45.忍び寄る魔の手
ユウとアルテは深い森の奥へと踏み入った。
陽は間もなく落ちる頃。薄暗く、空気はじめついている。
本来夜闇の中で魔獣の潜む森に踏み入るのは得策では無い。しかし今は時間が無かった。明朝まで待っていては、子供の生存率は一気に落ちる。仮に子供の身に何かあれば、村は報酬を渋りかねないだろう。
「ほっ……よっと…………」
草木を掻き分けながら、アルテがぎこちなくぴょんぴょんと歩く。
「それにしても、私ちょっと見直しちゃった。ユウ君が子供を助けようって立ち上がってくれて、私嬉しかったよ。君、やっぱり優しいでしょ」
アルテがクスッと笑う。
「は、バカ言うな。子供なんてどーでもいいんだよ」
「え?」
「ああ言えばカイン達を置いていける。足手まといが無くて結構。なにより手柄は全部俺のもんだ。危険を犯すのも、魔獣を倒すのも、子供を助けるのもぜーんぶ俺の手柄。当然報酬は俺のもんだ……ヒヒッ……」
「う、うわ〜ドライ……てかセコい……」
ユウが下品に笑ったのを見て、アルテは顔を引き攣らせる。
「それにしても、こんなに歩いてんのになんの気配もねえな……」
二人はかなり森の奥まで来たはずだ。しかし敵の気配がまるで無い。大きなマナの気配もない。それに肝心の子供も見当たらない。
「まさかもう死んでるとかねえよな……」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ」
暗い森の中で迷子を見つけるのは難しい。死んでるとなると尚更だ。そうなれば報酬に影響もでかねないし、ユウは不安でしょうがなかった。
そんな時、
「あっ」
隣を歩いていたアルテが突然立ち止まった。
「ねえユウくん、これってさ……」
彼女が見つけたのは小さな人間の足跡だった。湿っけのある土にハッキリと人の足型が残っている。
「まだ新しいな……行方不明の子供の足跡で多分間違いない」
「……よかった!これを辿れば見つかるかも!」
足跡は森の奥へと続いている。
「よし、行くぞ」
二人は足早にその痕跡を辿った。
それから1時間ほど経過しただろうか。日は完全に沈み、森の中は暗闇に呑まれていた。
「くそ、こう暗くちゃ探しづらいな」
「足跡も途切れちゃったしね……」
二人が追っていた子供の足跡は森の奥で途絶えた。この辺りまで子供が来たことは確かだが、一向に見つからない。手掛かりは、もう無い。
「手詰まり、だな……」
これだけ探しても見つからないのなら、もしかすると子供は既に魔獣に食い殺されたあとなんじゃないか、そう思えてくる。
「ぼくー!どこにいるのー!」
突然アルテが大声をあげた。
「う〜んしまったな……子供の名前聞いてくればよかった」
「何してんだバカ。魔獣が寄ってきたらどうすんだよ」
「そしたらユウくんが守ってよ」
「こいつ……」
なんて他人任せな奴だ、とユウは思う。
「大体な、そんなんで見つかったら苦労しねーんだ……」
ユウが言いかけたその時、彼の常人離れした聴覚が子供の啜り泣く声を捉えた。
「まさか……」
「どうしたの?」
「今一瞬、子供の声が聞こえた気がした」
「えっ、どこどこ!?どこから!?」
「ちょっと静かにしろ」
ユウは目を閉じ、耳を澄ました。
「……」
アルテは口元を押え、息を飲む。
「わかった。多分こっちだ」
ユウの五感を頼りに二人は森を進む。
すると、そこには波打つような地形の岩場があった。
「この辺りのはずだ」
「ぼくー!どこにいるのー!でておいでー!助けに来たよー!」
そうアルテが叫ぶと、近くで小さく瓦礫が崩れる音がした。
顔を見合わせる二人。
音のした方へ二人が向かうと、そこには岩土で形成された小さな洞穴が静かに存在した。
まさか音の正体は洞穴に住む動物だったか。
ユウが思ったその時、アルテが膝を着いて屈み込み、優しい声で言った。
「ぼく、そこにいるの?助けに来たよ……もう大丈夫」
すると洞穴から一人の少年が顔を覗かせた。その酷く怯えた顔は泣き腫れ、鼻水を垂らし震えている。
ユウは驚いた。本当に子供が隠れてるなんて思わなかった。
「よかった……」
心底安堵した表情でアルテが息を着く。
「お前、よくわかったな……」
「何となくね」
「お、お姉ちゃん達、だれ……?」
震える声で少年が問う。
「私はアルテ。君のお母さんや村長さんに頼まれて君を探しに来たの。もう大丈夫だよ。さ、帰ろ」
「……おかあさんっ……ううっ……」
少年は泣きながらアルテにしがみついた。そんな少年を、アルテは優しく抱き寄せる。
「ううっ……」
「よしよし、怖かったね……もう大丈夫だよ」
アルテが少年の頭を撫でると、少し落ち着きを取り戻した彼が言った。
「っ……ぼく、怖くて動けなくて……あいつらが、まだ近くにいるかもって……僕をずっと探してた……」
「え?あいつらって……」
その時、何かが猛スピードでこちらへ向かう、重たい足音がユウの耳に飛び込んだ。
草木が揺れ、掻き分けられ、連続的に地を叩くような重い足音。それは周囲の草木の中を素早く駆け抜けている。足音からそいつが巨体であることは間違いないが、それにしては考えられない速度だ。マナの気配も小さく分かりづらい。巨体の分際で気配を消している。
「ひっ」
少年がアルテにしがみつく。
「アルテ、俺から離れるなよ!」
ユウは黒剣を抜き構える。
緊張した面持ちで、アルテが少年を抱きしめる。
次の瞬間。
「……っ!」
暗闇の中で剣が火花を散らした。
「きゃっ!?」
その衝撃にアルテが小さく声を漏らす。
恐ろしい竜の爪を塞き止めたユウの黒剣が、激しく競り合い火花を散らす。
――こいつが……地竜……!
その様相は正に闇夜に溶け込む黒き大蜥蜴。黄色い眼光だけが暗闇の中で光り、長い尻尾が蛇のように畝る。
涎を撒き散らしながら地竜がまるで恐竜の様に吠えた。
「ッ……らぁっ!」
力任せに押し返しその爪を弾き返すと、地竜の巨体が地面に転がった。
その隙をユウは逃さなかった。
即座に踏み込み、マナブレイドによる二連撃で首筋を切り開き、腹部に刀身を突き立てた。
致命傷。数秒後にその命は無い。
しかし黒き地竜は死の直前、最後の断末魔を吐き出した。
歪な叫びが漆黒の森に響き渡る。
驚いたユウは即座に地竜から距離を取り、アルテを背にかばいつつ耳を塞いだ。聴力が良すぎるのも考えものだ。
断末魔はすぐに途切れ、地竜は力を失い目の前で果てた。
「くそ、ビックリさせやがって……」
「死んじゃった、の?」
「ああ。これが村人たちを食い殺して、その子供を追い回してた地竜だろうな。もう行くぞ。さっきの叫びで他の魔獣が……」
ユウが振り返ったその瞬間、アルテの背後から何者かの手が伸びていた。
背筋が凍り、反射的に身体が動く。
地面が爆発する程の踏み込み。異次元の剣速による抜刀。その斬撃が、アルテの背後に忍び寄った人影を追い払った。
「くそっ!」
アルテと子供を抱き寄せながら、仕留め損なった事実に歯を軋ませる。
「えっ、な、なに?」
アルテは未だに自分達が襲われたことにすら気づいていない様子だ。
ユウが叫ぶ。
「誰だ……!姿を現せ!」
すると少し離れた木々の合間から2人の人影が姿を現した。
一人は怪しげな黒い外套に身を包む長身の青髪男。もう一方はこれまた黒い外套に身を包む赤茶髪の少年だった。
異質。
その二人から放たれる雰囲気は正に異質そのもの。そして何よりも目に付く異質の正体。それは彼らの頭部から突き出た、まるで悪魔の如き二本の角であった。
ユウは直感した。彼らの正体を。文献でも読んだし、授業でも習った。
彼らは、
「魔人族……!」
「ほう、我らを知って尚も剣を下ろさぬか」
青髪の魔人が不敵に笑う。
魔人族は頭部に二本の角を持ち、高度な魔術やマナ操作に加え、獣人族に匹敵する身体能力を併せ持つと聞く。
嘗てはその力で世界を恐怖に陥れた恐るべき存在。普通の人間が彼らを見れば、恐怖に震え即座に逃げ出しただろう。
しかしユウは物怖じもせず、切っ先を彼らへと向けた。
「何でこんな場所に魔人族がいる。何が目的だ」
彼らの住む魔大陸はこのアスガラント大陸から大きく南に外れた位置にあり、現在は完全な鎖国状態だったはず。
この地に魔人族が踏み入ったとわかれば、世界各国が総出で潰しに掛るだろう。
「ふん、死にゆく貴様に話しても無意味だろう」
「なーハデル、さっさとこいつら殺しちまおうぜ」
赤茶髪の少年が腰から短剣を引き抜き、悍ましい笑みを浮かべた。
奴らの目的が何であれ、どのみち逃がしてくれる気は無さそうだ。
「アルテ、その子を守って離れてろ」
「う、うん……」
アルテが子供を連れて距離を取る。
――さて、勝てるかな。
魔人族は強く冷酷で残忍、出会ったら即座に殺せとベルザムには教わった。
殺られる前に殺るしかない。
ユウは自身のマナ抑制を解除。その全身にマナによる強化を施した。
「「……!?」」
その瞬間、二人の魔人の顔色が変わる。
「な、なんだ……この圧力……」
「この感じ……まるでイグナリオス様の……」
ユウは二人の動揺を見て不思議に思う。
――何だ……まさかビビってる……?
チャンスと見たユウは黒剣に高密度のマナを付与し、即座に振り抜いた。
「マナブレイド」
高速の斬撃が大地を抉り飛翔する。
二人の魔人が驚愕に顔を引き攣り、間一髪で左右に飛び避けた。
しかしその時には既に、彼は次の一手に出ていた。
「避けろぉお!ベートォオオ!!」
青髪の魔人が叫ぶ。
しかし、マナブレイドを飛び避けた赤茶髪の少年の着地地点には既に、先回りしたユウが黒剣を構えていた。
音すらも置き去る漆黒の剣撃が、辛うじて身を捩った魔人の少年の左腕を斬り落とした。
鮮血と共に魔人の腕が宙を舞う。
返す刃で再び彼の首を狙う。
しかし相手とて馬鹿では無い。痛みを堪えながら素早いバックステップで距離を取り、その先で膝を着いた。
「ぐっ……ぁああッ!」
「ベートッ!」
「……僕の、僕の腕が…………」
痛みを堪えながら悲痛な声を上げる魔人族の少年。
そんな彼を青髪の魔人が心配そうに気遣っている。
驚いた。彼らにも仲間意識や他人を気遣う心があるのだ。
――まあそんなの、知ったこっちゃないがな。
ユウは剣に着いた血を振り払い、ゆっくりと二人の魔人に近づいた。
「何だ、案外弱いんだな魔人族って。聞いてた話と違うじゃんか」
呟きながら歩み寄るユウの姿は、まるで死が迫る恐怖を彼らに抱かせた。
相手の力量を見て油断し始めたユウは、標的を前に立ち止まる。
「おい、もう一度聞くぞ。お前らの目的はなんだ。話せば命だけは助けてやるかも知れねえぞ」
すると片腕を失った魔人の少年が、
「ふっ、ふざけるなぁ!!誰がお前なんかにっ……殺してやるっ!!」
そう叫び手を翳した。
即座に構築され放たれた強力な火炎が、ユウの体を呑み込む。
がしかし、ユウの天恵による熱耐性〈火の加護〉と、その身を守る強力なマナガードがその火炎の一切を弾く。
更に、全身から放出されたマナの衝撃がそれをいとも容易く掻き消した。
「ば、ばかな……」
絶望した表情で少年が呟く。
「ま、喋んねーならもういい。ここで死ね」
冷徹な瞳。
再び輝く漆黒の剣。
その輝きが二人の魔人を照らしたその瞬間、
「やれ……!!」
青髪の魔人が叫んだ。
まさかと思い振り返ると、突如として上空から現れた巨大な翼竜が歪な咆哮を響かせた。
全長七メートルの体躯、緑の鱗、剥き出しの牙。
間違いない。村長の言っていたワイバーン。
落下する様に一直線にワイバーンの牙が向かう、その先は――。
「アルテッ!!」
ユウが叫び、走り出す。
アルテは子供を庇うように抱きしめたまま蹲り、ギュッと目を瞑った。
「……っ」
数秒後、ゆっくりとその目が開かれた。
その先には、巨大な竜の顎を両手で押さえ付けるユウの姿があった。
「ぐ……ぐっ……」
「ユ、ユウ君……!」
「う……ぉおおおっ!!」
ユウは腹の底から力を捻り出し、ワイバーンの顎を押し上げ、強烈に蹴り上げた。
爆発のような蹴りが、ワイバーンの重たい顎を弾き上げる。
そして彼はそこから更に踏み込み、その硬い頭部に右手を押し付け光を放った。
「マナ、ブラストッ……!」
強烈な爆発がワイバーンの顔面を吹き飛ばし、周囲に爆風を轟かせる。
風圧でアルテの長く美しい髪が靡く。
「すご……」
思わずアルテは呟いた。
見とれてしまった。目の前の彼が、まるで物語に出てくるヒーローの様に見える。
アルテの腕の中で、子供がはしゃぐ。
「すっごぉおい!!」
その声を聞いてアルテはハッと我に返った。
「アルテ!!」
突然、ユウは慌てた様子でアルテの肩を掴んだ。
「無事か!?怪我はないか!?」
彼の見慣れぬ様子に彼女は面食らう。
「え、あ、う、うん……」
それを聞いたユウは「はあ〜」と深いため息を吐いた。
「心配……してくれたの?」
「はあ?たりめえだろ」
「…………、」
「それより、くそっ……奴らめ……」
ユウは周囲を見渡し、舌打ちする。
あの魔人二人は完全に姿を消していた。もう姿を現すことはきっと無いだろう。
「とにかく今は村へ戻ろう。村人たちが心配だ」
ユウは剣を鞘に仕舞い、
「ほれ」
地面にへたり込むアルテに手を差し伸べた。
「あ、ありがと……」
アルテはその手にそっと掴まり、ゆっくりと立ち上がる。
そしてパンパンとスカートの土を払いながら、俯いてその表情を隠した。
顔が熱い気がする。なんだか目を合わせられない。
――なにこれ…………よく、わかんないや……。
アルテは何故か、今ここが暗闇でよかったと安堵するのだった。
*
王都南区と西区の丁度境目の辺り。街明かりから離れた薄暗い路地で、事は起こっていた。
小さな悲鳴を上げて、三人の兵士が力なく崩れ落ちる。
「これである程度の駒は揃ったな」
完璧に闇夜に溶け込むほど真黒な外套を纏う魔人族の男、クォレスはつまらなそうに地に伏す兵士を踏みつけた。
すると彼のすぐ側にいた魔人族の女、レジーナが問いかける。
「ねえ、ハデルから聞いた?」
「ああ。ベートがやられたそうだな」
「フフっ、聞く話によればかなり強いみたいじゃない。二人は仕返しする気満々みたいだけど」
「ちっ……バカどもが。我々の使命を忘れたか」
「んでもぉ顔見られちゃってるんでしょ?殺した方がいいんじゃない?」
レジーナは妙に色っぽい仕草で顎に手を添える。
「一度敗れた相手だろう。深追いすればより厄介なことになりかねん。それよりも優先すべきことがあるというに」
「ま、私はどっちでもいいけど。二人が死んじゃったら色々とまずいんじゃない?どうする?」
「…………私は予定通り計画を進める。レジーナ、お前は二人を手助けしろ」
「ふふっ、了解」
「ただし、深追いはするな。ここで我々の存在が知れ渡れば計画は破綻する」
「は〜い、上手くやるわ。それよりも……」
レジーナはその赤い瞳を、暗がりで息を潜める男に向けた。
「そっちのお客さんの相手が先かしら」
存在を気取られた。
建物の影に身を隠していたオルドラゴの背筋に悪寒が走る。
恐怖に身体が支配され、真っ先にその場から逃げ出そうと振り返ったその先に、
「……っ!?」
既にクォレスは回り込んでいた。
「がはっ……!?」
ただの一撃で、二メートルを超える巨漢が倒れ伏す。
あまりの衝撃と激痛に顔を顰め、喉から呻き声を吐き出した。
震える体を、クォレスが容赦なく踏み付け嘲笑う。
「丁度いい。貴様も使ってやる」
言葉の意味が理解出来ず歪めた顔をゆっくりと見上げると、レジーナが目の前で膝を着き、恍惚とした表情を浮かべて笑った。
そして、
「絶対服従の印をあげるわ」
そう告げた彼女が細い指先をオルドラゴの額にあてがい、長く伸びた爪先から悍ましいマナを放つと、オルドラゴは糸の切れた人形様にパタリと力を落とした。
「ふふふっ、これであなたは私のペット……」
レジーナは指を加えながら頬を染めて不気味に笑った。




