7-1 釈放
恒星暦569年9月8日
惑星メダリア上空
外の空気は、同じ空調システムを経由しているはずなのに、美味しかった。そして、同じ調光システムで明るさを調整しているはずなのに、眩しかった。
無論、室内と屋外ではライトの設定は異なっている。でも、それだけではない何かをケンタは感じていた。
何だかんだといって、疲れていたのかな。
対尋問訓練、取調演習、色々講義や実技の研修を受けてきたが、実際に身体拘束され、自殺防止だか何だかで身ぐるみを剥がされ、行動の自由を奪われたことは相当精神に来ているようだった。
ここでもそうだ。泳がされ、監視されている自覚があるから、一言一言言葉を選んでいた。符丁と捉えられることを避けるため、指先の動きすら自由にならなかった。
でも、もう終わりだ。
継続監視をするかも知れないが、少なくともそれは外での行動や情報端末でのやり取り。フォークの持ち方、スプーンの口への運び方に気をかける時間はもう終わりだ。
そして、傍らに立ち、これから生涯をともにさせてくれと申し出て、それを受け入れてくれた相手に(雑誌や映画、同級生、同期生から学習した)甘い言葉を囁いても、監視者がどう受け取るか気にしなくても済む。
シーラも、心なしか明るい表情を浮かべていた。無論、疲労はたまっているだろう。あとで休養と労りの言葉が必要なのは間違いない。だが、今は喜ぶべき時だった。
「お疲れ様、マチダ中尉。二期のあとも追加を喰らうとは災難だったね。でも、まあ彼女さん共々今日で終わりだ。何しろ、地上でどれだけ調べても君たちの行為や物品で犯罪には当たるものを証明できる何かは無かったようだ。彼らの報告書を見せてやりたいものだ。長い間不便をかけたな。まあ、そのうちサイコロの目も変わることだってあるさ。」
浅黒く精悍な顔をした艦隊所属の女性憲兵中尉が手を差し伸べた。
宇宙軍施設での形式的とはいえ身体拘束はもうおしまい、「罪とならず」で釈放と正式に知らされ、ケンタは笑みを隠そうとはせず、手を握った。
「嫌疑不十分」と「罪とならず」では今後の扱いはまったく違う。
「いえいえ、マフディー中尉、こういう日もあります。」
こちらからは今回の件で何か行動を起こすつもりはない、と暗に伝える。
ケンタの手を力強く握り返し、マフディー中尉もニヤリと笑った。
交渉成立、といったところだった。
軍としては公式には謝罪できない。そのため、上官の意を受けた担当者レベルでの会話とちょっとした、でも貴重な情報を先方は提供する。それを受け、こちらは水に流すことを表明する。ケンタの軍歴には傷はつかないし次の赴任地は配慮してもらえそう、軍も将来に悪影響を与えかねない可能性の一つが潰れる。何てことは無い。お互いにハッピー。ならば皆さんハッピー。
「…さて、これからどうするんだい?」
握手をした手を離すと、世間話といった感じでマフディー中尉はケンタに続けた。とはいえ、視線の動き方から何か急いでいるようだった。となれば、ケンタとしては話をどこかで打ち切るきっかけを作る必要があるようだった。
ケンタは、傍らに立つシーラを見る。
明らかに空元気だった。見栄だけで立っている状態と言っても良い。手を伸ばす。握手とは違った手と手のやさしい接触。
マフディー中尉は視線をそらした。
「そうですね、先ずはリハビリですかね。手続きをすれば特別休暇が取れるはずなので、その分彼女に、」
ケンタは、シーラの顔を見つめた。そろそろ演技もできなくなっている。こちらもすぐにマフディー中尉と別れ、シーラの心を労る必要がある。
「この星の名所を案内して貰いますよ。」
マフディー中尉の顔がさっと曇る。何か口にしようとして、マフディーの顔に堅い笑みが浮かんだ。
「…どうかしましたか?」
まわりの空気も何か変だった。保養施設の職員やアンドロイド達の動きがどこか変だ。自由の身になって間がないため言語化できないが、何時もと違っていた。解放されたからシャバの空気が美味く感じられるからだけではない、そんな気がする。
「おっとすまない、急ぎの用でね。幸運を切に祈る。」
マフディーはわざとらしく携帯型個人用情報端末の情報を確認する。儀式的というには形容詞が微妙な打ち切りを挨拶を受けたケンタの敬礼(何しろケンタは中尉でも一番の若手だ)に答礼もそこそこにその場を立ち去る。
やはり何か変だった。
去って行くマフディーの姿を暫く眺めたあと、ケンタは隣に立つ歳上の可愛らしい生き物との距離を微妙に詰めた。
鼻腔に彼女が身にまとっていた空気が満ちる。
うん、サトコちゃんのあの反応を受けて決断をして良かった。プロポーズをして、受けてもらったが、まだ彼女のことはほとんど何も知らない。でも、少なくともこれからも一緒にいたい、という香りはしている。
「さて。」
ケンタは、気持ちを切り替えた。
まわりの空気が変な理由を探るのも良いが、先ずは釈放されたことを報告する必要がある。
「さあ、僕たちも動き出そうか。」
上司に釈放されたことと結婚することを報告しなければならない。結婚の申込を受けてもらえたので、シーラの気が変わる前に、事務担当相手に連絡を取って結婚の手続きを進めて行かなければならない。
いや、…逆が良いかな。あ、お祖父さんに釈放されたことを先に報告した方が良いかな。
…うん、その前にこの場所から速やかなる移動だな。ここはカップルが立ち止まっていい場所ではない。この施設の地理を把握していないから、どこか気が休まる場所を探さないといけない。
地理を把握するため、携帯型個人用情報端末での電源を投入する。
「何か、うわ、何?」
先程までの考えが吹き飛ぶような情報の津波がケンタの脳を襲った。
今迄のことを忘れ、大量にメッセージが届いていることに意識が向く。返還された端末には100を軽く超える連絡が届いていると示されていた。全てを確認するなら丸一日かかりそうなどころではないメッセージ量だった。そのうち幾つかは緊急、重要表示。
ともあれ、ここで立ち止まったままというのは良くない。ケンタは、柔らかい手を引くと座る場所を探すため歩き出す。
「本当、すごい数ね。」
同じく端末に電源を入れたシーラも、ため息をつく。陸上経験が豊富な分だけあり、メッセージを読み込む速度はケンタよりもはやい。
「緊急、重要表示って戦争でも始まったのかな。」
メッセージを開く前に何の気なしにシーラに話しかける。
「まさか。でも何かしら。発は…」
そして、二人は同じメッセージを読んで、絶句した。




