51.狂い始めた心
鏡の前で髪を整える。
美しいプラチナブロンドの長髪をハーフアップに拵え、仕上げに手ぐしで前髪を解いた。
「よし」
気合いを入れ直し、アルテは部屋の外で待つユウの元へ急いだ。
「ごめんお待たせ」
「おう。行くか」
ユウは髪型を変えたことなんて気づきもしない様子だ。
まあ、いいけどね。なんてアルテは思う。
早朝から二人は宿を出て、ギルドへと向かった。
あの一件から二週間が過ぎた。しかしこの街でマレの姿を見たものは誰もいない。
アルテも、初めは信じられなかった。あのマレが、まさかユウを裏切り背後から襲うなど。けれど襲われたユウ本人が嘘をつくはずもないし、何よりこの憔悴しきった彼の様子から事実なのだろうと察する。
思うに、彼女は魔人族に脅され、恐怖のあまり彼らに隷属したのだろう。初めから彼女が魔人族の仲間で、彼らを手引きしていたとは到底考えずらいし、それ以外に説明がつかない。
思い起こすだけで、アルテは腹が立った。
アルテはマレのことを大切な友人と思っていたし、「彼女にならユウ君を任せてもいい」なんて勝手に思っていた。それが結局は恐怖に負けて、好きな人に襲いかかった彼女がどうしても。
――ゆるせないよ。
隣を歩くユウの顔を見る度に、やっぱりそう思う。
今のユウは、危うい。そう感じるのだ。何がと言われればどうも上手く言葉にならないが、彼の心内に潜む陰りが嫌でも伝わってくる。他人に対する言動には常に疑いや嫌悪や憎悪といった負の感情が付きまとっている。
アルテは単純に、怖い。そう思うのだ。アルテの知る彼が、彼でなくなっていく様な感じ。どこか遠くへ言ってしまいそうな、そんな気がする。このままでは、何かとっても大変なことになる。そんな予感がする。
――今度は私が、ユウ君を守らなくちゃ。
光の失われた彼の目を見て、そんなことを常々思う。
あの日以降、彼は一睡もしていないし、酒場の料理にだって殆ど手をつけない。寝てる間に襲われるかも。食事に毒を盛られてるかも。多分そんなことを考えていそうだ。
彼の持つ天恵のおかげで飲まず食わずに無睡眠でも生きられるそうだが、そんなの精神衛生上絶対に良くないに決まってる。
見かねたアルテは、数日前より料理を始めた。宿酒場ブランの一階にある厨房で、ブランの妻マテリナに料理を教わっている。
今彼女の指先には至る所にナイフによる切り傷がついてるが、そんなことにもユウは気づいてないんだろうなと思う。
――別にいいもん。ちゃんと作れるようになったら、ユウ君に食べてもらうんだから。
アルテはその手を隠すように後ろに回し、キュッと握り込んだ。
カランカランとドアベルが鳴り、ギルド内に二人は踏み入った。
今日もギルド内は賑わっている。
あの事件の後、ユウとアルテは魔人の死体を倉庫内に放置した。あの一件に関わったと衛兵達に知られれば面倒になると考えたからだ。
魔人族が王都に入り込んでいる。そんな事実が知られれば大騒ぎ待ったなし。翌日には新聞号外で王都全域に知れ渡るだろうと思っていたが、二週間たった今でもなんの騒ぎも音沙汰もない。
もしかすると、あの死体は魔人族の仲間が秘密裏に処理してしまったのか、あるいは混乱を防ぐために王政が箝口令を敷いているとか。考えても仕方ないが、騒ぎに巻き込まれなくてよかった。
「ねえねえユウ君、これやろーよ!私達なら楽っ勝だよ!」
アルテは楽しそうに依頼書をバッと開いて見せる。依頼の中身はコボルト数体の討伐。コボルトが何なのか知りはしないけれど、きっと自分とユウならば余裕だと思う。
「ああ、いいよ」
ユウの気のない返事も、今は仕方がないと割り切っている。
「はいこれ」
アルテがユウに依頼書を手渡した。丁度その時だった。
「ユウ」
名前を呼ばれて振り返る。
カインだった。
「チッ…………んだよ」
ユウのその態度に、アルテは思わずギョッとした。
ぶっきらぼう極まれり。まさにそのような粗雑な態度で、ユウはカインを睨んだのだ。ついこの間まであんなに仲良くしてたとは到底思えない対応。事情を知ってるぶん仕方がないとアルテは思うものの、それはあんまりじゃないかとも思う。
「あはは……ご、ごめんねカインさん……」
「ああいや、大丈夫さ」
アルテが慌ててフォローするも、カインはさして気にしてない様子で尋ねた。
「それより、あれからどうだ?マレちゃんやオルドのこと、何か分かったか?二人とも突然いなくなっちまうなんて、やっぱ変だ。俺もマキナも色々調べてるんだが中々……」
アルテの背筋が凍りつく。その話題は禁句なのだ。
アルテは冷や汗をかきながら、恐る恐る横目にユウを見た。
しかし思ったよりも、ユウの表情に変化は無い。初めの方はマレの話が出る度に酷く機嫌を損ねていたが、あれから二週間も経った頃だしそろそろ気を取り直してきたのかもしれない。
するとユウは表情を変えず、口を開いた。
「知らねえ」
ただそれだけ。
喧嘩腰にも聞こえる声だ。
「そ、そうか……じゃあ何かわかったら」
「俺らもう行くから。行くぞアルテ」
「あ、ちょっ」
ユウはアルテの手を引いて背を向けた。
「ちょっと待てよユウ。その……本当にマレちゃんのこと、何も知らないんだよな?あの子から何か聞いてるとか」
「知らねえって言ってるだろ」
少しだけ語尾が強まり、視線がさらに鋭く変わった。
ユウの様子から、これ以上はいけないと、アルテは再びフォローを入れる。
「ごめんねカインさん。本当に私達にもわからないの」
その目配せで、カインにそれとなく話を切るよう伝えてみる。
「そ、そうか。執拗く聞いて悪かった」
「ううん、ありがとう。またねカインさん。さあ行こうユウ君」
カインとの話を無理に終わらせ、二人が去ろうと振り返ったその先、ユウの肩が鎧を被った大男にぶつかった。
「おっと、」
鎧の男が少し大袈裟にリアクションした後、
「おい小僧、前見て歩けねぇのか」
偉そうにお決まり文句を吐き捨てた。
大きく分厚い体、鉄色の鎧、顔を覆う黄黒の縞模様な毛並み、鋭い目つき。見たところ虎人系獣人族だろう。その後ろには三人の獣人と二人の人間達が幅を取っていた。おそらくは、この虎男の仲間に違いない。
アルテは男の頭から飛び出た猫みたいな耳をみて、「ちょっとかわいいかも」なんて思う。
そんな思考を砕き割るかのごとく、右隣のユウから敵意むき出しの罵詈が予備動作もなく飛んで言った。
「うるせえよ。逆にテメェは前見てるくせに何で避けられねんだよ。このノロマ」
その言葉にアルテの背筋は再び凍りつき、男の傍にいた取り巻き達の顔がギョッとした。
「はっは!随分と生意気な口利きやがる。お前見ない顔だが、さては最近傭兵になったばかりの駆け出しか?」
「だったら何だよノロマ」
虎男の眉間にシワがよる。
ユウの拳に力が入る。
「おいおいやめとけ、ガランバルド」
見かねたカインが割って入った。
「カインか」
「遠征から帰ってきてたんだな。いくらS級のあんたでも、あんま暴れるとまたギルドから制限かけられるぞ」
「はっ、俺に指図するんじゃねえ」
アルテはへえ〜、と思う。
彼はS級の傭兵らしい。S級と言えば、傭兵の最高ランク。アルテ自身よく理解できては無いが、よっぽど強いんだろう。ここで揉めたらユウの立場を悪くするかも。そう考えたアルテはユウが暴れ出さないように彼の前に陣取って、すんなり頭を下げた。
「ごめんなさい、よそ見しちゃって。次からは気をつけます」
アルテが頭を下げたのを見て、ユウは何でこんな奴らに謝るんだって顔をしてる。
すると虎男は自分の顎に手を添えて「ほ〜」と呟く。
「お前、よく見たらとんでもねえ上玉だな。そんなヒョロっちい小僧より、俺と一緒に来ないか?お前もウチのチームに加えてやろう」
虎男はありえないくらいの上から目線で言い放つ。
流石のアルテだってその言い草にはカチンと来るが、ここは事を荒立てたくない。
「あはは……ごめんなさい。その、私は別に良いチームに入りたいとかそういうの、ないから」
「まあそう言うなって。そんな奴より俺がもっといい思いさせてやる。こっちに来い」
そう言って男がアルテの肩に手を触れた。
その瞬間、ユウは彼女の肩に触れる虎男の腕を力強く掴み上げた。
「ぐぉおっ!?」
鎧の籠手が空き缶の様にひしゃげ、その奥にある骨肉が酷く軋む。
「こいつに……触るなッ……!」
桁違いの殺気と共に男を睨みつける。
「く、そっ……てめぇ……」
堪らず男が膝を着いたところで、ユウはパッと手を離した。
「はぁっ……はぁっ……」
男は額に汗を滲ませ、荒い呼吸を繰り返す。そんな男には目もくれないで、ユウはアルテの手を引っ張った。
「行こう」
「え、あぁ」
アルテは戸惑いながらも、繋がれた右手を見つめて頬を染める。
こんなこと考えちゃいけないのに。「嬉しい」だなんて思ってしまう。彼が自分を守ってくれた。他の人にはない信頼関係が、二人の間にはある。その事実に、気を抜くと頬が緩んでしまう。
ユウがマレとデートに行ってしまったあの日、酷く胸が苦しかったのを憶えている。もし何か因果が違えば、この手は彼女と繋がれていたのかも。
でも今は、私が握ってる。
こんな考え方は酷いと思う。いけないってわかってる。それでも、この気持ちを消すことなんて出来るわけなかった。
二人がギルドを出ると、入口前で一人の少女が立っていた。見覚えのある猫耳がピクっと揺れる。
「シャル……」
彼女を見つけたユウは露骨に嫌な顔をした。
「やっと出てきた。兄ちゃん、あんま揉め事は起こすなよ」
「どうでもいいから、早く要件を言えよ」
「この前言ってた代物、見つけてきたぜ。苦労したんだからな〜あちこち商人に掛け合ったり闇市嗅ぎ回ったりしてよ〜」
シャルは「ん」と薄汚れた布を突き出して来た。
黒い外套だ。首元の襟止め部分にブローチの代わりに加工されたマナ鉱石が付いている。半透明のマナ鉱石の中には何か魔法陣の様な紋章が浮かんでいた。
「本当にこのボロが?」
「そーだよ、このボロひとつが金貨十五枚だ。かなりレアな代物なんだから感謝しろよな」
ユウは半信半疑でそれを受け取る。
「認識阻害の魔術が掛けられたアーティファクトだ。周囲の人間は使用者の顔を認識出来ない。おまけにマナの気配も完全に消してくれる。犯罪者の手に渡れば好き放題だな」
ユウは手元のボロ外套をジッと見つめる。
おそらくは、以前襲ってきた魔人族が身につけていた外套と同じ系統のアーティファクトだ。あれを使われたら、ユウでも不意打ちに気づけない。
魔人族のこともあるし、第一王女達のこともある。今後は街を出歩いていて襲われる危険性が増えるだろうし、この手のアイテムが欲しいと思っていたところだ。
「ほれほれ、金貨十五枚。はよう渡せ」
シャルが手をヒラヒラさせながら言う。
「本当に金貨十五枚もすんだろうな」
「あたしが嘘ついてるって言いてえのか?だったら返せったく、せっかく見つけてきてやったのに」
「チッ……」
ユウは遠慮のない舌打ちをかましたあと、シャルに金貨十五枚を手渡した。
「へへ、毎度あり」
コインを受け取ったシャルが舌を出す。
「んで、この魔道具とは別で頼んでた件はどうだった」
「あ〜魔人族についてな。殆ど情報は掴めなかったが、ひとつだけ手に入れた。兄ちゃんたち、以前パマル村に魔獣の討伐依頼で出向いたろ。その村、滅んだぜ」
アルテが小さく声をあげた。
ユウはシャルに魔人族についての情報収集を依頼していた。
魔人族共はあれから一向に姿を見せない。今は大人しくしているみたいだが、またいつ襲ってくるかも分からない。先に見つけ出して皆殺しにしてやろうなんて考えていたのだが。
「村人の殆どは何者かによって殺された。生き残りの証言では、魔人族がやったって話だ。おっかない数の王国騎士隊がそっちへ出向いてたって情報もある。兄ちゃんたちが戦ったっていう魔人族でまず間違いないだろうな」
パマル村での一件、そして廃倉庫での出来事を、ユウはシャルとアルテ以外の誰にも話さなかった。魔人族と交戦しただなんて話が広まったら、ユウは間違いなく騎士団やら憲兵団やらに呼び出され、詳しい事情聴取を迫られる。そんなことになれば生存がバレて第一王女に狙われかねないと考えたからだ。しかし結果それが原因でパマル村は滅んだ。ユウが魔人族のことを騎士団に伝えていれば村は滅んだりしなかったろう。
ただユウは思う。心底どうでもいいと。
「んで、情報はそんだけか?」
「あ、ああ……」
「んじゃ、また何かわかったら教えろ」
それだけ言って、ユウはシャルに背を向ける。
「ちょっと待てよ兄ちゃん。その、マレっちの件なんだが」
その言葉の直後、シャルを酷く睨みつけた。
シャルの肩がビクッと揺れる。
「そ、そんな目で睨むなよ。とても信じられなくてな。その……マレっちが兄ちゃんを……なんて」
シャルもまた、執拗いくらいにこの話題について触れてくる。
苛立つユウに見かねて、アルテが「まあまあ二人とも落ち着いて」と割って入ると、
「姉ちゃんはどう思ってんだよマレっちのこと。何か事情があったとは思わねえのか?」
「え……それは……」
「だってよう、マレっちは兄ちゃんのこと……」
その時、ユウが圧のある声でぶった切った。
「いい加減にしろよ。どんな事情があったら他人の背中にナイフ突き立ていい理由になんだよ。事実あいつは俺を殺そうとした。魔人族に脅されてビビったのか、あるいはそれ以前から魔人族と繋がりがあったか…………」
自分で言っていて、気がついた。
もしも本当にマレが魔人族の仲間なんだとしたら、彼女が奴らを王都内に手引きしたことになる。奴らが誰にも見つからず潜伏出来てる時点で、協力者がいる可能性は高いと考えていたが。もしオルドラゴもそうであると仮定すると、妙に納得がいく。そう思えた。
「に、兄ちゃん大丈夫か?顔色悪いぞ」
「…………」
ユウは無言のまま、シャルの顔を数秒見つめた。
そして、
「そう言えばシャル、お前マレと仲良かったよな……」
「…………は?」
ユウは思う。自分はもしかして、とんでもないミスを犯したのではないだろうか。何故シャルが魔人族の仲間じゃないと言いきれるのだろう。それに彼女はユウが勇者であることを知っている唯一の存在で、特殊な天恵によって名前から能力までほぼ全てを看破出来る。
「お、おいおい兄ちゃんそりゃねえよ……変な勘違いはよせ……」
ユウは腰に差す剣を音を立てて引き抜いた。
「に、兄ちゃん……!何考えてるか知らんがその物騒なもんしまえ!」
ユウだって、まさかとは思う。それでも、可能性はゼロじゃない。もしそうだったら、ユウは敵に自分の情報を流していたことになる。
心臓の音がやけに響く。耳鳴りがする。シャルが目の前で何か言っているが、よく聞き取れない。
どうしたら。
――殺せ。
心臓の音が近づいてくる。
どうしたらいい。
――殺せ。
どうしたら。
腹の底に得体の知れないモノが渦巻く感覚。
そんな最中、綺麗な声がスっと頭の中に割り込んだ。
「ユウ君、もう行こう」
アルテがユウの手を握って、柔らかい表情でこっちを見てる。
「アルテ……」
「大丈夫……私がついてる…………大丈夫……」
ユウは疲れた顔で額に手を当て溜息を吐いた。
「そう、だな……いこう」
「うん。ねえわたし、なんだかお腹減ったな〜」
「そうか。じゃ、何か飯でも食うか」
二人は何事も無かった様に、シャルに背を向けて歩き始めた。
どしゃっとシャルは尻餅をついて暴れ回る心臓を押さえ、震えた声で小さく呟いた。
「はぁ…………どうしちまったんだよ」




