第1話 知らない天丼
「知らない天井だ」
て何だよそれ。俺は十年前から、天井も天丼も見たことねえよ!
いや、天丼が食べれないわけじゃないよ。そこまで貧しい生活はしていない。見えなくったって舌はある。嗅覚も味覚も健在だ、見えなくてもおいしく頂ける。
和食を目で味わえないのは実に寂しいことだが、無い物ねだりをしてもしょうがない。俺は足るを知る者なのだ、エッヘン!
……ごめんよう、強がりぐらいは言わせておくれよう。
とりあえず、どこだここ? 周囲を伺ってみる。明るいな。だが、さっきまでみたいな目を焼くような眩しさではなく、かといって人工的な照明を思わせる明りでもない。
穏やかな春の午後って感じの優しい明るさだ。
でも屋外ではない、屋根がある。おかしいな、外は見えているが、屋根がある以上、照明が無いのにこんなに明るいなんてあり得るのか?
今、俺がいる所を敢えて例えるなら、西洋的な白い大理石造りの神殿っていったところか。パルテノンとか、聖闘士的サンクチュアリのような。
門外漢なもんで、建築様式なんかは全くわからんが。
建物の外は緑の草地が広がっており、色とりどりの花が咲き乱れ、ここまで甘い香りが漂ってくる。小鳥の囀りまで、どこからか聞こえている。
「ようこそ……、ここは……」
まったくもってここはどこなんだ? 田舎の穏やかなテーマパークか? その割には客が誰一人いないぞ。大きなお世話だろうが、経営が心配になってくるな。
なんで俺、こんなところで大理石の円卓についてるんだ? 椅子も大理石ぽいけど、なんか座り心地いいな、尻が痛くないし冷たくもない。
「その、ですね。……大変驚いて……、落ち着いて……、聞いてください」
とりあえず落ち着いて考える。そう、俺は些細な事では動じない、常に冷静な男なのだ。なぜか誰からもそう評された事はないのが不思議だ。
まあ、今は世の不思議について考えている時ではない。考えるべきは二つ、ここはどこか、そしてなぜここにいるのか、という事だ。
「あのぅ、すみません。そろそろよろしいでしょうか?」
そもそもいつからここにいる? 朝起きた時は家だったはずだ。それから俺は何をしていた? 確かいつも通り出勤し、職場で代り映えのしない仕事に従事していたはずだ。それから何があった? わからん。何も思い出せん。
「そのぉ、えっとですね、私のお話を……」
ってかここどこだよ。責任者出てこい! それが嫌なら、せめてお客様対応係でもいい。さっさと出てきて、謝罪するなり、言い訳するなり、当社の見解ではを説明するなりしろ!
「あのっ、ですから、その、もしもし、すみません。ちょっと、話を聞いてもらえませんか? えっと、お怒りはごもっともなんですけどお、あの、とりあえず落ち着いては頂けないでしょうかぁ」
んっ、誰か何か言ってるのか? 何か謝ってるな。俺が心の叫びを轟かせているうちに、誰かが話しかけてきていたのか? 全く気付かなかったぞ。もしかして俺、声に出してたか?
「えっと、失礼。何か俺にご用でも?」
「あっ、良かった。ちゃんと聞こえてたんですね。ううっ、相手にしてくれないので、私、もうどうしようかと」
やたらと腰の低い女性が話しかけてきているようだ。まさか本当にお客様対応係が出てきたのか?
まずいな、俺、気弱なお客様対応係に喚き散らす、相手が下手に出た時だけ強気になる最低のクズ野郎になってたか?
いや、騙されんぞ、こういう輩は、とにかく申し訳なさそうな顔で謝り続けるが、心の中では舌を出してる連中が殆どだ。それで給料もらってんだしな。どうせ見た目もいかにも気弱そうな泣きボクロとかある女なんだろ、騙されねえぞ!
「あの、酷いですう。私、心の中で舌なんか出してませんよお。本当に申し訳ないなあって。やっぱり、怒ってますよねえ」
今まで何で気付かなかったのだろうか。円卓の向こうに誰かが立っていた。
……何か、すごい美人のお姉さんがいる。泣きボクロは無かったが、幸薄そうな顔で思いっきり申し訳なさそうな表情してこちらを見ている。
流暢に日本語喋ってるが、どうみても西洋人、北欧系か? 透き通るような白い肌とブロンドの髪、澄んだ青い瞳に薄桃色の唇。なんていったか、キトンだとかチュニックとか……、良く知らないが、白いゆったりとした衣装を着ている。
胸はあまり大きくはないが、プロポーションは悪くない。敢えて言おう、ドストライクであると! 声も若干井上さんっぽい。女神以外のジョブが想像できない存在である。
「勘違いしないでくださいね。私、決してお胸が小さいわけではないんですよ。ちょっと着痩せしすぎるタイプなだけです。ホントなんですよお、お見せできないのが残念です」
「別に、見せてくれても構いませんよ。むしろ是非!」
「私が構うんですっ! もう、女神の服を脱がせたいなんてエッチすぎます。それに私の事が好みだとか可愛いとか綺麗すぎるとか、正直にも程がありますよぉ。もう、女神口説くなんてえ、やんっやんっ」
俺、そこまで言ってない気がするが。なんかモジモジしながら照れているお姉さん。
って、あれ、俺の考えてる事、わかっちゃってる? 俺、声に出してないよな。てか、何でこの女神っぽい人、俺に見えてんだ?
「ああ、ここは物質世界とはちょっと違って、肉体的な視覚や聴覚は必要ないというか、ですから今あなたが見ている物は全て現実の映像ですし、耳が不自由な人でもちゃんと聞こえます。まあ私女神ですしぃ、心の声も聞こえますよ。ってあれ、何で私が女神だってわかったんですかぁ? 変ですねえ、神威は出していないはずですのに。はっ、そうですか! 私って顔バレしちゃってるのかも。困りましたね、有名になるのも考えものですねぇ」
何かぶつぶつ言ってる。これはあれか、ラノベやアニメでよくある、本来肉体を持たない神がこちらの想像に合わせて姿を現したってやつか? じゃあ、この見た目も俺好みに調整されてるとか?
「そんな事ありません。これはれっきとした私の姿です。調整するならもっとお胸を大きくぅ、って何でもありません! でも、やっぱり私って、あなたの好みドストライクなんですね。ダメですよ。神と人の恋なんてえ、そんなあ、恥ずかしいですしぃ、でも、ちょっぴりお茶するくらいならあ、そのぉ、デートとかぁ、どうしてもって言うんでしたら――――」
「別に言いませんよ。それよりこの状況、さっさと説明してくれます?」
だんだん面倒臭くなってきた。さっさと話を進めよう。
「酷いですう。面倒臭い女だなんて、なんで皆そんなこと言うんですかあ。クスン、私だって一生懸命……」
「ああ、言われた事あったんですね。心の底からごめんなさい! だから話進めてください」
埒が明かん。っていうか、自称とはいえ神をからかいすぎると後が恐い気がする。
女神を自称するそのお姉さんは、静かに俺の向かいの椅子に座る。その直後、テーブルの上には白いポットと二つのティーカップが現れた。カップの中には湯気を上げる紅茶のようないい香りのする液体が入っている。どうやらこの女神、ただの自称ではなさそうだった。
「どうぞ召し上がってください。大したお持て成しもできませんが、せめて粗茶だけでも」
「あ、これはご丁寧に。では遠慮なく頂きます」
ズズズ、うん、おいちい。って何でいきなりお茶してんだ俺? てか、粗茶って。この女神、見た目と違って日本人か? 西洋人にその発想は無いと思うが。
でも本当においしいな。体の芯から安らいでいく感じがする。粗茶とか言ってたが結構なお値段なのでは?
「いえ、大したものではありませんよ。だからたくさん飲んでくださいね。お代わり自由です。心配しなくても変なものは入れてませんよ」
にっこり微笑む女神様。恐い! 一口飲んだの確認してから言うのやめて!
それから女神とお茶しながらの、現状説明が始まった。穏やかな春の午後、麗しい女神様とのお茶会デート。誰もがうらやむシチュエーションなのに、全く楽しくないのはなぜだろうか?




