Shot through the air.
領地グノムシャーク、レヴァモンブレ山登頂部。
あちらこちらで魔を退治するために、黒騎士も白騎士も剣を振るっている。聖女の身辺警護を申しつかったからだ。しかしその半分は見張りのため。
聖杯に垂れる糸を、聖女は何度も辿った。先の見えない糸を、辿ろうとしていた。
宿に残してきた、捕らえられている仲間たちの顔が過ぎる。ウクドリッド、スティーフ、ニノンにルシアンヌ。
教会枢機卿アベソロマによって人質とされてしまった。
いつまで経っても聖水を呼び寄せることのできない聖女を責める言葉を、白い制服を着た第二騎士団は決して吐かなかった。それは教会騎士団たちの役割だった。
「聖女なら魔を祓ってみせろよな」
「いつまでかかってるんだ」
どうしてこういった言葉はよく聞こえるのだろう。砂時計の砂が落ちるように、悪意はカリナのチョーカーを媒介にして集まり濃縮され内から蝕む。
昨日も今日もだめだった。聖杯から伸びるはずの糸はプツプツ切れる。いまはもうその糸もわからず、聖なる力の塊への道を模索しているところだった。
持ち歩いている小型の聖杯でさえ、もう銀の気配のかけらもない。
聖女である証の唯一の力。
それを失くして、カリナはどうなるだろう。神に存在を消されるだろうか。用済みになって元の世界に戻れたりして。
でもここで頑張っていたい。この世界に残りたい。
なぜ。
だって、ここはあの人がいる世界、だから。
リボンの絆を結んでくれたあの人が。
春の山は寒いのに、カリナは汗をかいている。周りの騎士のように動いてもいない。それでも気力を使い果たして精神が尽きかけていた。
騎士たちも同様だ。湧いて出てくる魔を退治し続けている。治癒術士のレジーが治癒をして騙しだましやっているが、消耗はそれを上回っていた。
白と黒に分かれていた男たちの中に、別な色が混じった。領地グノムシャークに仕える私団を示す紺色の軍服がただひとつ。
赤褐色の金髪を揺らしながら、男は剣を置いて片膝を立てた。
「カリナさま」
聖女は無言を貫く。
「カリナさま! どうしたんだ!」
故意に無視しているのとは違う。聞こえていない。聖杯から引き剥がして、真正面から向き合うと意識そのものが消え失せた顔をしていた。
ついと思いつき。シャーロはカリナの耳に唇を寄せて、小さく低く呟いた。
「夏奈子」
瞬間、この世界でない「私」が薄く目を覚ます。
「しゃ、ろ」
白い指が首を押さえる。すぐに「夏奈子」の意思が再び世界の向こう側へ閉じ込められてしまった。だらりと手は下がる。
「喉? 首になにか……?」
襟の上から触れると、その生地の下にもう一枚あるようだ。シャーロが慣れ親しんだ刺繍の感触。
外衣の首元をめくると、黒いチョーカーが青白い首に嵌められていた。刺繍の出来も悪ければ趣味も悪いアクセサリーだ。美的感覚を著しく損ねる。
大事な聖女さまになんてことを。留め具を調べても外し方がわからない。
カッとなって剣を引き抜いて、思い留まり鞘に納める。
意を決してシャーロは布に噛みついた。犬歯で穴を開け、裂き、力技で引きちぎる。カリナの首に負担をかけないよう、肌を傷つけないように細心の注意を払いながら。
引き裂かれた布からはギャギャギャ、と邪悪な音がして濁った茶色の混じる黒い煙が立った。
「魔、なのか……!」
どろりと泥を飲むような感触がシャーロの喉を滑り落ちた。胃の中で旋回しているものがあったが、ぐっと飲み込んで忘れた。
だってカリナが泣いている。優先するものは他にない。
「シャーロ……」
カリナは彼の腕の中に収まった。
「聖水に繋がる糸が見えないの。どうしよう。手繰っても手繰っても、切れてしまうの」
何十回、何百回と挑戦したのだろう。それでも投げ出さす、根気強く続けた。
「私、浄化しなきゃいけないのに……私にできることは、それだけなのに」
シャーロの手がするすると後頭部を撫でる。
かわいそうに、こんなに追い詰められて。この娘がひとりで世界を背負う謂れはないのに。
「カリナさま、休もう」
「ううん、だめ。みんなが大変なのに。でも、やってもできないの」
そんな堂々巡りばかりしている。
着いてきた騎士たちは一人残らず戦闘に携わって、傷つき、大なり小なり魔症している。聖女を守るためにひとりまたひとりと倒れていく。彼らの魔症を早く浄化して休ませなければ。
「なら、あと一回だけやってから休もう。俺もそばに居る」
こっくりと頷いた。
聖杯を持つカリナの手の上から、背後を包むように立つ彼が手を重ねた。
チョーカーを剥がされてから、呼吸が楽だ。鈍っていた感覚が研ぎ澄まされた気がする。
聖杯の底から、ツ、と雫が伝うように銀の粒がキラキラ降りていく。この光を感じるのは何日振りだろう。それを追いかけて、どんどん下に向かう。
指に力を込めると、呼応してシャーロも手に力を入れた。
輝きの凝縮した塊に糸が触れる。
「あっ……た」
「あった?」
銀の光が花火のように打ち上がって弾けた。滝のように流れる聖水。
シャーロの腕がカリナの腹に回されていた。
「よくやったな」
耳にかかった吐息に体をひねる。感謝の言葉とともに抱きしめようとして、変なものに阻まれる。
背中に突き立っている、これは何だろう。一、二、三と数えていく度に頭が同じ数だけ殴られている思いがした。
シャーロの背中が生暖かい液体で濡れている。聖水なら濡れるはずはない。
すとん、と腰が抜けてシャーロの頭が下がり、向こうの景色が広がった
弓をつがえているのは、黒い制服に身を包んだ教会騎士の一員だった。
Shot through the air.
(空へ噴き出た/空を射た。)
本編残り3話で完結です。
明日(19日)に全部上げます。




