プロローグ
初めに闇があった。闇はどこまでも広がり、終わりがなかった。全てが闇であり、闇が全てだった。
その闇の中を揺蕩うように何かが漂っていた。真の闇の中を漂うそれには形があるのだろうか? いや、そもそもそれの存在を認識できる者などどこにいるのだろうか?
ここには上も下もなく、前も後ろもない。ただの闇であった。
どれだけの時間が経ったのであろうか。闇の遥か先、気の遠くなるような彼方で何かが光った。いや、光ったのではない。光がそこにあったのだ。
闇の遥か彼方、僅かな点にしか見えぬ程の光が確かにそこにはあった。闇が全てではなかったのだ。
だが、それはおかしい。光はあるのかもしれない。しかし、それが俺にわかるはずがない。なぜなら、俺は盲目だ。十年も前に俺は光を失った。いわゆる失明というやつだ。
よく、盲人は闇に覆われている、と言う人がいる。だがそれは違う。闇すら認識できない、というのが正しいだろう。盲目になるのと目を瞑るのとは違うのだ。
まあ、あくまで俺の認識だ。他人の事など知らん。他人になった事などないのに、他人がどう感じているかなどわかるはずがない。
目が見える人間が、真に盲目を理解したければ、目を潰す事をお勧めする。最も簡単で唯一といっていい確実な方法だ。責任は持たないからやりたければ勝手にやってくれ。
いかんな、くだらん事を言った。障害のせいにしたくはないが、最近どうも愚痴っぽくなって困る。
つまり何が言いたいかといえば、要は俺には闇とか光とかそんなもんがわかるはずがないんだ。なのに今俺には闇が見え、そして光も見える、気がしている。そうとしか言いようがない。
状況分析力と表現力の乏しい俺を責めないでくれ。踏まれて伸びる雑草敵古き良き日本人じゃない、褒められて育つ精神が砂糖漬けの現代人なんだ、俺は。
とか考えているうちに、光が大きくなってくる。こっちに来てる、いや、多分違うな。こちらが光に向かって近付いて行ってるんだ。
俺が向かっているのか、それとも引き寄せられているのかはわからない。いずれにしろ動いているのは俺だ。そんな気がする。
そして、このままでは光に呑み込まれる。もはや目の前は光に覆われ、闇は存在を消す。熱くはない。そもそも熱を感じる身体が俺にはあるのか?
完全に闇が消え、全てが光に呑み込まれた時、なぜか微かに安らぎのようなものを感じた気がした。
俺は、この光を望んでいたのだろうか……。
◇ ◇ ◇
『グギャアアアア』
森の中に奇怪な雄叫びが響き渡る。
「ちぃっ、ホブゴブリンが混ざってやがったか! やばいな、先にザコを何とかするか」
斬り捨てた醜い小柄な猿顔の小鬼を蹴り飛ばし、続いて突っ込んできたもう一体を迎え撃つ。ゴブリン2体と遭遇し、余裕をかましていたら、その背後の茂みから、二回り程大きい個体が現れやがった。厄介だ、こいつは力も体力もゴブリンよりかなり高い。いわゆるホブゴブリンという個体だ。
今の俺なら倒せない相手ではないが、ゴブリンと同時に相手するのはちょっと分が悪い。奴が近付く前に、ザコは掃除しとくべきだ。
走ってくる敵を待たず、こちらも走り出す。その小鬼が短剣を振りかざしたのを狙って、がら空きになった奴の胸に剣を突き刺す。リーチが短いくせに、間合いに入る前から武器を振りかぶるなど、アホとしか思えん。実際アホなんだろう。
剣に胸を貫かれたゴブリンは、『ギャギャア』 という奇声を上げ、持っていた短剣を落とす。すかさず胸の剣を抜き、左凪ぎに首を跳ねる。
見ると、ホブゴブリンはまだ、四、五m先にいた。
すかさず体勢を整え、剣を正眼に構え息を整える。
奴の獲物は右手に握られた石オノだ。粗末な武器だが、あれで頭でも殴られようものなら即死だ。あんなもので殴っていいのはマンモスだけと相場が決まっている。
この場合の相場が何を扱った物かは知らないが、昭和生まれの紳士には常識だろう。当然異世界のゴブリンに通じるわけがない。
一気に間合いを詰めてくる化け物。振り上げた石オノは正確に頭を狙ってくる。俺は右足を左後方に引き、身体を捻るようにしてその振り下ろしを躱す。紙一重などとはとても言えない雑な動きだが、若い頃結構撃ち込んだ合気道の賜物だろうか、自然と身体が動く。
すれ違いざまに奴の右胴を薙ぐ、暗緑色の血しぶきが飛ぶが手応えはない。
「浅いか!」
すぐさま反転し、背後を取ろうとするが、奴も振り返り、反撃体制をとっている。
さっきのゴブリンとは段違いの素早い動きと隙のない構えだ。(ゴブとは違うのだよ、ゴブとは!) という台詞が聞こえてきそうだ。
一声吠えたホブゴブリンは、今度は大振りせずむしろ突進してくる。
俺は奴にタイミングを合わせ、右に踏み込み奴の左横を抜け、すかさず足に斬り付ける。上手く左足の膝裏の腱を絶つ事ができた。
完全に体勢を崩し転倒した化け物が慌てて起き上がろうとした所を上段から右腕を斬り飛ばす。
その時、奴と目が合う。醜悪としか言いようのない顔の大きな目がいっぱいに見開かれていた。
恐怖。この化け物は今恐怖している。
「悪いな、同情している余裕はないんでな。くたばれ!」
俺はホブゴブリンの左肩から右腹にむけ、袈裟がけに斬り込む。我ながら体重の乗ったいい打ち込みだ。切り傷からは大量の血が吹き出ている。
「今だ、喉を突け!」
俺は化け物の前から身体をずらし、背後に叫ぶ。
「…………」
返事がない、ただの屍のようって、言ってる場合か!
「何やってる! さっさと動け」
語気を強め、再度叫ぶ。
「あっ、はっ、はい」
小さな声と同時に、ゴブリンよりも更に小さな黒い影が俺の左を駆け抜ける。かなりの速度だ。
その影は、後ろに倒れていくホブゴブリンの喉にナイフを突き立て、そのまま一緒に倒れこむ。倒れきったその化け物は、二、三度痙攣すると、動かなくなった。
喉にはナイフが刺さったままになっている。どうやら仕留めたようだ。
倒れた獲物の横に座り込んで、ガタガタと震えている小さな身体。伸ばし放題になっている髪で顔がよく見えないが、泣いているんだろう。
そりゃそうだ、こいつはどう見ても、十歳くらいの子供だ。痩せっぽちで貧相な防具を着ただけの小汚いガキだ。
そんな子供が既に虫の息とはいえ、自分の何倍も大きい化け物に襲いかかり、その命を奪ったのだ。恐いに決まっている。
だがそれでもこの子供には闘争本能がある。ただのガキではない。なんとイヌ耳と尻尾が生えている。 獣人、おそらく犬獣人のガキだ。尻尾が汚れてボサボサだが、ブラッシングでもしてやればキレイになるんだろう。
なぜ、俺がこんないたいげな獣人の子供に化け物を殺させたのか?
俺が鬼畜というわけではない。いや、鬼畜かもしれないが俺にだって言い分はあるんだ。まあ、今はどうでもいい。
「何やってる。ナイフは刺したら直ぐに引き抜けと言ってるだろうが。敵を倒したからって気を抜くな。いつ新しい敵が現れるかわからないんだぞ!」
剣を鞘に納めた俺は死体の喉からないふを抜き取る。
肉体に刺した刃物は直ぐに抜かないと筋肉が収縮して抜けなくなる。何度も教えているんだがな。
「あ、グスッ、その、ごめんなさい」
小声で謝る小犬。死体が身に着けていたぼろ布で血を拭ったナイフを返してやると、それを受け取り、大事そうに腰の鞘に戻して、ゆっくり立ち上がった。
未だ声を殺して泣いている子犬の頭をくしゃくしゃと撫ぜてやる。
「よくやったな。今のはなかなか良かったぞ。動きも速いし狙いも性格だ。この調子で頑張れ」
「あっ、うん」
少しはにかんだように笑い、俺の傍に寄ってくると、なぜか俺の左手を握ってくる。
いつからかなぜなのかはわからんが、歩く時は気付いたら手を握ってくるようになっていた。
まあいいか、利き腕は空いてるしな。ふい打ちにも対応できるだろう。
「行くぞ、日が暮れる前に野宿出来る場所を探さないとな。それから飯だ。腹減っただろ?」
俺たちは、三体の死体を放置して歩きだす。血の匂いに誘われて、小型の魔物が集まってきている気配がする。一晩もあればキレイになるだろう。
子犬は右手で俺と手を繋ぎ、左手で涙を拭っている。その小さな手からは、しっかりとした温もりが伝わってくる。
不思議なものだ。ついこの前拾った時には、死にかけていたこいつが、今は俺と魔物狩りをしている。この魔境にたった二人で。
孤独の先に出逢ってしまった二人。孤独の真の恐怖は、孤独を終えた時に実感するもののようだ。この小さな温もりを失いたくはない。
まったくどうかしてるな俺は。どう考えたって足手まといなんだがな。
「うん、お腹、すいた。速くご飯、食べたい」
涙声は消え、恥ずかしそうに、だがはっきりとそう言う小さな存在に、思わず口元が緩む。
◇ ◇ ◇
手を繋ぎ森の中を歩く二つの影を捉えている視線があった。
しかしその視線の主はここには居ない。空間を超えてこの森を見つめている。
「フフフ、そうか、貴様はその道を選ぶか。いや、選んだのはその子供のほうか? 冥府魔道を歩む者よ、修羅の道にその温もりは果たして救いとなるか、枷となるか。己たちの生きざまでその答えを出すがいい。我が友と、その隣を歩むと決めた者よ」




