第13話 巣立ちの前に
リュミの機嫌を取る……もとい、円滑に旅するには、料理はかかせない。
だが俺は新たな料理を生み出せるような料理人じゃない。だから日本で俺が好きだった料理を再現するため、いろいろな調味料の制作を試みている。
ちなみに、定番のマヨネーズはまだ作っていない。
以前フランス料理のシェフやってた呑み友達が、(最近の異世界モノのラノベはすぐに素人が異世界でマヨネーズを作る。ちゃんとマヨを作るのはプロでも難しくて、そもそも脂を攪拌するのも困難だ。ちょっと家で料理してた程度の学生やサラリーマンが簡単に作れるわけがない。あいつらが作れたのは、日本の質のいい卵と脂と酢を材料に、日本の高性能な器材を使って作ったからだ) と熱く語っていた。
まぁ、フィクションだから、と宥めておいたが、彼もプロとして一家言あったのだろう。
そういや、仕事で知り合ったカナダ人が、(日本のマヨネーズは世界一おいしい) とか言ってたな。海外ですらそうなら、異世界の食材を使って、日本人のイメージするおいしいマヨネーズを作るのは至難なんだろうな。
俺はそもそもマヨラーじゃない。あればたまに使う程度で、どうしても欲しくなるのは、お好み焼き食べる時とたまごサンド作る時だけだったからな。
まぁ、気が向いたら挑戦してみてもいいかもな。
◇ ◇ ◇
それから数日、俺は料理の仕込みと[創造錬金]の練習に明け暮れた。
基本、冒険者として生計を立てるつもりだが、よくわからない世界で生きていくのが楽なわけがない。稼げる手段は幾つか用意しておきたい。
リュミもいるからな、ひもじい思いはさせたくない。(この甲斐性なし!) とか言われて捨てられるのは嫌だからな。……捨てられないよね?
治療薬は[Lポーション][Mポーション][解毒薬」がそれぞれ100個50個50個できている。俺もリュミも回復は魔法で行うので正直全く使っていなかった。
実験の結果、[Lポーション]は[ライトヒール]の70%程度、[Mポーション]は[ヒール]の70%程度の回復力は持っているようだ。と言っても、魔法事態が術者の魔力やレベルに左右されるので、あくまで当社比だ。
これがいくらで売れるかわからんが、売れないって事はないだろう、多分ね。
宝石類も[創造錬金]を使えばカッティングもアクセサリー化も可能だ。だが俺のセンスがこの世界で受け入れられるかどうかはわからないから、殆どは原石を磨いただけで止めている。価値が下がったら嫌だからな。
成功よりも、まずは失敗しない事を念頭に置いて行動する俺。フン、臆病者と笑わば笑え!
おい、今笑った奴、顔覚えたからな!
それと、人間界の貨幣価値についても学んでいる。
世界は広く、大国や商業共同体などで独自の貨幣を発行している場合もあるそうだが、基本的には商業ギルドといくつかの大国、金銀産出国が共同で価値を保証している共同通貨が存在しており、ほぼ全ての国で同一の価値で取引されているそうだ。
固定為替相場とは少し違うんだろうが、世界を股にかける(予定)ならありがたい話だ。
まぁ、俺には常に先制がいらっしゃるから困らないけどね。
共同通貨を簡単に説明すると、最小通貨は[鉄棒]で、これは長さ10cmくらいの鉄の棒で、日本円で10円くらいの価値だと思う。
この[鉄棒]が10本で[銅貨]1枚。[銅貨]10枚で[大銅貨]1枚、1,000円くらいの価値だ。街の食堂や酒場ではこれらで事足りる。というか、これ以上の価値の硬貨を出したら迷惑がられるそうだ。
昔、お忍びで街に出た世間知らずの王子様が、場末の酒場で[金貨]を出して、大騒ぎになった事件があったらしい。あるあるだよね。
そして、[大銅貨]10枚で[銀貨]1枚、[銀貨]10枚で[大銀貨]1枚、10万円ってところか。田舎の村人や下層民はここら辺までしか見ずに生涯を終えるそうだ。
[大銀貨]10枚で[金貨]1枚、[金貨]10枚で[大金貨]1枚、1千万円。
ここまでくると、もう王族や貴族、大金持ちや商会同士の取り引きくらいでしか使われないそうだ。
後は[大金貨]10枚、1億円の価値がある[白金貨]というのがあるらしいが、これは大国の国王や大富豪が見栄と自尊心の為に持つもので、現実には使えないらしい。これを両替するには、商業ギルドに申し込んで、許可が下り、実行されるまで、場合によっては数年かかる事もあるそうだ。
使えない金なんか持ちたがる奴の気が知れんな。
まぁ、何にしろ、旅立つ前にある程度の常識は得られたつもりだ。
そして最後に俺は、旅立つ前に済ませねばならない最後の案件に取りかかる。
そのために、リュミには、先代と打ち合わせをするから……と、先に寝るように言い聞かせておいた。
すまないな、リュミネリア。この償いは必ずするよ。
◇ ◇ ◇
深夜の一室、蒼い月光が窓から差し込み、灯りの消された部屋を淡く浮き上がらせていた。
今、俺はアレクサンドラの寝室のベッドに身を沈めている。
俺の右腕に頭を乗せたアレクサンドラは、人間界の歴史や現在の社会体制などについての講義を行ってくれている。勿論、二人とも無粋な服など着ていない。一枚のブランケットだけがお互いの裸身を隠している。
知的な美女とベッドの中でお勉強。遂に夢が叶ったわけだ。
こうなった過程は詮索するなよ。野暮ってもんだぜ!
甘い髪の香りが俺の脳髄をトロけさせていく。美しい声が耳にくすぐったい。暖かく柔らかい肢体が俺の武骨な身体に、絶妙な重みをかけている。
全身の気怠さと身を震わすような征服感の中、俺は少し眠っていただろうか?
彼女の艶のある黒髪を右手で弄び、そして俺は切りだす。
「お前は一体、何者なんだ?」
一瞬、息を呑む気配がし、次いで溜息を漏らし、そして優しく笑う。
「どういう意味でしょうか? 私はラングリード様の忠実な僕、アレクサンドラですわ」
クスクスと笑いながら、漆黒の瞳が俺の顔を覗き込んでくる。
「お前はいつから先代魔王に仕えている? どのようにして臣下になった?」
「……嫌ですわ、ラングリード様。もしかして私などに妬いてくださっているのですか? 私は幸せ者ですね」
目を伏せ、左頬を俺の右胸に押し付ける。何とも艶のある仕草だ。
「よせ、俺の言いたい事はわかっているはずだ。初めてこの城に来た時、俺はここに至るまでの事を話したな。神界で女神と会った事も。お前が汚らわしいと言った女神に……」
彼女は黙って聴いている。瞳は俺の視線から逸らされていた。
「お前からは、その女神と同じ匂いがするんだよ。魔王の腹心であるお前からな」
「……女神とも、こういう関係になられていたのですか? 妬けてしまいますわ」
「だったらお前は知っているはずだろ。俺の記憶を共有しているんだからな。匂いと言っても物理的なものじゃない。俺もお前と繋がったおかげで、お前の魂をも感じる事ができるようになっている。そして、魔族であるはずのその魂からは、神界と同じ波長が感じられるんだよ。これはどういう事だ? お前は……、神に属する者なのか?」
薄暗い寝室を、沈黙が支配している。細くしなやかな指が俺の胸の上を所在無げに彷徨っていた。
「……長い話になります。聞いて頂けますでしょうか?」
アレクサンドラはブランケットをまくり、俺の上から身を起こす。形のいい双丘が、重力に抗い、その存在を誇示している。
彼女はベッドを降り、こちらに背を向け数歩進む。
長い黒髪が首から腰までを隠し、美しく形のいい臀部の曲線とそこから延びる長い脚が俺の目を釘付けにしていた。
彼女は、徐に右手を軽く振ると、次の瞬間には、いつものローブ姿になっていた。着替えも魔法とは、さすが魔女だな。
残念だ。イイ女が下着を着ける姿というのは、外す姿以上にソソるもんなんだがな。
俺もベッドを出て服を着る。滑るように近付いて来たアレクサンドラが、そっと着衣を手伝ってくれる。
いいものだな。俺もくだらない意地を張らずに血痕していれば、毎朝こんな幸せな思いができたのだろうか? 今更のようにそんな考えが頭に浮かんだ。
◇ ◇ ◇
寝室のテーブルには、アレクサンドラが入れてくれた紅茶が湯気を立てていた。
一口飲む。熱過ぎもせず温すぎもしない、絶妙な温度だ。まったく出来る女というものは、何でもそつなくこなすものだな。出来ない事など無いんだろう。
そして、彼女が話し出す。魔女アレクサンドラの成り立ちを。
「遠い昔、もはやどのくらいの時を遡るかすらわからない昔、私は後に神界と呼ばれるようになる世界の大気の中を漂っていました。いや、そもそも大気、その空間と私の間には境などなく、区別もありませんでした。気の遠くなるような長い時間が流れ、ある時、私は自分を認識している事に気付きました。突然自我が目覚めたのです」
彼女は真っ直ぐ俺の顔を見ている。偽りを混ぜない事を俺に伝えようとするかのように。
俺も彼女の深い漆黒の瞳を見詰め返す。全てを受け止め、受け入れるという想いを込めて。
「なぜ自分が生まれたのか? すぐに理解できました。そこには他の全てを圧倒するような強大無比な何かが存在しており、そしてそれに触れた時、己に自我が目覚め、周囲と切り離されたのだと。この時の衝撃は決して忘れられません。個というものを認識し、ゆえに他というものを理解し、世界という概念を知り、全てが鮮やかに色を着けたのです。そして私は認識しました。私を個たらしめた存在を」
彼女は一息ついた。そして続ける。
「それは光輝く眩しい何かでした。ありとあらゆる世界の中心、この世に存在する全ての理と力の源。あらゆる存在がここより始まった、そう確信させられるほどの無限の波動。そうとしか表現できず、そしてどのような方法でも表現しきれない、そんな圧倒的な存在感。その一端に触れる事で、私は生まれたのです」
俺は呼吸を忘れて聴いていた。
「そして、その光は形を持ち始めました。その姿は、世界の全てを覆えそうな巨大な樹木。輝く枝と光る葉を持つ神々しい大木の姿に」
彼女はそこで一旦、間を取る。
……。おいおい、何か話が壮大になってきたな。どう理解したらいいんだ? 世界の根源の大樹? 【ユグドラシル】とか【セフィロトの木】とか、そういうヤツか?
元世界では世界中に、そういう世界樹的な伝承や神話があった。どう考えても影響を受け合ったとは思えない各所で、似たような神木が語られていた。そしてこの世界にも……。
俺は忘れていた紅茶を飲む。少し冷めていたが、混乱した頭を鎮めてくれた。
そしてアレクサンドラの昔語りは続いていく。窓から差し込む、蒼白い月明りだけが、俺と彼女を静かに見詰めていた……。




