Take Me To the Church.
ハンド・キッシングはシャーロにもされた。けれどウクドリッドのような蔦のように張りついてくる色香は、シャーロには全くなかった。爽やかで、真摯だった。
ウクドリッドにされたとて嫌悪感はないけれど、シャーロの手前、居心地が悪かった。
ごしごしと唇が触れた指を拭っていると、シャーロが苦々しく笑った。
「そんなに擦っていたら皮がめくれてしまうぞ」
もちろんそんなに力を込めていたわけではない。シャーロはカリナの指先を握って止めさせる。代わりに指の腹でするすると撫でた。
「どうやってハンド・キッシングを避ければいいの……」
白くて細い手を引いて、馬車を目指して歩き出す。
「あれは不可抗力だった。忘れよう。団長殿も本気では口説いてないから安心してくれていい」
「冗談でも口説かれたくない……! こっわ! 騎士の団長さんたちってみんなあんな感じなの?」
「ウクドリッド団長は特に女性の扱いに手慣れているが、団長の中には女を見たら逃げ出すような人もいるから」
「それはそれでちょっと……」
人間同士、普通に笑顔で挨拶ぐらいはしたい。
「それにウクドリッド団長殿は女性と接するときは上辺だけだから。もちろん騎士として宣誓した通り誠意を持ってお仕えはするけども、カリナさまを恋愛対象には見れないと思う。いくら彼が独身でも四十近いわけだし」
すみません団長に少し年齢を加算しました。シャーロはこっそり謝っておく。
「あれで四十?! 独身?!」
何かが間違ってる、とカリナは叫んだ。十代の女の子でも年齢を知った上でだって嫁に立候補しそうだ。
「養子もいるし別に切羽詰まってないから」
「結婚してない、のに養子?」
「貴族だから爵位の後継のために養子をとったそうで」
「そういうこともあるんだ」
ウクドリッドには想いを通わせた女性と身分を理由に仲を引き裂かれた過去がある。若年層では恋愛主義の世の中になってきたが、以前は厳しかったという。シャーロが彼と知り合ってから、ウクドリッドが女性に本気になった姿を見たことはない。まだ団長は彼の隣と心を埋めることはできないのだろう。
馬車までもう少し、というところでカリナは立ち止まった。カリナとシャーロの腕がぴんと伸びる。
「カリナさま?」
「シャーロ、聞きたいんだけど、いまほんとに時間ぎりぎり?」
遠回りな質問に、シャーロは流し目をする。
「……城下町の教会が気になるか?」
カリナがハッと目を開く。考えを見透かされていた。
「もしかしたら、そんなことを言い出すんじゃないかなと思ってた」
「できるのは外に出た今しかないかも、って。早いうちに王都の聖杯を満たして、誰でも使えるようにしたい」
カリナの黒く輝く丸い目が、高い位置の青を捉える。捕らえたのか、囚われたのか。
「だめ?」
願いを込めて繋いだシャーロの手をぎゅっと握った。シャーロは自由なほうの手で目を覆い、ため息を逃す。
「だめ、って言わなければならないのはわかってるけど言えるほうがおかしいよな、この場合」
「つまり?」
「行こう」
「ありがとう、シャーロ!」
では王都中央教会へ、と二人は馬車とは別の方向へ歩き出した。
****
「助祭のカデルを出してくれ」
シャーロは教会に着くなり、教会の入り口とも言われる廊室で聖職者のひとりを捕まえてそう頼んだ。
長椅子の並ぶ身廊は厳かな雰囲気はあるのだが、どことなく陰鬱さもあるのは人がいないからか。聖水ならありませんよ、と先程聖職者に言われたばかりなので、やってくる人々は門前でお断りされ中にも入れないようになっているのかもしれない。
入れ替わりにやってきたのは、シャーロと変わらない歳の青年で、シャーロを見るなり顔を崩した。垂れ目がいっそう下がって見える。
「シャーロ、結局来たんだね」
「ああ、お前がいてくれてよかった」
事前にもしかしたら寄ることがあるかもしれない、と友人である助祭カデルに手紙を送っておいたのだ。
「お嬢さんをお連れしているけれど、どんなご用かな?」
「こちらの方のたっての願いで。カリナさま、俺の友人のカデルだ」
「はじめまして、カリナです」
「どうも、カデルです。こちらの教会で助祭を務めています」
お互い頭を下げた。カリナはシャーロと目を合わせる。彼女から話しても大丈夫そうだ。
「急に押しかけてすみません。無理かもしれませんが、どうか私にこちらにある聖杯を見せていただけませんか」
各地の聖獣が去り聖水が絶えて幾人も王都に僅かに滴る聖水を頼ってきた。細る銀をそれでも分け与え、ついには空になってしまった。
「おそれながら聖水は、枯れておりまして……。どこの教会も困っているのは知っていますが、どうにもできません」
カリナが教会からの支給品の十字架を身につけていたので、礼服でなくとも聖職者なのだとは見てとれた。所属を明かさないのはなぜかわからないけれど。
首をわずかに曲げるカデルは悲壮感が漂っている。協力できることなら協力したい、という彼の人の良さが滲み出る。
「カデル、この方はグノムシャークから遣わされた。彼女もその目で干からびた聖杯を見るまでは帰れないだろう。ありのままでいいから見せてやってほしい」
グノムシャークという地名がどこにあるのか見当もつかないが、シャーロに口裏を合わせる形で、お願いします、とカリナは両手を合わせた。
「……そこまでおっしゃるのなら」
友人の押しもあって、カデルは教会の奥へと案内した。
聖水が沸いていたころは開け放たれていた扉は締め切られている。中は静謐な空気はあれども、どこか虚しく重い。
「こちらに聖杯がございます。お確かめください」
「ありがとうございます。シャーロ、いい?」
「ああ、やってくれ」
カデルはそれに違和感を覚えた。あらかじめ決めておいたかのような、聖杯を確認する以上の行動を起こすつもりなのか。
友人は真剣な顔で人差し指を立てる。
「カデル、なにがあっても静かにしててくれ」
「……なにが、」
起ころうとしているのか。言葉は途切れた。
シャーロの目が彼の連れてきた女性に向く。力を失った聖杯を頼ってきた彼女の失望を目の当たりにするのは辛いが、現実なのだから致し方ない。
幸いなことに、カリナは背中を向けている。手で聖杯に触れているようだ。聖職者としてそこまでは許そう、しかし。
カデルは大口を開いた。
時間をかけず、銀色の光が彼女の足元を照らした。カデルがうめいて聖杯の下にある受け皿に指を浸した。水のようで水でない、清涼な気配は聖水だった。
「シャーロ! シャーロ! シャーロ! あなたはなんていう人を連れてきたんだ! グノムシャークにいらっしゃったのだね?!」
穏和そうなカデルが喜びに沸き立っている。シャーロはしーーっ! と強めに黙らせた。
「静かにしてくれ、カデル。説明する時間はない、何もなかったことにしてくれ」
「そんなことできるわけないよ」
渇望していた聖なる銀の輝き。カデルはすっかり浮かれていた。
「頼む、いまはまだ聖女さまの存在を明らかにはできないんだ」
「ごめんなさい、カデルさん。私のことは秘密にしてくださいませんか?」
「彼女はただ、俺の親戚の伝手を頼って聖杯を見にきただけで、この件とは関係ない、ということにしてほしい。聖水が湧き出たのは、彼女がここにいたときではなく、彼女が去った後なんだ。そういうことに」
グノムシャークはシャーロに縁のある地だったので口から出まかせだった。なにかあっても親類を抱き込んで誤魔化そうとするため。
カデルは涙を飲み込んで、カリナの前で両膝を地につけた。
「あなたのお考えを尊重します、聖女さま。この地への癒しを、人々への施しを感謝いたします。私たちはこれでみなの生きる希望を灯せます。ありがとうございます……」
そのうち額も地に擦りつけそうだったので二人がかりで立ち上がらせ、人目を忍んで帰してもらった。
Take Me To the Church.
(教会に連れてって。)




