の足元より噴火する。
凄まじい衝撃波が地竜の巨体を削り、仰け反らせる。
地竜の黒鱗がボロボロに剥がれ、胸元の地熱帯が大きくひび割れる。
「ガハハハッ!よくぞやった!!」
大斧にマナを溜め終えたガレオンが即座に飛び込み、強力無比な一撃を大声と共にそのひび割れに叩き付けた。
地竜の巨体が、破裂する。
「ガッハハハッ!中々の強敵!これぞ戦よ!久々に楽しめそうだ!」
ガレオンが大声で笑ったとき、騎士の一人が叫んだ。
「ひ、飛竜だぁ!!」
叫び声に釣られて視線を上げると、恐ろしい速度で上空に迫る一匹のドラゴンの姿があった。
「ガハハハッ!まさかあんな奴までいるとはな!」
ガレオンは笑うが、騎士たちはたじろぎ声を上げる。
そんな最中飛竜は緑の鱗を光らせ、いきなり凶悪なブレスを口元に溜め込んだ。
「まずいッ……総員防御陣形を――」
ベルザムが指示を出すよりも早く、陣形の目の前に巨大な岩壁が出現した。
ドラゴンブレスによる大竜巻が巨大岩盤の壁を吹き飛ばす。
悲鳴をあげながら爆風に耐える騎士の総勢。だがガレオンの出現させた防壁のおかげで何とか騎士団は無傷を保った。
しかし皆理解している。あのブレスが自分たちに直撃するのも時間の問題であると。
そんな最中、信じられないことが起こる。
ベルザムが驚愕の声を漏らす。
「そんな……まさか……」
赤い鱗の飛竜がもう一匹、上空に現れた。
二匹の飛竜は戯れるようにクルクルと円を描いて飛行する。
「竜の番であったか……ふむ、流石に厄介」
ガレオンでさえその感想を抱いた。
騎士達が皆脅え、指揮が著しく下がるのが肌に伝わる。
更に前方からは再び無数の魔獣魔物の群れが迫ってきている。
ベルザムが刃を握る手に力を込め、精霊召喚を試みる。その直前、ガレオンが言った。
「全員下がれ……巻き込まれるぞ」
空気を切り裂く雷鳴が轟いた。
見れば二匹のドラゴンの眼前、宙に浮く一人の男の姿があった。
ラブニの雷神――ルキウス・マルティアス・アルシュット。
「いつの間に……」
ベルザムが驚愕の声を漏らす。
ルキウスは空に滞空していたのだ。まるでそこに透明な足場でもあるかのように、二頭の竜を前に空に仁王立ちしている。
「まさか単騎で挑む気か……」
ベルザムの困惑も当然のこと。そんな常識外れな話、聞いたことがない。
吠える赤竜が口元にブレスを溜める。
ルキウスが剣を抜き、その切っ先を赤竜へと向けた。
「略式召喚――神の雷槍」
流星の如く撃ち出された極大の雷撃が、強大なドラゴンブレスと衝突する。
僅かに拮抗したマナの衝突が爆発し、その余韻が赤竜の肉体を痺れさせる。
その衝撃の余波に、地上に構える騎士たちが悲鳴を上げた。
ベルザムはその光景を前に、最早立ち尽くす他なかった。ただの一撃だ。それが最強生物であるドラゴンの咆哮を打ち破ったのだ。その力は正に天災。人類の枠を大きくはみ出ていると言わざるを得ない。
火力で押し敗れた赤竜が吠え、釣られたように緑竜がルキウスに襲いかかる。
「中々しぶといな」
ルキウスが少し笑った。
「――」
緑竜が歪な叫びを上げ、その分厚い前腕が弾け飛ぶ。
その光景にベルザムは震えた。
「ばかな……」
ベルザムは確かに見た。
まるで雷閃の様にルキウスが姿を消し、次の瞬間には緑竜の腕が落とされていた。
「なんだあの剣は……」
背筋が凍るようだ。
彼のその直剣に宿されたマナからは、まるで類を見ない異質な波動を感じる。
その時、二体のドラゴンが怒り狂った様に耳を劈くような咆哮を響かせた。
まじかに構えるルキウスが思わず片耳を塞ぐ。それ程の咆哮。
不吉な予感が漂う中、ルキウスは溜息をはいて呟いた。
「そろそろ終わりにしよう」
再び輝く白銀の剣が、瞬く間に緑竜の首を跳ね飛ばした。その剣はまるで雷鳴の如く、厚い竜の鱗を完全に無視して容易に貫通する。やはり普通のマナブレイドではない。
番を殺され怒り狂う赤竜が、咆哮と共に凶悪な火炎をルキウスに向けて解き放った。
その火炎は範囲が広く、回避が間に合うタイミングではなかった。
ルキウスの身体を灼熱が呑み込む。
その熱風は地上にいる騎士達にまで届いていた。
空を見上げ、誰もがルキウスの身を案じたその時、灼熱の火炎の中から彼は無傷で現れた。その身の周囲には輝く球状の障壁が彼を覆っている。あのブレスを容易く防いだというのか。
再びルキウスの肉体が光の様に消える。
そして次の瞬間には赤竜の背後、その真上に現れた。
「――!」
抜かれた直剣が竜の背に突き立てられ、轟いた巨大な雷が赤竜の肉を通して真下にある大地までもを穿った。
その威力は凄まじく、穿たれた大地が消し飛ぶほどの大火力。轟いた雷鳴と衝撃波が味方である騎士達にすら畏怖を抱かせるほどであった。
力尽きて地に落ちる赤竜。
その様を見て地上の騎士軍勢から歓声が上がる。
だがそんな最中、
「な、何か来るぞ!!」
騎士の一人が上空に指をさして叫んだ。
皆が視線を向けたその先には遠方から恐ろしい速度で飛来する一匹のドラゴンの姿が。
「ま、またドラゴンだ……!」
「一体何匹いるってんだよ!」
慌てふためく騎士勢を他所に、そのドラゴンと上空にて相対したルキウスはその異様な姿に思わず感嘆した。
その竜の様相はどの文献にも存在しない。白銀に輝く鱗、頭部から背面、尾の先にまで無数に伸びる水晶の様な棘の密集帯が、体内のマナを受けて青白く輝いている。そしてその鋭く青い眼光はからはどこか神秘を感じざるを得ない。
ただのドラゴンではない。その異質極まりない姿と、その身から感じ取れる莫大なマナに、全ての騎士達が身を震わせた。
しかし雷神ルキウスだけはその頬を緩め、高揚を隠しきれぬ顔で笑みを浮かべていた。




