You Treat Me Like No One Can.
山の上で、ルシアンヌは重傷者に治癒術をかけていた。遅れてやってきたニノンもそれに倣って、銀髪の人影の目の前に座る。彼女の顔を見て動きを止めた。
「聖女……いえ、女神、さま……?」
ニノンの知る聖女と顔のつくりが似ているようだが、別の存在としか判断できなかった。
ゆるりと一度面を上げてまた下を向いた。目尻から銀の水がしとしと流れている。
「あなたさまになにがあったのです」
カリナはシャーロ、と振動を発した。それは声でも音でもない。人外らしく顎も動かさずに意思疎通をした。ニノンはハッとして、ルシアンヌに加わって治癒術を男にかけ始める。
矢の傷は焼灼してあった。しかしこの肌色を見ると、血を多く失ったことがわかる。治癒術は傷口を塞ぐもの。増血を促すわけではない。血液を失いすぎれば人は生命を維持できない。
治癒を完了しても、シャーロは目を覚ますかどうか。
カリナの意識は別なところにあった。
ぽっかりとこの世界に穴が空いている。王城を起点とし、ひとつずつ足で訪れて聖水で満たしてきた場所は十、あと一つがまだ終わっていない。カリナは感覚でこの世の動きを掌握していた。それを埋めて完成させれば、この世界の住人のシャーロは起きるだろうか。
地の底から銀の水を操って、その欠損を補完した。
最後の聖杯、ラ・メール・エクラタンテ海も浄化がはじまるだろう。
もうカリナにできることは残されていない。
薄目を開けたシャーロは、自分の手を持ち上げた。その中にか細い温もりがあった。まろやかな光沢のあるそれは、おおよそ人のものではない。しかしリボンを結んでいたほうの手だ、と気づいた彼はまず傷跡を確認した。まっさらですべすべの肌。小さい安堵の息を漏らして、カリナの手首に唇を寄せる。
しかし瞳も髪も、シャーロが知るものと違う。
かつて夜の輝きとも恋い焦がれた色を失ったカリナの風貌に、男はひどく悲しい顔をした。
「泣かないでくれ」
衝動的に上半身を起こし聖女を抱きしめる。色なんてどうでも良かった、ただ愛しい人の涙を止めたかった。
氷のように冷たい指先で、頬を撫で。温もりを失っても瑞々しい唇に吸い寄せられるようにキスをする。
息を詰めたカリナは涙も途切れた。
「泣き止んだ? “ My Dove. ” 」
口づけをしたシャーロは再び意識を飛ばして、倒れてしまった。
わかった。シャーロはどんなカリナでも受け入れて好きになってくれる。見た目が以前と変わっても、異世界人でも、人でさえなくなっても、前世界の記憶があろうともなかろうとも。
カリナはもうほとんど前の世界のことを思い出せなくなっている。異世界で聖女となりこうして人間としての箍を外してしまった。
それでも、シャーロは抱きしめてくれた。悲しめば当たり前のように心配してくれた。優しいキスをくれた。
あやうく女神になりかけていたカリナは人としての感覚を取り戻した。
全身から銀の靄が立ちのぼり、髪も眉もまつ毛もじんわりと元の色に染まっていく。
カリナは振り返る。
意識のある者は全員が見守っていた。その神話のような情景を。
「シャーロ、生きてますよね」
ニノンが脈を取って「生きてます」と繰り返す。
カリナはしっかりと立ち上がり、周囲に頭を下げた。
「みなさんありがとうございました。山を下りましょう」
熊も獅子も狼も疲弊した人間を運搬して山の麓と山頂を何度も往復する。シャーロはブレヴィンズ子爵の屋敷へ運ばれ、手厚い看護を受けることになった。
役目を終えた三匹の聖獣たちは銀の湖に沈んで溶けたが、その様子を誰も見たものはいない。
You Treat Me Like No One Can.
(あなただけが特別。)
****
後に現場を振り返った騎士たちは語らう。
「あれなぁ、聖女さまに襲い掛かる魔獣かと思ったぞ」
とは、カリナのチョーカーをシャーロが引き裂いたときを指す。暗黒の断末魔と重なり、黒い靄に包まれた男女をそう例えた。
「シャーロさんって、すごいですね」
レジーが無邪気に笑う。
「おれはあの聖女さまを生きた人間だとは思えなかったです」
男たちの中から続々と同意の声が上がる。
「聖女さま相手に不埒なことを考えられるってそれもはや特技」




