第14話 明かされた過去
深夜の一室。アレクサンドラの昔語りが続いていた。
「それから私は多くの事を知りました。ここが神と呼ばれる上位存在が治める地であること。私のような存在は、神々に精霊と呼ばれていること。神々が定めたルールがあり、それに背くと罰が与えられるということ。そして、私はこの世の全てを知ることを望みました。新たなる知識を得ること、学ぶことに無上の喜びを感じたのです」
月明りに照らされた静かな部屋には、アレクサンドラの美しい声だけが彩をそえていた。
「いつしか私は神々より【知の大精霊】と呼ばれるようになっていました。神樹に触れた私は、普通の精霊よりも一段上位の存在とされていたのです。そして、危ぶまれてもいました。神は精霊が過ぎた知恵を持つ事を良しとしなかったのです。それゆえ、何度となく警告を受けました。特に神やこの世界の成り立ちについて知ろうとしてはならないと。そして、神樹には近付いてはならないと」
ここで彼女はカップに口を付ける。俺が話の内容を理解し、頭の中を整理する時間を取ってくれているようだな。正直、助かる。どう理解していいのか、俄には判断しかねる内容だったからな。
俺もまた一口飲み、カップをテーブルに戻して続きを促す。
「私の中に芽生えた知への探求心に対する神々の危惧は、的を射ていました。私の中の欲求は日に日に増大していったのです。そしてもはやそれを抑える事ができなくなっていました。私は神々の禁を破り、再び神樹の元にやって来ていたのです。あの時の衝撃、もう一度触れれば。そうすれば私は全てを知る事ができる。私の中で膨張した昏い渇望は、もはや抑える事のできないほどに大きくなっていました。そして遂に私は触れてしまったのです」
息をのむ俺。アレクサンドラの瞳からは、何も読み取る事はできない。
「気付いた時、私は神々の前に居ました。居並ぶ神々から伝わる感情は様々でした。怒り、憤り、呆れ、憐れみ。そしてその時、私は初めて事の重大さに気付きました。そして恐怖したのです。全てを失うと。これまで得てきた知識、学んできた事の全てを失うのだと。だが遅すぎました。警告を受け入れなかったのは私なのです。神は己の意に反した存在を決して許しません。それもまた、私の学んだ事でしたから」
坦々と話すアレクサンドラ。しかしその声には、自嘲や悔恨という複雑な感情が隠されているように俺には想えた。
「そして神々の審判が下されました。完全消滅。それが私に下された罰です。私は全てを失うのです。ですが私には慈悲を乞う事も許されません。全ては自業自得なのですから。私はそれを受け入れようとしました。ですが、その時、疑問が生じました。なぜ、私は神を名乗る者どもに裁かれねばならないのか? そもそも知を求めてはならないのなら、なぜ私に探求心というモノがあったのか? なぜそれが罪だというのか? これまで神の語る事は絶対であり、そこに疑問を挟む事すら許されぬ事と、私は当然のように考えていました。ですが、己が消えると意識した時、その全てが受け入れ難い事実として私の心に溢れたのです。そもそも神とは何か? なぜ神は全てを決めるのか? なぜ私は神により消滅させられなければならないのか? その疑問が興った瞬間、私の中に探求心以外の感情が宿りました。怒り、悲しみ、悔しさ。そして自分の感情に気付いた事で、さらなる疑問が生まれました。私とここにいる神々にどのような違いがあるのか? 精霊と神は何が違うのか? と」
「それはまずいな。そんな疑問を持つ事すら、神は許すまいよ」
聴き入っていた俺は、思わず口を挟んでしまう。
「はい、私がその疑問を表す前に、神々はその事に気付いたようです。これまで呆れや憐れみの感情を向けていた神ですら、皆激しい怒りの感情へと変貌しました。そして刑が執行されました。私は消える! 全てが消える! 何もかもが無駄になる! そう思った時でした。一柱の神が声を上げたのです。そして私は気付きました。全ての神が激しい怒りを向ける中、その神だけは何か別の感情を私に向けているという事に」
アレクサンドラは静かに目を瞑る。遠い昔を思い出すように。
「その神が向ける感情が何であったのか? それは未だにわかりません。ただその神は静かに、ですがはっきりと言ったのです。『生ぬるい!』 と」
そこまで言って、一度言葉を止める。
「生ぬるい?」
あまりに意外な言葉に、思わず聞き返す俺。アレクサンドラは真剣な面持ちで、静かに頷いた。
一瞬、沈黙が場を支配する。
「その神は続けました。『禁を犯しただけならば消滅で済まされましょう。しかし知の大精霊は我ら神々と己を同格と考えるという、許されざる傲慢にその身を染めました。もはやそのような罰では許されようもありません。今後、同じ過ちを犯す者を出さないためにも、もっと重い罰が必要でしょう。そして、知を司る者にとって最も厳しい罰は、知を奪われること。そして二度と知の真髄に近付けぬ状態で存在し続けること、でしょう』 と」
語るアレクサンドラは、ただ無表情で、その顔からは怒りも悔しさも見て取れなかった。いや、むしろそれを懐かしむような雰囲気すら感じさせていた。
「そして私は神界を追われ、魔界に堕とされました。神界で得た知識、神樹に触れ知った真理、その全てを奪われ、二度と神界へと戻れぬ刻印を魂に刻まれて……」
……アレクサンドラはその神について、何も言っていない。彼女に消滅以上の苦しみを与えよと提言したその神の事を。
だが、俺の脳裏には浮かんでいた。懐かしい、あの微笑みが。
だって、これ以上なくあいつらしいじゃないか、このやり方は。知識を奪われる事も二度と真理に近付けなくされる事も、それを何より望む者からすれば、死よりも苦しい事だろう。だが、生きてさえいれば、消えずにさえいれば、いつかまた新たな真理へも到達できよう。自分一人が憎まれ役を演じて……。例え、後で真実に気付いた同輩たちの怒りを買うとしても……。純粋過ぎる望みの結果、罪を犯してしまった精霊に、未来を残す道を与える。いかにも、あの不器用で優し過ぎる女神様らしいじゃないか。
俺と記憶を共有した彼女は知っている。俺が神界で出会った女神のことを。その姿を。
ただ黙って俺を見つめるアレクサンドラ。おそらく彼女は俺と同じ結論に達しているのだろう。
「まったく、忌々しい女神です。本当に……忌々しい」
ただ、そう呟いた。
俺の胸中に、懐かしさと愛おしさが込み上げ、目頭が熱くなる。アレクサンドラは新しい紅茶を用意し、空になった二人のカップに注いでいた。
「俺はポンコツ女神のお節介の結果、今ここに居る。そして、魔王としてお前とこうして語り合っている。まったくどこまで見越していたんだろうな、あの女神様は……」
俺の呟きに、彼女は応えない。ただ黙って目を閉じただけだった。
アレクサンドラの話は続く。舞台を神界から魔界に移して。
「その後の私は、魔界を漂っていました。肉体を持たない精霊として。どれだけの時間漂っていたのかはわかりません。ある時、遠くで激しい感情の爆発が起こった事に気付き、それに引き寄せられるように近付いて行きました。そこで私は見たのです。地に倒れ伏した一人の娘と、その横に立ち、空を揺るがす程の激しい感情を爆発させる一人の魔人を」
アレクサンドラが、俺の瞳を見詰める。これまでとは違い、その瞳には微かな輝きが宿っているように感じられた。
「その魔人の名はラングリード。魔界の若き王子でした。そして倒れた娘は彼の妹姫、その名はアレクサンドラ。私の半身です」
彼女は自分の身体を抱き、溜息をついた。
「その娘は既に息絶えていました。そしてその身体から離れた魂もまた、兄同様、激しい感情を爆発させていたのです。私はその激し過ぎる感情に強く惹かれました。これまでにこれ程の強い感情を知らなかったからです。そして私はその魂に触れました。そしてその魂からは、彼女の記憶、そして切なる願いが私の中に流れ込んできたのです」
アレクサンドラは、アイツの妹? しかも、死んだ……。どういう事だ?
「それは許されざる罪の記憶。彼女は実の兄を愛してしまっていたのです。それは魔界においても決して許されざる罪。特に強い力を持つ上位魔人がこの禁を犯し交われば、何が起こるかは誰にもわかりません。彼らの父たる魔王は、その強大な力に反し、臆病で猜疑心の強い小者でした。ゆえに強大な力を持つ子が生まれ、自らの地位を脅かされる事を恐れたのです。勿論彼女は過ちなど犯してはいません。ただ胸の中でそっと恋心を募らせていただけです。ですが彼女はその秘めた思いを、信頼する侍女に漏らしてしまったのです。その侍女が、臆病な父が送り込んでいた間者だとも知らずに……。そして彼女は激怒した父により殺されました」
アレクサンドラは何かに耐えるように、テーブルに置かれたカップを見詰めていた。
「彼女の魂が放つ感情は怒りでも悲しみでもありませんでした。恐怖、兄の傍に居られなくなる事への恐怖、この想いが消えてなくなる事への恐怖。そして彼女の魂と私は強く惹かれ合いました。純粋なる穢れた望み。それを否定され奪われ、存在を消される恐怖とやるせなさ。まさしく彼女は私で、私は彼女でした。そして二つの魂は混ざり合い、融合し、この肉体に再び宿りました。その瞬間、【知の魔女アレクサンドラ】が生まれたのです」
アレクサンドラは目を瞑り、右手を自分の胸に当てていた。
……アレクサンドラが、知の第精霊でアイツの妹! 神界からも魔界からも、願いを、魂からの望みを、否定され、存在を許されなかった者、か。
「それで、魔王は? お前の父親、でいいのか? そいつはどうなった?」
「殺しましたよ。確かにあれは私の父で間違いありません。私はアレクサンドラですから。ですがあのような小者に王たる資格はありません。玉座には相応しき者が座るべきです。私は先代ラングリードの家臣として生まれ変わりました。ならば、わが君を玉座に押し上げるのは臣たる者の務め。わが君もまた、現魔王にその資格無しと判断されました。ゆえに謀反を起こしました。そして多くの者が真の魔王を望み、ここに【魔王ラングリード】が誕生したのです」
アレクサンドラは誇らしげに胸を張った。まるで、とっておきの自慢話をする幼い少女のように。
「そうか、それが先代とお前の物語か。すまんな、無理矢理話させたみたいだ」
「いいえ、いずれ話す事は先代様からも許しが出ていました。私が話すのを躊躇っていたのです。どうかお許しください」
アレクサンドラが頭を下げる。
「詫びるような類の事でもないだろう。気にする事はないさ」
「ありがとうございます。……フフフ、『主を謀ることは許されぬ『 あの娘のことをとやかく言えませんね。この罪は、生涯をかけた働きにて償わせて頂きます」
気が付けば、窓の外はうっすらと白み始めていた。もう、夜が明ける。随分と長く話していたようだな。
席を立ち扉に向かう。扉の前で立ち止まり、振り返って背後にいるアレクサンドラを抱き寄せ、口付ける。
彼女はそっと俺の背に手を回し、それに応えてくれる。その唇には、初めて彼女の積極的な感情が感じられた気がした。
彼女を解放し、扉を開ける。背後で魔法が唱えられる。
「エアブレッシング! フフフ、オオカミの鼻は侮れませんからね」
悪戯っぽい笑みを浮かべた魔女は妖艶で、とても愛らしかった。
◇ ◇ ◇
既に明るくなり始めた自室に戻り、ベッドに潜り込む。
隣のリュミネリアは、眠っている……、フリをしていた。狸寝入りならぬ狼寝入りか?
ごめんな、リュミ。この償いは必ずするから……。
彼女の髪の毛をそっと撫ぜ、耳元で(おやすみ) と告げてから、俺は意識を閉じた。




