47.デート
噴水公園の石畳の広場には、昼下がりの喧騒が満ちていた。
近くの露店から漂ってくる焼き菓子の香りが鼻につく。噴水の水音が柔らかく響き、心が少しだけ安らぐ気がした。
ユウは約束の鐘楼の下で周囲を見渡す。
まだ来ない、そう思ったとき。
「ユウさん」
振り向いた瞬間、彼女がこちらへ駆けてきた。
待ち合わせ時間ギリギリに到着したマレは、ほんの少し頬を赤く染めて呼吸を乱していた。走ったのだろう。
彼女は見慣れない白のワンピースを着ていた。おかげで彼女の桜色のロングヘアがよく映える。
ふわりと柔らかく揺れるフリル。腰に巻かれた細い革のベルトが全体のシルエットを整えている。
胸元にはユウのプレゼントした翡翠の首飾り。そして当然の様に頭の上には、もう見慣れた兎耳リボンが。
思わずユウは息を呑んだ。
普段の旅人の装衣とは違って、今日の彼女はどこか柔らかく、年相応の少女らしさがある。
「変、ですか?」
彼女は照れくさそうに視線を逸らす。その仕草すら大人びて感じる。
見慣れぬ彼女を前に、ユウはつい言葉に詰まった。
「……あいや、その……いいんじゃない?すごく、似合ってると思うよ」
普段ならこんなお世辞サラッと言えるのに、何だかすんなり言葉が出てこなかった。
しかしそれを聞いたマレは頬を染めて、
「行きましょう」
と大人っぽく笑った。
今日は何だか、彼女が別人に見える気がした。
――
初めに連れられたのは路地裏の小さな食堂だった。外観はツタの葉が絡みついた今にも崩れそうな古びた木造建築。まるで魔女でも住み着いてるような雰囲気の店だ。
おいおい買い物はどうした、とユウは思ったが、よく考えたら今はもう昼過ぎ。彼女も腹が減った頃だろうと割り切って中へ入った。
案内された木製テーブル、鉄のランタン、香草の香り。
彼女は注文したスープを一口飲み、ほっとしたように微笑んだ。
「は〜美味しいです。ここのスープは絶品だって友達に教えてもらったんですけど、大正解でした」
嬉しそうなマレを見て、思う。
さっきは別人みたいな彼女を前につい面食らったが、今なら平常心でやれる。
ユウは飛び切りの笑顔を作り上げ、彼女へと向けた。
「ああ、本当に美味しい。こうしてマレと食事をしてると、何だか二人でパーティーを組んだ頃を思い出すよな」
「確かにそうですね。あの時がすごく昔のように感じます。今では私達もC級の傭兵ですよ?とても信じられないです」
先日のカイン達との合同依頼の達成によって、ユウ、マレ、アルテの三人はC級傭兵へと一気に二階級昇格を果たした。
ユウの当面の目標は馬や馬車を買い揃え、ある程度の貯金を持ってこの街を出ること。C級ともなれば受けられる依頼や報酬も一気に増えるし、目標に大きく近づいたと言っていい。
しかしユウはふと思った。こうして彼女に対して取り繕う意味は、もう無いのではないか。元々彼女は迷宮の依頼を受けるためだけの頭数要員だった。彼女からは装備を買い揃えて貰ったし、情報屋を紹介してもらったし、頭数要員としても十分役目を果たしてくれた。彼女から搾り取れるものはもう無い。もう、用済みなんじゃないのか。
その言葉がユウの脳裏に過ったその時、マレの瞳が少しだけ揺れ、彼女が手に持っていたスプーンをテーブルに置いた。
まるでスイッチが切り替わったみたいに、彼女の表情は真剣に変わっていた。
「ユウさん……改めて言わせてください。私を仲間に加えてくださって、本当にありがとうございました」
唐突な話の展開に、ユウは少し戸惑った。
「急にどうして?」
「その、日頃のお礼と言いますか……ユウさんには本当に感謝してもしきれないくらいなんです」
「そんなこと、気にする必要ないのに」
「いえ、私の気がすみませんから。それに……」
彼女は少しだけ瞼を下げて言った。
「私、今でも不安に思うんです。ユウさんがあの日、迷宮から帰ってこなかったら……もしまた、同じようなことがあったらって…………でもだからこそ、五体満足でこうして一緒にいられることが、本当に奇跡みたいに幸せなことなんだって実感しました」
「マレ……」
「ユウさん、私やっと理解出来ました。これが、仲間なんですね。こうして無事でよかったって、お互いのことを思い合えることが……私の憧れた…………。ユウさんに出会えなかったら、私はこれを、この感情を……一生知らないままだったのかも知れません……その、上手く言えないんですけど、本当に感謝しています」
ユウは恐ろしさすら感じた。
詭弁だ。虫唾が走るほどの。彼女は本心からこのような戯言を口にしているのかもしれない。そう思うと、哀れで仕方がない。
「すみません、急にこんな話。さあ、冷めないうちに食べましょう」
無防備な表情。それをユウは見つめ、思う。
――バカな女。
彼女が何を言おうと、どう感じようと、ユウが彼女を信用することなんてないし、仲間だなんて考えることも、絶対にない。そう断言できた。
口に運んだスープが、少し冷めてる気がした。
――
腹ごしらえが済んだ後、二人は市場通りを並んで歩いた。
二人の肩と肩が触れそうで触れない距離。人混みが凄くて、この距離でないと歩けない。
市場通りには様々な天幕が並び、果実、香辛料、布地、金属細工、見たことのない南方の香油まで売られている。
ここは以前にも来たことがあるが、毎度人の波にうんざりする。
「ユウさん、これ凄く綺麗じゃないですか……?」
マレは鮮やかな青い布に目を輝かせた。
「これ、ラブニから来たんですって!凄い……私一度でいいからラブニの王都に行ってみたかったんす……!」
アスモンテ・ラブニ聖王国は北方の大部分治める世界四大国のひとつ。この青い布切れは北国生まれらしい。
マレが指先でそっと撫でる仕草。布がするりと音を立てる。
ユウはその横顔を見た。
こんなもん見て何が楽しいんだか。
無邪気な笑顔は無垢に咲き、またその視線は忙しなく、次々に市場を移り移った。
果物屋では、赤く熟したオルラの実をひとつ買う。
「半分こしましょう」
小さな刃で切られたオルラの実を、ユウは気乗りしないまま受け取り、口に放り込んだ。
そんな瞬間にふと視線が絡み、マレがクスッと小さく笑った。
その後もくだらないショッピングは続いた。
奇妙な雑貨屋でヘンテコなランプを睨みつけ、薬品店で傷薬と解毒薬を少し買い、マレが香辛料店でくしゃみをする。
「次は武具店に行ってみましょう」
マレの提案にやっとか、とユウは安堵した。このまま永遠に物見遊山に付き合わされるかと思っていたところだ。
二人が市場通りを外れ、行きつけの防具店に向かうため人通りの少ない路地に入った。
丁度その時。
「ちょいとそこのお二人さん」
怪しげな身なりの男が声を掛けてきた。
「いや〜あんたら運がいい。よかったら店の中見てきなよ。安くしとくぜ〜?」
突然声を掛けられて困惑する二人。
「あの、何を売ってらっしゃるんですか?」
「そりゃもう入ればわかるさ。色ん〜な商品がよりどりみどりよ。ほら入った入った……!」
男は半ば強引にユウとマレの背中を押して、店内へと招き入れた。
押しに負けて足を踏み入れた二人は、薄暗い店内の中でその目を疑った。
鉄格子の檻の中、虚ろな目、怯えた目、不安な目、それらが一斉にこちらへ向けられた。
檻の中に閉じ込められていたのはまだ幼い少女達だ。その全ては人間族と獣人族で、言葉を発さずただその絶望だけをこちらへと向けてくる。
ユウも見るのは初めてだったが、それが何なのかはすぐに理解出来た。
「な、なんですか……これは…………」
マレは視線を動かすことなく、その身ごと震わせた声で尋ねた。
店主は飄々と答える。
「何って……奴隷ですよ奴隷」
さも当然のように話す店主の様子から、彼らとは考え方や価値観がまるで違うのだとマレは理解する。
彼女もこれを見るのは初めての事だった。そういったことが横行してることは知識としては知っていたし、国内外問わず世界中で問題視されていることも知っていた。けれどどこか、自分とは無縁のものだという意識があったのだ。
夢を描いて上った王都の恥部。それはあまりにも生々しく、理想との差異に言葉が出ない。
胸が苦しい。呼吸が早まり、冷や汗が止まらない。
マレの表情から察したのか、二人を店内へ引き入れたおそらくは店主であろう男が、後頭部をボリボリと掻いて溜息を吐き出した。
続いて部屋の隅で腕を組み壁にもたれる黒髪の男が、鋭い目付きでマレとユウを睨んだ。
男は自身のマナを抑えようともせず、ひけらかす様に殺気と共に放っている。
それを気取ったユウは、ゆっくりと左手を腰の鞘に添える。
――こいつ、強い……。
放たれ続ける男のマナから、その熟達の剣功を悟る。この店の用心棒だろう。ただ並の傭兵ではない。カインやマキナよりも遥かに格上。ユウやマレが不振な動きを見せれば即座に男の背に掛かった刀剣が血を見せるだろう。
ユウは未だ動揺に震えて立ち竦むマレの手をスっと取り、一切の殺気も不自然さもなく言った。
「マレ、行こう」
そう呟いて彼女を店から連れ出した。
背後から店主の舌打ちが聞こえたが、彼らは追っては来なかった。
店を出て裏路地をしばらく歩いたところで、マレが急に足を止めた。
「マレ?」
「ユウさん、あの子たち……」
「まさか助けようなんて考えてないよな」
「……っ」
ユウの問いかけにマレは言葉を詰まらせた。
「助けてどうするつもりだ。ざっと十数人はいたぞ。助けたあと、子供達の面倒は誰がみるんだ?」
「それは……でもっ、あのまま放ってはおけません……!」
「……それで、どうやって助けるつもりだ?奥にいた目付きの悪い男は見ただろ?あいつは強いぞ。多分傭兵か何かだ。君が行っても即殺されるか、奴隷の仲間入りになるだけだろうな」
そう告げられたマレは瞳に涙を浮かべ、何か言いたげな表情でユウを睨んだ。けれど彼女は何も言えず、結局は唇を噛み締めて押し黙る。
ユウは彼女が何を言いたいのか理解出来る。
当然、ユウになら彼女たちを助け出せるだろう。だがユウが自らそれを申し出ることは無い。彼はメリットなしで人助けをするような聖人ではないからだ。
「ユウさんは……あの子達を見て、助けたいとは思わないんですか……」
マレが顔を引き攣らせて呟くように言った。
「思わない。それがあの子達の運命だろ」
ユウは表情一つ変えずに言い切ってみせた。これで彼女に嫌われようと構わない。むしろここで彼女と関係を切れる良いきっかけになるとも思えた。
マレは酷く残念そうに瞼を落とし、呟いた。
「わかりました」
それだけ言って踵を返す。
その背中に、ユウは無性に腹が立った。
「待てマレ。一人で行って何ができる。それは、偽善だろ」
ユウの言葉に、マレは今にも泣き出しそうな顔で振り返る。
「そんなことはっ」
「あるさ。じゃあ君は、あの男達を殺せるのか?」
「……、」
マレは答えられなかった。
「子供達を助けるってことは、つまりはそういうことだろ。まさか悪人なら死んでもいいなんて思ってるのか?」
「それは……」
「そういうのを偽善って言うんだ。お前は、俺の知ってる奴らによく似てるよ。お前らは常に自分が正しいと思ってる。自分の中にある正義に、疑いようのない自信を持ってる。けどな、そういう奴らに限ってここぞという場面で人を裏切る」
「な、なにを……そんなことありません……!」
「いいや、断言する。お前には何も出来やしない。子供達を助けに行ったって、目の前の恐怖に負けて、結局は彼女たちを見捨てるさ」
マレは理解出来なかった。なぜ彼があの少女達を簡単に見捨てることが出来のか。なぜあんなにも優しかった彼が、こんな酷いことを言うのか。
「なんで……どうしてそんなことを……」
「当たり前のことさ。だってお前も人間だからな。人間は愚かで醜い。平気で嘘をつき、人を騙し……裏切る」
「そんなことっ……私はそんなことしないっ……!」
「同じことを言った奴らはみんな、俺を裏切ったさ。だから俺はもう、誰も信用しないと決めた。もちろんお前のことだって、出会ったあの日からずっと……これっぽっちも信用してなかったさ」
「……っ、」
今にも泣き崩れそうな表情でマレが言葉を詰まらせる。
「結局、お前は何もわかっちゃいないんだよ。あの子達を助けるってことが、どういうことなのか」
「…………っ」
マレは俯き、歯を食いしばり、そして目の前のユウを睨みつけて叫んだ。
「そんなの…………わかりたくもないですっ!」
珍しく荒らげたマレの声。そこには敵意すら混じっているようだった。
「どうして……!?困ってる人を助けたいと思うのは悪いことですか!?何もしないで彼女達を見捨てたら、それは私達が殺したも同然じゃないですか……!?」
「そうかもな。だから偽善なんだ。お前は結局、自分のせいで人が死ぬのが嫌なだけだ」
「ちっ、違うっ!私は……!」
しかしマレの勢いはそこで途切れた。
核心を突かれたような気がした。違うのに。そうじゃないのに。そう言われると、そんな気がしてしまう。
マレはまた唇を噛み、ユウに対して背を向けた。
「すみません、ユウさん。それでも私には……あの子達を見捨てることなんて出来ません。それをしてしまったら、私は……」
それ以降、彼女は口を噤んだ。
彼女のブーツが鳴らす硬い足音が、裏路地に響いて消えていく。
そんな彼女の崩れそうな背中を、ユウはただ見送った。一切の視線を逸らさずに。




