第9話 遅すぎた邂逅
魔王と出会う前に辿った経路を、俺は急ぎ足で進んでいた。なぜこんなに胸が騒ぐのだろうか? とにかく急がないといけない気がする。
昔から嫌な予感だけはなぜかよく当たるんだよな。こんなもん当たるくらいなら、宝くじにでも当たりたかったぜ。
そうだ、この辺りで休憩したはずだ。この梨モドキの木が乱立している林。あった! 石が矢印型に並べてある。休憩する時、方向を見失わないよう記した後だ。こっちに進んだのか。
何でこう俺は険しい方へばかり進んでいるんだ? 方向音痴のスキルでも持ってたのか?
一息付きながら、周囲の梨モドキや瓜モドキをいくつかもいで収納しておく。そしてまた歩きだす。
扉を閉めた辺りから、妙に胸が騒ぐ。何だこの感じ? (もう遅い!) (もう間に合わない!) ……。(あと少し早ければ!) (昨日のうちに会いに行っておけば!) 俺の人生には、そういう事が何度もあった。その時のやるせなさ、激しい悔恨、それが今、津波のように押し寄せて来ているような心持になる。
なぜだ? なぜ急ぐ必要がある? そこまでする理由があるのか? だって今俺が気にしているのは、あの時岩の隙間で唸っていた、ただの小動物だぞ。俺の指を噛んだ狸か猫か、いや魔獣だったのかも知れない。そいつがどうしているか、扉を閉めに来た序でにちょっと覗いて行こうと思ってただけだ。ただそれだけだ。
遅いって何だよ! 何に間に合わないんだよ! 例え、例え死んでたとしても、それは自然の節理だろう。そこに責任を感じるのは筋違いどころか思い上がりもいいところだ。そんな事はわかってる。わかってるけど……。足が、鼓動が、止まる事を許してくれない。
そろそろのはずだ。野宿したあの岩場。林が続いていたのに急に岩場が現れた辺り。そう、こんな感じの……、あった! ここだ。俺が食べた果物の皮が落ちている。ならあの岩は……、これだ、この岩の隙間。中には何もいない。あっ、でも食べた跡がある。穴の中に瓜モドキなどの皮や種が落ちていた。
そうか、ちゃんと食べてくれたのか。で、どこへ行ったんだ?
周囲を探してみる。ここが巣穴なら近くにいると思うが、いや俺のせいで巣を替えたか? 無事ならそれでいいんだが。
そう思った時、視界の隅に黒いモノを捉えた。確認すると、それは血痕! しかもまだ固まっていない。
周囲を警戒する。すると少し離れた所にも血の跡がついている。
血痕を辿るように追いかける。するとすぐに何かの唸り声が聞こえた。
思わず走り出す。そこで俺が見たモノは、大型犬サイズの魔獣とその前で倒れている血まみれの幼い子供だった。
魔獣は今まさに食らいつこうとしているところだ。
「待て!」
考える暇もなく、剣を抜きながら走り寄る俺。理屈など関係ない! 目の前で子供が食われそうになってるんだ。魔獣にだって生きる権利が、だぁ? 知るかっ、ボケ!
俺は勢いを止めずに魔獣に斬り掛かる。血飛沫が舞うが、仕留められていない。
魔獣は突然の横槍に一瞬戸惑うも、すぐに体勢を立て直し、こちらに跳び掛ってきた。俺は剣を腰溜めに構え、正面から突っ込んでくる魔獣の喉を突く。
剣先が皮を裂き、肉に喰い込む感触が手に伝わり、骨を砕くのがわかった。それで魔獣は動かなくなる。
ドサッと魔獣が地に落ちた時、鎧の胸部に爪が刺さっていた事に気付く。防具着けてなかったら……。背中を冷たい汗が流れる。だが、今はそれどころではない。
俺は血塗れでピクリともしない子供に駆け寄り、抱き起こしながら声を掛ける。
「オイ、しっかりしろ。大丈夫か?」
だが、その子供はぐったりしたまま目を開けない。そうだ! こんな時の魔法だ。
「ライトヒール!」
薄緑色の光が小さな身体を包む。10歳くらいか? もっと下か? 小さくて痩せ細った身体からは、徐々に温度が失われていく。
間に合うのか? 助けられるのか?
「ライトヒール。ライトヒール。ライトヒール……」
俺はとにかく回復魔法を掛け続ける。それでも血は止まらない。回復よりも命が抜け出て行く方が早い。初級魔法じゃ追い付かない。このままでは時間の問題だ!
また、間に合わなかったのか? 見つけられたのに、手が届いたのに、またこれなのかよ!
そこで少し気持ちを落ち着けて、その子供を確認する。背中に大きな傷があり、そこからの出血が酷い。傷口を抑えているタオルが既に意味をなさなくなってきている。ボサボサの長い髪で目元はよく見えないが、顔色は蒼白で、唇も紫だ。灰色の尖った耳も長い尻尾も力なく垂れている。
ん? 尻尾? この子、人間じゃないのか?
そう、その子供には灰色の犬のような耳と尻尾がついていた。獣人ってやつか? そういやいるんだったな。
その時、子供の手が、ピクリと動いた。身体を動かそうとしたのがわかる。
「おい、大丈夫か? おい。目を開けろ。頑張れ、死ぬんじゃない!」
無責任な事を言ってる自覚はある。だが俺はただこいつが目の前で消えて行くのに耐えられなかった。
だってそうだろ。まだこんなガキなんだぞ。人生これからなのに……。
「うぅぅ、あぅぅ」
吐息とともに声が漏れる。そして、うっすらと目が開き、ぼんやりとこちらを見る。
「おい、わかるか? 今助けてやるからな、しっかりしろ!」
虚ろな瞳が俺を捉え、その目に生気が宿る。そして一瞬驚いたような顔になり、そして……、笑った。
目元と口が少し緩んだだけだ。でも俺には笑ったように見えた。まるで夜、孤独で震えていた幼子が、親を見つけた時のように……。もう恐くないんだと安心したかのように……。
そして、再び目を閉じ、身体から力が抜けていく。
「ダメだ! まだ死ぬな! 俺は間に合ったんだ。手が届いたんだ! 頼むからさ。大人が子供のピンチに駆け付けたんだぞ! ちゃんと間に合ったんだぞ! 助けさせてくれよ!
頼むよ。それができなきゃ俺は、俺は何のために……」
誰の役にも立てなかった。誰かに助けてもらわないと生きて来れなかった。そんな俺が、見えるようになったんだ。誰かを助けられるようになったんだよ。なのに、それなのに子供一人助けられないなんて、俺は何のために……。
「目の前の子供一人助けられなくて、何が魔王だ。ふざけるなぁ!」
その時、思い出す。魔王城のこと、魔王のこと、アレクサンドラのこと。俺は無力だ、何もできない。でも、何でもできる連中がいる。俺には無理でもあいつらなら、この子を助けられる。
「アレクサンドラ!」
俺は大声で叫んでいた。念じるだけでいいなど考えもせずに。
『はい、ラングリード様。お呼びでしょうか?』
「わかってるんだろ! こいつを助けてくれ。今にもしにそうなんだ!」
『その子供を助けるのですか? ……それはなぜでしょうか?』
アレクサンドラから返ってきた応えは、信じられないモノだった。
えっ、なぜ? なぜって何だ? 理由の事か。理由って……。死にそうだから。このままじゃ死んでしまうから。それ以外にあるのか? アレクサンドラは何を言っているんだ?
『その獣人の子供はここで死にます。それがラングリード様と何か関係があるのでしょうか? 生かして何かの役に立つのですか?』
確かに何の関係もない、縁もゆかりも無いただの小汚い獣人のガキだ。それが死ぬだけ。そんな事は世界中で起こっている当たり前の事だ。魔物がいるこの世界なら尚更だろう。
なのにこの子一人助ける理由は? 目の前にいるから? それはエゴだ。助けるなら、それが当たり前と言うなら、世界中の子供を助けてみせろ。その子だけを助け、他の子を見殺しにする理由を、死んでいく子供たちにも納得できるように説明してみせろ!
……わかってるさ、俺もスレた大人だ。卑怯で矮小で偽善でしか行動できないクソ野郎だ。わかってんだよ、そんな事くらい。自分が大人だって自覚した時からわかってるんだ。
でもな、大人ってのはズルいんだよ。偉そうな事言ってても、結局自分のやりたい事しかしねえんだよ。それをさも大儀であるかのように誤魔化してるだけだ。立派な大人ってのは、ようはその誤魔化しがうまいだけのクソ野郎のことだ。。
「アレクサンドラ! 俺は何と言った。俺の行動に理由を求めろと言ったか? お前は俺の命令を迅速に遂行すればいいんだ。俺はこの子を助けろと命じたんだぞ。四の五の言わずに俺の、魔王の命令に従え!」
『……かしこまりました、ラングリード様。最善を尽くしましょう』
俺の傲慢極まりない命令に応えたアレクサンドラの声は、なぜか弾んでいるように聞こえた。まるで望んでいた答えが、聞きたかった言葉が、聞けたかのように……。
『解析が終わりました。とても危険な状態です。今のラングリード様の魔法では助けられません。但し、確率は低いですが、助かる可能性のある方法があります。実行しますか?』
「ああ。可能性があるなら何でもやってやる。どうすればいい?」
『はい、ではその子供の頭に手を置いてください。そしてその子に呼び掛けるのです。魔王ラングリードの臣になれと。我に従い、我に絶対の忠誠を誓えと』
「はっ? 何を……。助けて欲しければ手下になれってか? そんな事言ってる場合か」
『いえ、そういう事ではありません。この子の生命力では現状での生存は不可能です。されど魔王と主従契約を結ぶ事で得られる加護を得れば、生命力は著しく向上し、また自然治癒力も上がります。ラングリード様から魔力を分け与えられ、それを生命力にする事も可能となります。それ以外にその子を助ける方法は、現状では皆無です』
そうか、そういう事か。わかった、それで助かるなら。これは俺のエゴだ。この子のためじゃなく、この子を助けたいと思う俺のジコマン全開の行為だ。魔王の手下なんかになるくらいなら死んだほうがましだ、なんて知るか! 文句があるなら生き延びてから言え!
俺は動かない子供の頭に手を置く。そして呼びかける。
「おい、聞こえるか? お前を助けてやる。そのために俺の家臣になれ! 俺の名はラングリード。魔王ラングリード! お前の主となる者だ」
これを言われて、ハイそうですか、と納得する奴は馬鹿だろう。こっちもテンバッてたんだよ。でもこれが、俺が魔王を継承して、初めての名乗りだった。恥も照れもない、正真正銘の心からの名乗りだ。
一世一代の新魔王の初名乗りが、こんな子供一人のためだったとはな。まったく、とんだ魔王もいたもんだぜ……。




