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Ring the Bell.

 国境を越える時に馬車を停めるよう要請はされたものの、官吏たちとのやりとりも安穏としておりちょっとした休憩といった具合で終わった。


 グルエップ共和国元首が立ち会いするとは聞いていた。

 もどかしくなるほどゆっくり動け、とはニノンの教えだった。引きずる裾を直しながら後ろから着いてきて気を配ってくれている。


 広場の中心に聖杯は掲げられていた。やはりこれも王城にあったものと似てただの噴水のようでもある。木板の囲いはないけれど。

 噴水近くまででウクドリッドに手を引かれた。支えられて特別な踏み台に乗る。そうでなければ手が届かない高みだった。

 カリナが手を触れてしばらくすると、問題なく聖水は溢れ出した。


 国家元首と短く言葉を交わし、その日の業務は終了。

 地元教会からの聖職者がひっきりなしにやってきて聖水を掬いに来ている様子から、この国にも魔症は多いのだろう。



 用意された舞台の椅子に座って、仕切り越しに市民から拝まれる。少しだけ手首を捻って戻すような動作で、上品に手を振って応えた。


「こんな堂々と外に置いていて、聖杯って盗られたりしないんですか?」


 カリナの疑問をきいて、周囲がギョッとする。嗜めたのはルシアンヌだった。


「聖女さま、そのようなこと口にするのも(はばか)られますわ。あなたさまは教会の人間なのですよ」


 聖遺物を盗むだの不敬な犯罪行為は舌に乗せるのもいけないと。カリナは上目遣いにすみません、と誰彼ともなく見た。唯一ウクドリッドが企みごとをするように笑む。


「聖女さま、ご覧になっていただきたいものが」


 再び聖水の噴水前に来てウクドリッドと並んだ。周囲を第二騎士団が固める。騎士団長はタネも仕掛けもございません、と手の裏表をカリナに見せた後、噴水の源泉に手を突っ込んだ。

 聖杯は難なくその手にくっついてきていた。聖地の聖杯を持ち運ぼうとしたことがなかったからわからなかったが、やはり移動は可能なのか。この場に見張りもないのだから盗難の対策は必要では、と眉をひそめる。


 ウクドリッドが握った聖杯に変化があった。もやぁ、とその形が曖昧になり、色は半透明になっていく。彼の手を借りずに聖杯は再び噴水上部に舞い戻り、聖水を吐き出し続けた。


「この通り、取ろうとしても無駄なのですよ」


「……神秘!」


 カリナの言葉にブフッと吹き出したのは一行の中で一番若い騎士のレジーだった。


「いやだって、この世の神秘の最たるものが聖女さまで」


 手で触れただけで聖水を湧き出させるなんて不可思議で超自然現象を他に何と例えよう。

 両横からレジーの頭を叩く者がいた。カリナはその技を見切れず、スパン、スコンと音だけが聞こえた。それでふらつきもしないレジーも慣れたものだ。


「私は人間だよ。……あ、人間ですのよ」


 ルシアンヌの睨みで語尾を訂正した。練習させられたうふふ、という笑い声を続けた。おほほ、のほうが適切だったか。


「この世界では聖女と呼ばれますが、私の生まれも育ちも特別なものではありません。どうか皆さま、気を張らずにお話ししてくださいね。そのほうが嬉しいですわ」


 八人の騎士が敬礼するので、周囲からの注目を浴びてしまった。


「これから自由時間だと聞いてます。解散しますか?」


「そうですね。カリナさまはこの辺りを散策されたいのでしたら、私が護衛を務めます」


「いえ、散策というよりも……行きたいところがあるのですが、よろしいですか?」


 カリナの視線が御意と答えるウクドリッドから他に移る。噴水の縁に座ってせっせと聖水を汲んでいる聖職者(クラージィ)だ。


「お仕事中に失礼します」


「はい。 え、あ、は?」


 彼は聖女の介入を現実だと受け止めきれていない。


「魔症された方は多いのですか? 私が浄化をお手伝いできます。教会に戻られるのでしたらご一緒させてください」


「なんと……! せ、せ、聖女さまが?!」


 そこから二人歩みを進めるものがいた。中央教会からはるばるやってきた聖職者たち。


「わたくしも参りますわ。治癒術が使えますので」


「それならわたしも。治癒の使い手(シャプライン)は多い方がいいでしょう」


 地面に平伏しそうな地元聖職者をみんなで阻止した。


「では二名、護衛の志願者を募る」


 ウクドリッドが部下たちに求める。間髪入れずに答えがあった。


「このノウド・スシュッテルトが」


「このスティーフ・ヴァン・ホルンが」


 事前打ち合わせもしていないのに、この統率力。外野の市民から感嘆がちらほら聞こえる。


「ええっと、せっかくの自由時間にごめんなさい……」


 こっそりカリナは呟くと、女性達は黙って伏し目をした。意味はたぶん、「気にするな」。ノウドは「いいえ」と言い、スティーフはなんとウィンクしてきた。


「よろしい。では解散」


「聖女さまにはまことに感謝の言葉も尽きず……」


「この世界の魔を祓うことが私の責務ですもの」


 少しは聖女らしい振る舞いができているだろうか。ニノン先生はカリナにだけ見えるように下のほうで指で輪っかを作った。この解答で合格らしい。

 銀の水を抱えた聖職者は歩きながらもぺこぺことする。


「これから向かうのは教会ではありません。貴族の方の別宅らしいのですが、日に日に増える魔症患者を悲しんで、治癒や浄化の場として解放してくださったのです。教会よりも聖杯に近い区画ですので。それであらかたの魔症患者を集めることができております」


「まぁ、なんてご親切な」


「貴国……スカエ・クロア国に本店のある商会をまとめる方だそうです。先ほどの広場に支店がありますよ」


「さようですか」


 着いてきてくれているスティーフに自然な距離で耳打ちされる。


「ロバーツ男爵家の別宅かと思われます」


「え?」


 どこか聞き覚えのある家名にカリナは記憶を巡る。すごく身近だった気がするのだけれど。


「店の名前は、なんでしたかね。すみません、お洒落には疎いもので」


 案内役の言葉に、スティーフが口を挟んだ。


「もしや “ Timeless(朽ちない) Trinkets(装身具). “ では」


「タイムレス・トゥリンケッツ?」


「ええ、そんな名前でした。よくご存知だ」


 確信を持ってスティーフが答える。


「シャーロ・ロバーツの実家です」


 あんぐりと大きく口を開けたカリナにスティーフはにっこりした。運良く騎士の体で他からは隠れていて、ルシアンヌがさっと閉じさせる。

 こんなところでシャーロとの繋がりを見つけるとは予想だにしていなかったから、存分に驚いてしまった。


Ring the Bell.

(どこかで聞いた。)

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