第6話 忘却とは忘れ去ることなり
女神の元を離れた俺は、再び盲目となってしまっていた。彼女の好意で貰った枝を杖にして、示された方へ歩いていた。
そんな俺に突然声がかかる。聞き慣れた職場の後輩、梶本だった。どうやらこの世界に飛ばされたのは俺だけでは無かったらしい。
正直梶本と会えた事は純粋にうれしい。だが、いなくてもいい奴ら、むしろいないで欲しかった連中までいてしまった。何の悪夢だ、これは?
それにしても気になるのは、梶本とその他大勢は、皆一緒におじさんの神から説明を受けたという。なぜ俺だけ、ポンコツ女神だったんだ? しかもお茶を飲みながらというやや特別待遇のような扱いを受けた。
別に盲人だからと別待遇する理由も無いだろうし。なぜ俺だけ違ったんだ? 解せぬ。
「先輩、ボクの肩使ってください」
そう言うと梶本が俺の直ぐ左手に立つ。
「すまんな、助かるよ」
そう言って俺が梶本の肩に手を置こうとした時、突然その手をはたき堕とされた。
「あのさあ、人を散々待たせておいて、まだ人に迷惑かけるわけ? 一人で歩けないなら来なければいいんじゃない? 邪魔だし。人に迷惑かけなきゃ生きてけないような無能は隔離すればいいのよ。まったく最近の世の中は、人権がどうとか甘い事ばかり言ってるからこんな無能がつけあがんのよ」
うちの部署のクソ女だった。主任以上に性格が悪く、常に人の悪口や他人を貶める嘘ばかりついている嫌な女だ。
人の見た目をどうこう言うのは良くないが、俺個人の経験上、度を越した性格の悪さは顔に出る。十年前に見た記憶だが、ギョロ目のブタ面ブサイクな女だったはずだ。
名前が[奥]だった事から、若手の職員に陰で[オークさん]とか呼ばれていたな。
当然俺を目の敵にしている。障害者が同じ職場にいて、給料貰ってるのが気に入らないらしい。但し、頭はすごぶる悪いので、まともな人間にはこいつの付く嘘は直ぐにバレるのだが、それがわからないのがうちの主任たちである。
「ああ、まったくだ。梶本、お前はそんな無能の相手なんかしてないで先導しろ」
「でも、それじゃあ先輩がーー」
「そんなもんは他のやつにやらせとけ」
また始まった。こいつらは、誰かが俺に構うのが気に入らないらしい。自分たちの嫌がらせが最も効率よく俺を苦しめていないと気が済まないらしく、梶本たちが俺を助けようとすると必ず邪魔をする。
梶本以外にも俺を気遣ってくれる奴はいるのだが、こいつらに露骨に嫌がらせされるので、だんだん離れて行った。まあ、誰だって自分が可愛いさ、それでも俺に構ってくる梶本のほうがどうかしているんだろうよ。
「先輩、気を付けてください」
すまなそうな声を出す梶本。頭を下げる気配がする。
「気にすんな。まずは自分が無事でいられるように動けよ。下界には魔物とかいるらしいからな」
「えっ、何ですか、それ。そんなの聞いてませんよ。女神さまが教えてくれたんですか?」
「ああ、聞いたらいろいろ教えてくれた。獣人とかもいるらしい。あと魔法もあるそうだぞ」
「おお、凄いっすねエ。やっぱりこれ、異世界召喚なんですか?」
嬉々として語りだす梶本。そういやこいつもそういうの好きだったか。
「おい、何そんな奴と喋ってんだ! 速くいけ」
そして一行は歩きだす。梶本が俺を気遣いゆっくりと歩こうとするが、下衆がそれを許さない。むしろ速足で歩かせる。
俺への嫌がらせが先立って、自分の体力のなさを忘れているらしい。
しかも、聞こえよがしに悪態をついている。
「まったく何であの無能だけ特別扱いなんだ。どいつもこいつもわざわざ構うから、ろくに車も運転できないような無能が勘違いして俺たちと対等なんて寝ぼけた事思い込むんだ」
「何よ女神って。あんな無能に教えて何の意味があんのよ! だったら私たちに情報渡すべきでしょう。本当に優秀な人間が損をして、あんな障碍者如きが養護されるなんて社会、間違ってんのよ」
はぁ? 優秀ってお前らの事か? 何をどう贔屓目に見たら、あの声がでかいだけが取柄の嘘付き女や、上にはひたすら媚びながら、部下の成果を横取りする事しか能のないクズ主任が優秀に思えるんだ? 自己採点甘すぎるとかいうレベルじゃねえぞ!
元々、性格最悪の上、口先だけの無能だったこいつらが、俺をターゲットにしたのには理由がある。別に俺が優秀だったからじゃない。俺も大した事はない。こいつらよりはましだっただけだ。
俺は生まれつき目が見えなかったわけじゃない。中途失明だ。元々視力は弱かったが、四十代になって急激に低下した。医者にも理由はよくわからないようで、治療より今後を考えるよう言われた。
その先は転がるように進行し、数ヵ月で全く見えなくなった。
普通はそれなりの施設などに厄介になるのだろうが、俺は弱視が長かったために、ある程度盲目での生活の知識があったため、そのままの生活を続けた。独り身だった俺だが、実家に帰れば両親もいたが、ド田舎すぎて出歩けなくなるのを嫌がって、都会での一人暮らしを続けた。
問題は仕事だ。大学卒業後務めた職業は、目が見えなくてもかろうじて行えるものだった。現代はいろいろと障碍者補助のアイテムが充実しているし、PCも音声サポートがある。当然効率は下がるが、やれないわけじゃない。
当時上役だった人にも理解者がいたため、そのまま職場に残る事にした。
そこでイキリ出したのが、あいつらだ。格好のいびり相手だと思ったのだろう。随分と役立たず扱いされ、職場に不要どころか足手まといだ、迷惑だと聞こえよがしに言われたものだ。
だが、仕事の効率が悪くなったとはいえ、これまで培った経験やスキルがある。散々バカにしていたあいつらより、俺の出した結果が上だった。それからだ、嫌がらせを越えて、悪辣な嘘を広めたり、わざとぶつかるような真似をし、(無能がいると周りの職員が危ない) と被害者ヅラをしたりと目に余る行為に出だしたのは。
目が見えないとわからないと思っているようだが、見えなくてもわかる事は意外に多い。廊下を歩いていた相手が、いきなり進路を変え、ぶつかってきたり、歩いている俺の足元に物を置いたりすれば、さすがにわかる。
考えてみて欲しい。
目の見える者と見えない者が正面衝突して、見えてる方が被害者ぶるのがいかに滑稽かを。
まあ、そんな毎日が始まったのが十年前だ。
多くの職員が、彼らの悪辣さを知りながらも、徐々に離れていった。俺を手助けしようとした者にも、嫌がらせをするのだ。やむを得ないだろう。
それを責めるつもりはない。ただ辛かったのは、離れた者の多くが、加害者に変貌した事だ。中学生レベルのイジメの実態が垣間見えた。
梶本のような奴はむしろ変わり者なのだろう。強いやつだと思う。
仕事を辞めるという選択肢はいつも念頭にあった。だが、それは負けた気がして選べなかった。あの連中が喜ぶ事をしてやる気にはなれない。意地だった。
だから女神が現れた時、内心ホッとしていた。これであの地獄のような毎日を終えられる。逃げたんじゃない、超常現象なら仕方がないと。
例えこのよくわからない世界で死ぬとしても、こちらの方がましに思えた。
忘れよう。今までの事は全て忘れて、これから新しい人生を始めようと。
だが……、まさかこんなとんでもファンタジー世界にまでこいつらがいるとは。世界は悪意に満ちている。どうやら嫌な想い出は忘れさせてもらえないらしい。
『忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ』 どこかで聞いたフレーズが胸を刺す。古いドラマだったか。勿論現役で見たわけじゃない。以前古い映画やドラマにハマった事があったんだよ。
まあいい。ここは異世界らしいからな。今までの人間関係は意味をなさない。前の世界で上司だ、それがどうした。戻れないなら意味はない。人里に着いたら別行動をとればいい。一人になるのは不安だが、あいつらといるよりはましだろう。
梶本が傍にいてくれたら心強いが、今まで散々助けられたんだ。そろそろ解放してやらないとな。他人を助けながら生きていけるほど、この世界は甘くないだろう。
連中がどうなろうが知った事じゃないが、梶本には生き延びて欲しいってのが俺の本心だ。
前を歩く連中の足音と気配を頼りに歩いて行く。先行者に着いて行けば何かにぶつかる心配はない。露骨に前で立ち止まったりされなければ、の話だが。
それでもやっぱり歩行スピードは遅い。故意に速足で歩いている連中に着いて行くのには限界がある
。徐々に遠ざかって行く足音に思わず溜息を付きながら俺は歩を進めていった。




