Clasping My Heart.
立ち寄った街の喫茶店に入ったとき、お茶をご一緒したい、と教会枢機卿のアベソロマが着いてきた。
気は進まないが、断る特別な理由もなく受け入れた。
ジャンがウクドリッドと話しているのが目に入った。上司と部下が話す姿はいつものことだが、ちらちらとカリナに視線を投げる。なんだろう。ニノンも加わって、何事かを告げていた。
ジャンが頷いて、こちらに向かって歩いてくる。表情からは吉凶が判読できない。
「とある情報が入ってきました。聖女さまのお耳に入れるべきと存じますが……」
「では、あちらで聞かせていただくわ。アベソロマさま、失礼したします」
「ええ」
ジャンはたっぷり教会枢機卿と騎士団から距離をとった。ニノンもそばにいる。
情報を伝えるほうが及び腰で険しい顔をしている。覚悟を決めて口を開いた。
「シャーロ・ロバーツが魔症して危険な状態にあるとのことです」
シャーロ。魔症? 危険って、どのくらい?
ニノンに抱き止められて、カリナは自分がよろめいたのだとわかった。
「どう、して」
「グノムシャークに向かう途中、魔獣に襲われている人々を助けようとして戦った折に魔症したらしいのです」
「いまどこにいるんですか?」
「フォウグエーゼより西のシュー・チェラ地方だそうです」
氷が全身を覆ったかのように、体が冷えた。
「引き返、せる? シュー・チェラに行かなきゃ」
「お気持ちはわかりますが、なりません」
ニノンの腕から抜け出そうとして、ジャンに肩を掴まれ押さえつけられる。
「我々は明日明後日にもスナイク・スコス連邦国に入国予定です。遅れることはできません」
「でも……聖杯の儀式の日までに間に合えばいいんでしょう? 急いで戻ってくれば、」
「だめです、国と国との取り決めもあります」
「いや! 命がかかってるのに。私ひとりでも行く!」
地理も疎く、常に守られてばかりきた聖女にそんなことは土台無理なのに、カリナは我を失っていた。
シャーロが今日にも息を引き取るかもしれない。吐きそうなほど恐怖が迫り上がる。
「お願い! 行かせて!」
「わがままはおやめなさい、聖女カリナさま」
ガチン、と脳に鍵をかけられた感じがした。分厚い鉄板を体に載せられているように重い。喉が苦しい。
「あ、……う」
教会枢機卿、とジャンが振り返る。
「聞くつもりはありませんでしたが、その声量ではね」
聖女さま、と高みから威圧が落ちてきた。
「たったひとりと何万人の命、どちらが助かるべきだとお思いで? 今日予定通り進めば何千何万と助かる命がありますね」
あなたはそれらを見捨てるのですか、とアベソロマは締めくくった。
くたり、とカリナの体は床に崩れた。ニノンが声掛けをするも、反応はない。
「なにをなさったのです」
ジャンがカリナを抱き起こしながら、不穏な表情を作る。
「見た通り少し説教しただけですよ。聖女さまならばもっと広い目で世界と状況を見ていただかなくてはね」
運ばれていくカリナに期待外れだ、と指で額を叩く。
「あの方に聖女が務まりますかねぇ」
残念そうに、眉尻を下げた。
翌日にはそのままスナイク・スコス連邦国へ向かう手筈が整っていた。
しかしお付きの二人の聖職者の姿がない。アベソロマはカリナが一人で馬車に乗り込む後ろ姿を見た。
「ルシアンヌとニノンはどうしたのです」
「昨夜、あれから聖女さまが激昂してしまいましてね。クビだとおっしゃって。おれたちもお役御免です」
その頭蓋を叩く手があり、スパン、スコンと音がした。
「馬鹿、レジーこの。恥を晒すな」
年若い少年が肩をすくめる。
「だって先輩、聞かれたら答えなきゃ」
「人手が……女手が必要なのでは? わたしが手配いたしましょう」
アベソロマの申し出を騎士はすげなく断った。
「いいえ。聖女さまは身の回りのことはお一人でおできになりますから。あの二人は暇潰しの話し相手でしかありませんでした。いまは放っておいてほしいとのことですし、教会枢機卿殿も、近寄らないほうがよろしいですよ。私どものようにとばっちりを受けます」
「それはいけませんね。時期を見て説教しなくては」
呆れた様子で首を振る。
「どうかお気をつけて、教会枢機卿殿」
「はい。あなた方のこれからの道に幸あらんことを」
聖女一行が出発したのを部屋から見届けて、女二人と男二人が宿を出た。重役から解放された、ただの私服の男女。
「ひとまずは、フォウグエーゼを目指すのですね」
「ええ。来た道を戻りますのよ」
馬に乗った男が手を差し出す。
「全速力で行きます。よろしいですか」
「襲歩には慣れました。お願いします」
手を取ると、ぐいと引っ張られて鞍に乗せられる。
「では、振り落とされませぬよう」
馬は疾走した。
心はもっと速くもっと速くと急かす。
****
最小の護衛を連れてカリナは旅路を引き返している。合計で四人で抜け出してきた。治癒術の使えるルシアンヌ、騎士のスティーフとレジーと。教会枢機卿アベソロマ相手に一芝居を打ち、布石は置いた。まだ彼はカリナは傷心ながらも旅に従事していると信じてくれているだろう。見た目から嘘をつけなさそうなレジーに上手く芝居をさせた甲斐があった。
一行はフォウグエーゼの手前の街外れで足を止める。
「休憩をよろしいですか」
「はい」
馬を使い潰すわけにはいかない。それに乗る人間だって消耗している。
敷物の上で、気を緩められずカリナは正座していた。
きゃあ、とルシアンヌの悲鳴の先を見ると銀のペガサスが地に降り立つところだった。一時とはいえ道をともにした仲間の面影に、カリナは立ち上がる。
「アイボリー!」
草原に歩み出た聖獣は礼をするように前脚を折り曲げ、羽を閉じた。大きな目の動きでカリナを背中へと誘う。
「乗せてくれるの? ……迎えに来てくれたの?」
スティーフが羽をやんわり抑えつけて阻む。
「お一人では行かせられません」
「なら……」
「そ、空を飛びますの? わたくし、高いところは……」
最悪を想定して治癒術の使えるルシアンヌを頼ったが、怖気付いて青くなっている。見兼ねてレジーが進み出て、アイボリーの腰に手を置く。
「おれをお連れください。お役に立ちます」
四の五のごねている暇はなかった。護衛も必要だろう。
「わかりました。乗ってください」
ひらりとレジーが背後に腰を落ち着かせ、アイボリーは大きな羽を広げた。
「アイボリー、シャーロのことを覚えてる?」
首を動かしてちらとカリナと片目で目を合わせる。
「いま命が危ないの。助けたいの。シュー・チェラまで急いで、お願い」
心得た、と聖獣はぐんと速度を上げる。地名を聞いても、進行方向を変えなかった。不思議とアイボリーはカリナがどこに行きたいのか理解しているようだった。
Clasping My Heart.
(握りしめた心)




